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先の見えない時代にあって、自分の求める生活や価値を明確にしておくことは大切なことです。自分と環境との関係性を考え、欲望をほどよく制御するための心と体の癒しのメッセージです。


by 逍遥
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こちらは、オリジナル擂茶(れいちゃ)氷です。
奈良 おちゃのこの「ほうじ茶ラテ氷」_a0126310_21412769.jpg

今日は、8月15日、月遅れ盆です。

お盆が、7月15日、8月15日、旧暦の7月15日(今年はたまたま8月14日でした。)と三様になっているのも不思議なことです。

このことは、同じお盆といいながらも共同体によってその中身が異なっていることを示しているのではないでしょうか。

ましてや、内心のお盆ともなれば、同じ共同体にあっても、個人間で多様化しているというのが現状かもしれません。

遠い昔のように、誰もが同じものを信じるということが、もはや困難なことになってしまったのかもしれません。

最近では、奈良でも、お盆を新暦の7月15日に行う地域や家庭が増えていると聞きます。

お盆が流動化していくのも、遠い昔からの趨勢の瑣末のことでしかないのかもしれません。

二年前の奈良春日大社の中元万燈籠です。

こちらは、変わっていないと思いますが、さていかがでしょうか。

ところで、近鉄奈良駅近くの小西さくら通り(東向き通り一本西側)コトモール1Fには、「おちゃのこ」という擂茶(れいちゃ)、台湾茶の専門店があります。

*擂茶(れいちゃ)
擂(す)るお茶と書いて擂茶(れいちゃ)。
客家(はっか)という民族の人々がおもてなしの時には必ずお出しするという伝統食。
数種類の焙煎した雑穀や豆、茶葉を粉にし、お湯に溶かして飲む、いわば食べるお茶です。
その歴史は古く、3世紀、中国の三国時代から存在するといわれています。
(「おちゃのこ」の説明資料より)


おちゃのこが、擂茶(れいちゃ)、台湾茶の専門店といっても、私がここで食べるのはかき氷です。

そもそも、おちゃのこは、少し前までは「もちいどの夢CUBE」に出店していたチャレンジ・ショップでした。

「もちいどの夢CUBE」とは、奈良市が公募によってチャレンジの場を提供する、ベンチャー商店主のための商業インキュベータ施設のことです。

この当時から、おちゃのこは、擂茶(れいちゃ)、台湾茶のみならず、かき氷にも人気があり、評判が高かったことを覚えています。

そして、今回、数年ぶりに新しくなった「おちゃのこ」を訪れることにしました。

メニューは以前と変わっていない様子です。

注文したのは、下記の写真の「ほうじ茶ラテ氷」です。
奈良 おちゃのこの「ほうじ茶ラテ氷」_a0126310_21411229.jpg

奈良 おちゃのこの「ほうじ茶ラテ氷」_a0126310_2143471.jpg

細雪のようにふわふわとしたかき氷に、うっすらとほうじ茶の香り、ほんのりとしたミルクの味は、甘すぎることがなく、とてもバランスのとれた風味を楽しむことができます。

また、かき氷の真ん中には、バニラアイスを入れることができます。

奈良にはいくつか有名な牧場がありますが、こちらでは植村牧場(奈良市般若寺前の牧場です。)のバニラアイスを使用しています。

わざわざ植村牧場にまで足を運ばなくても、食べることができるのはうれしい限りです。

まだまだ、暑い日が続きます。

そして、明日は送り火です。

現在では、お盆(送り火)は共同体の仕事というよりも、むしろ個人(せいぜい家族)の仕事になってしまったような気がします。

そのうえ、あらかじめ決まった作法があるわけではなく、そこに高尚な教えがないということになれば、お盆(送り火)とはいったい何なのでしょうか。

ご先祖様の御霊と向き合うことが個人の仕事であるとするなら、それは「喪の仕事」を済ませることでもあり、さらに自分が自分の過去と向き合うことでもあると思われます。

人が老いて最後に残るものがあるとしたら、それは両親の面影であるのかもしれません。

このような夏を繰り返しながら、やがて自分もまたご先祖様の仲間入りをするわけですね。

奈良へ出向かれたなら、ぜひ自分だけの送り火を済まされ、その後「おちゃのこ」のかき氷で涼むというのはいかがでしょうか。
奈良 おちゃのこの「ほうじ茶ラテ氷」_a0126310_21405912.jpg

奈良 おちゃのこの「ほうじ茶ラテ氷」_a0126310_21404824.jpg


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# by kokokara-message | 2011-08-15 22:10 | おいしいかき氷
コメダ珈琲店の「宇治クリームミルク」_a0126310_2157553.jpg

コメダ珈琲店は、名古屋に本社をおく(株)コメダが経営する喫茶店です。

コメダ珈琲店は、元々名古屋の個人経営の喫茶店から始まったようですが、その後フランチャイズ展開をするようになり、現在では406店舗(平成23年5月末現在)にまで拡大しています。(コメダ珈琲店ホームページより)

現在大阪府下には7店舗、奈良県下には6店舗あり、最近では大阪都心部に位置するあべのキューズモールに新店舗がオープンしたようです。

今回、コメダ珈琲店でご紹介するのは、夏の限定メニュー「かき氷」です。

ご覧のように、宇治クリームミルク(どのかき氷もビックです。)は、大変ビックなサイズをしています。

器の底からソフトクリームのてっぺんまでは、優に30センチを超える高さがあるのではないでしょうか。

始めて注文した人なら、誰もがため息をつくことになるのではないでしょうか。

ただし、宇治茶シロップの味はというと、こちらは宇治茶の持つ自然のまろみの甘さというよりは、かなり人工的な甘さの宇治茶風シロップという印象を受けます。

このためか、ビックなかき氷をもくもく食べていても、やがてシロップの単調な甘さに飽きがくることになるようです。

猛烈にかき氷を食べたいという人には良いのかもしれません。

そうでない人には、やはり一人で食べ切るには大きすぎるサイズではないでしょうか。

今回訪れたのは、コメダ珈琲店法隆寺店(奈良県生駒郡斑鳩町東福寺1-33-1)でした。

ここだけの話ですが、(株)コメダの隠された経営戦略かもしれませんが、法隆寺店と同様、八尾高美店(大阪府八尾市)、天理岩室店(奈良県天理市)などの郊外型店舗の展開に力を入れているようです。

これが隠された経営戦略なのかどうかは皆様が判断されるところですが、やはり大阪で商売するのは難しいということになるのかもしれません。

そして、お見込みどおりの経営戦略であるのなら、次は大阪西部の〇〇あたりに新店舗を展開することになると思われるのですが、さて皆様はいかがお考えになるでしょうか。
コメダ珈琲店の「宇治クリームミルク」_a0126310_21565371.jpg

コメダ珈琲店の「宇治クリームミルク」_a0126310_21571354.jpg

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# by kokokara-message | 2011-08-07 22:07 | おいしいかき氷
円高とは、いったい何なのでしょうか。

円のドルやユーロに対する相対的優位がもたらした評価、としかいえないのではないでしょうか。

そもそも、円相場はリーマンショック以前から円高基調にあったものであり、日本政府が市場介入し円安への誘導を行ったとしても、結局は大きな円高トレンドに吸収され、円高傾向を止めることができなかったということなのではないでしょうか。

では、どうして円高になっているのでしょうか。

円高の原因には諸説あるものの、おそらくドルやユーロとの相対的な関係性における比較優位が主な原因であり、このことがさらに円高を誘発する原因になるという循環関係に陥ってしまっているといえるのではないでしょうか。

これでは、同じ説明を繰り返しているだけですね。

このような循環関係を「円環」と呼ぶことがあります。

ウラボノスの輪は、ご存知でしょうか。

ウラボノスの輪とは、へびが自らの尻尾を食べている様子のことをさし、何が原因で何が結果であるのかがはっきりしないことを指すメタファー(隠喩)といえます。

貨幣論の岩井克人氏がおっしゃっている、「貨幣が貨幣でありうるのはそれが今貨幣として流通しているからだ」という論理と同じ構造にあるといえるのかもしれません。

このような円環構造は、円高や貨幣論の根拠を論じるときだけのことではないと思われます。

つまるところ、社会現象全般が、「自己循環論法」という円環構造によって形成されているということになるのかもしれません。

要するに、みんながやるから自分もやる、みんながしないのなら自分もしない、という人間の行動原理が、社会現象全般を支えることになっているということではないでしょうか。

ケインズが紹介している美人投票も、結局はこれと同じ論理になると思われます。

つまり、ケインズによれば、美人投票とは自分の好みの女性に投票するものではなく、みんなが一番の美人として選ぶであろう女性を選んで投票することになるというものです。

美人投票が、ケインズのいうとおりの原理で動いているのなら、そもそも美人に確固たる理由などないということになってしまいます。

美人にあるのは個人差よりも、むしろ時代や地域という比較的固定的とされる文化の差異が大きいといえるのではないでしょうか。

従って、美人には確固たる根拠や理由などはなく、美人に選ばれたことが美人であることの一番の原因になるなら、円高についても、円高であることが円高であることの一番の原因ということになります。

つまり、あれこれと円高の理由を並べ立てて考えるよりも、事実そのようであるからという追認が、よりラディカル(根本的)な原因になってしまうということです。

円高がこのような円環構造で形成されているとしたら、円高に対し日本政府がいくら市場介入したところで円安へと誘導できないことはいうまでもありません。

このため、単独ではなく、むしろ世界が仲良く協調介入するのが良いのではないかとの願望ともとれるような意見はあるのかもしれません。

確かに、主要通貨を持つ各国が協調して介入するようになれば、それ相当の政策効果は期待できると思われます。

そして、過去にも、各国が協調して介入したという事例もあります。

しかしながら、国際連合が国際利害を調整の場(仲良しクラブ)になっていないように、利害が錯綜する世界外交では、それぞれの国益を一致させることが極めて難しい問題になってしまいます。

従って、ドル暴落という世界共有の危機でも出現しない限り、各国は緊張関係を維持しながら、プラグマティズムともとれる矛盾をはらんだ多面外交を実践するしかないといえるのかもしれません。

結局、日本は多勢に無勢ながらも、単独で円高に対し市場介入を行うということになりました。

ではなぜ、日本が多勢に無勢ながらも(おそらくこのことに自覚的でありながらも)、市場介入をあえて行わなければならなかったのでしょうか。
円高への市場介入と前田敦子(1)_a0126310_051310.jpg

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# by kokokara-message | 2011-08-06 00:06 | 我流経済学
甘党まえだの「ミルククリーム」_a0126310_2215986.jpg

四天王寺五重塔がロゴになっている「みたらし団子」の甘党まえだは、ご存知でしょうか。

天王寺駅周辺だけでも四店舗が集中し、最近ではあべのキューズモール店が新たにオープンしました。

ところで、甘党まえだの経営母体は(株)大阪前田製菓という会社なのですが、私はてっきり「あたり前田のクラッカー!!」の前田製菓と同じ会社であると勝手に思い込んでいました。

今般、それぞれのホームページで社歴を確認したところ、社歴に重なるところはなく、まったくの別会社であることが判明しました。(おそらく。)

アベ地下にある甘党まえだは、「あたり前田のクラッカー!!」のアンテナショップに違いないと、勝手に思い込んでいたことがとても不思議な気がしてなりません。

「まえだ」と聞けば、条件反射的に「あたり前田のクラッカー!!」を思い出してしまうのは、子供の頃に観たブラウン管からの強いイメージが今も残っているからなのでしょう。

ひょっとすると、同じような勘違いをされている人は、他にもいらっしゃるのかもしれませんね。

***************

ところで、甘党まえだといえば「みたらし団子」が有名ですが、夏の真っ盛りはやはりもうひとつの名物かき氷はいかがでしょうか。

きめ細かやかに削られた氷のうえにたっぶりと練乳がかかり、濃厚乳脂肪分のソフトクリームが乗っているかき氷の「ミルククリーム」が、私の一番のお勧めです。

そして、かき氷には白玉が三個添えられているため、ひんやりとした、もちもち感を同時に味わうことができます。

さらに、ソフトクリームが崩れないようバランスに注意しながら食せば、多少のスリルも味わうことができます。

また、一般には、かき氷は真夏のメニューとされていますが、甘党まえだでは一年中かき氷を注文することができます。

従って、真冬にコートを着用しながらかき氷を食するということも可能になり、私は一年を通して好物のかき氷を楽しんでいます。

最近は、真夏でもかき氷を食する機会がめっぽう少なくなってしまったような気がします。

また、秀逸のかき氷に出会うということは、至難のわざとなってしまったのでしょうか。

甘党まえだは、このいずれもの難題を解決してくれるかき氷を提供してくれます。

もうすぐ暦の上では立秋ですが、ぜひとも、甘党まえだの秀逸のかき氷で、暑気払いなどされるのはいかがでしょうか。

なお、下の写真のように豆大福とかき氷という組み合わせもできます。

軽い昼食で済ませたいときなどは、これでちょうどいいのかもしれませんね。
甘党まえだの「ミルククリーム」_a0126310_2215047.jpg

甘党まえだの「ミルククリーム」_a0126310_22153041.jpg

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# by kokokara-message | 2011-08-01 22:51 | おいしいかき氷

桂文治と桂文枝

桂文治と桂文枝_a0126310_22153597.jpg


「歌舞伎とは、襲名に追善と見つけたり」とは、故永山武臣松竹会長の言葉です。

古来より襲名や追善が大切な興行であるとともに、大きなビジネスチャンスでもあったということではないのでしょうか。

これは、歌舞伎だけのことではなく、落語についても同様といえそうです。

そして、襲名や追善の興行には、必ず「名跡」が取り上げられることになります。

ここでいう「名跡」とは止め名(留め名)のことで、その系統の最高の権威を持ち、それ以上の襲名を行わない名前のことです。

むろん、止め名(留め名)ではないけれども、人気のあった記憶に残る「名跡」の襲名や追善の興業もあります。

たとえば、江戸落語では、桂文治、古今亭志ん生、三笑亭可楽、三遊亭圓生、春風亭柳枝、林家正蔵、柳家小さんなどが、止め名とされています。

また、上方落語では、桂文枝、笑福亭松鶴、林家染丸などが、止め名とされています。

つい最近のことですが、上方落語の桂三枝さんが、六代桂文枝の襲名を発表いたしました。

また、それに先立ち、江戸落語の桂平治さんが、十一代目桂文治の襲名を発表しております。

現在では、桂文治と桂文枝が、それぞれ江戸(東京)と上方(大阪)における桂一門の止め名となっています。

「桂」という名前を持つ落語家が、大阪のみならず東京にも多数存在することについては、皆様もご存知のことと思われます。

そして、古今亭、三笑亭、三遊亭、春風亭、柳家が、江戸落語だけにある名前であり、また、笑福亭や月亭が、上方落語だけにある名前であることは、皆様もご存知のことと思われます。

では、どうして、「桂」だけが、江戸と上方にまたがった落語家の名前になっていて、桂文治と桂文枝がそれぞれの止め名になっているのか。

おそらく、「桂」の名跡が東西に残ることになった系譜をたどることが、そのまま上方落語の創成、いや落語そのものの創成にコミットすることになるといえそうです。

以下においては、上方落語がいつ頃、どのようにして生まれたのか。

また、いかにして「桂」の名跡(止め名)が生まれ、いかにして引き継がれてきたのか。

さらに、どのような経緯から、桂一門に文治と文枝という二つの止め名が存在することになったのか。

おそらく、これらのことを知ることが、冒頭の故永山武臣松竹会長の洞察に富んだ言葉の意味を理解することでもあると思われます。

なお、ご存知のとおり「林家」の名跡も東西に存在しています。

ただし、これを追っていくと上方落語の系譜からそれてしまいますので、ここではあえて割愛させていただきます。

「落語とは、襲名に追善と見つけたり」

以下の内容については、大阪春秋第99号「落語の創成~隆盛 露の五郎」(大阪春秋社)から主に引用させていただくことにしました。

***************

落語の祖は、安楽庵策伝(あんらくあん さくでん)といわれる一山の住職とされています。

安楽庵策伝は、慶長元年(1596)に住職として、説教強化につとめたあと、慶長18年(1614)、60歳で、京都の大本山誓願寺、五十五世住職となり、そのユーモアに富んだ話術と落とし噺を取り入れた説教は、大変評判になったということです。

ただし、安楽庵策伝は、あくまでも一山の住職であり、説教師であることから、ほんとうの落語のはじまり(祖)としないという見方も存在するようです。

従って、落語のはじまり、つまり落語家の第一号は、延宝・天和(1673~84)の頃に北野天満宮内や祇園真葛ヶ原で「辻ばなし」を行った、露の五郎兵衛(つゆの ごろべえ)ではないかとされているようです。

また、京都で露の五郎兵衛が活躍していた頃、江戸では鹿野武左衛門(しかの ぶざえいもん)という人が、座敷仕型ばなしを始めます。

鹿野武左衛門とは、慶安2年(1649)摂津の国難波の生まれで、そのまま大坂で育てば、大坂落語の祖になっていたともいわれる人です。

鹿野武左衛門は、貞享(1684~88)の頃、中橋広小路に、むしろ張りの小屋を作り、木戸銭六文、晴天八日の興行をして、江戸中の評判となり、これが寄席興行の草分けともいわれています。

このように、京都では露の五郎兵衛、江戸では鹿野武左衛門が活躍していた頃、大坂には、米沢彦八(よねざわ ひこはち)という人が現れます。

米沢彦八は、貞享から正徳(1684~1715)にかけて活躍していた人物とされており、はじめは、新町(大阪市中央区)の西口で「辻ばなし」をしていたようですが、後に生玉神社(大阪市中央区)境内のよしず掛の小屋ではなしをし、たいへん名物になったとのことです。

現在、上方落語の祖、米沢彦八を顕彰する碑が上方落語発祥の地とされる生国魂神社境内に建立されています。

その後、初代米沢彦八が亡くなると、弟子である沢谷儀八が二代目を襲名し、大坂から京都へ上ります。

米沢彦八の名は、その後四代目まで、大坂ではなく京都で続くことになりました。

初代米沢彦八が亡くなった後の大坂は、パッとしなかったようですが、やがて、京都から、松田弥助(まつだ やすけ)という人物が大坂へ下ってきます。

そして、寛政(1764~89)の頃には、松田弥助のはなしは浮世噺と呼ばれるようになり、諸人のたいへんな喝采をあびたということです。

一説によれば、松田弥助は、四代目米沢彦八の弟子であったともされており、そしてこの松田弥助の一門から出た逸材とされるのが、現在の「桂」の祖とされている桂文治(かつら ぶんじ)です。

ちょうど、天明から寛政にかけてのこと(1780~1800)のようです。

松田弥助は、御霊社(御霊神社=大阪市中央区)の境内、桂文治は坐摩社(坐摩神社=大阪市中央区)の境内に、それぞれ定席をもって口演したとされています。
桂文治と桂文枝_a0126310_8364125.jpg

そして、この頃には、高い台に乗り、前に台を置いて、鳴物、拍子木をならすという現在にまで伝わる落語の演出スタイルが、概ね出揃うということになりました。

桂文治は、上方落語の祖である米沢彦八の系譜につながる、大坂で活躍した落語家ということになり、東西の「桂」の祖でもあることから、関東、関西ひっくるめて、桂なにがしを名乗る落語家は、みな、さかのぼると、この桂文治に帰することになります。

初代桂文治は、文化13年(1816)に亡くなったとされています。

その息子の桂文吉が、大坂で二代目桂文治を襲名します。

そして、二代目桂文治が没するのは文政八年か九年(1826)と推定されていますが、二代目の没後、三代目桂文治が襲名するのは、なんと上方ではなく江戸においてでした。

これは、三代目桂文治が初代桂文治の娘であり、二代目桂文治の妹の婿でもあった江戸の船遊亭扇勇が、その名跡を継いだためでした。

つまり、上方落語の系譜に遡る三代目桂文治の名跡が、大坂から江戸へと移ってしまったことになります。

このことから、上方の桂文治門下においては、二代目桂文治の弟子にはあたらないものの、孫弟子にあたる桂九鳥が、三代目桂文治を襲名するということになります。

これにより、江戸と上方において、二人の三代目桂文治が誕生することになったわけです。

これが、今日においても、東京と大阪で「桂」と名乗る落語家が、それぞれの系譜を持ち存在している所以といえます。

上方では、三代目桂文治のあとに、三代目門下の桂慶枝(その前名は桂文枝でした)が四代目桂文治を継ぎます。

一方、江戸においても、三代目のあと四代目桂文治が誕生し、三代目のみならず、四代目についても、江戸と上方で二人の桂文治が存在することになったわけです。

そして、大坂では、上方四代目桂文治の門下に、上方落語の中興の祖といわれる初代桂文枝(かつら ぶんし)が現れることになります。

初代桂文枝は、はじめは桂梅花、そして桂梅香を経て、桂文枝となります。

桂文枝という名前は、その師である上方四代目桂文治の前名を継いだものですが、四代目の前名は桂文枝の代数にはいれないとされることから、初代桂文枝が一代目にあたることになります。

初代桂文枝は、結局上方五代目桂文治を継ぐことはなく、本名も明治の戸籍の編成(壬申戸籍)で桂文枝と改名します。

それ以降、上方桂一門の止め名は、事実上桂文枝になったというわけです。

初代桂文枝が活躍したのは、幕末から明治にかけての頃で、大坂がちょうど上方落語の黄金期を迎えようとしていた時代といわれています。

初代桂文枝は、当時の大坂の最高名人といわれており、明治初年に十八番の落語「三十石」を質入れしたことは、つとに有名な話として残っています。

江戸に移った桂文治の名跡は、昭和になって一時期上方に戻ることはあったものの、今でも江戸桂一門の止め名になっていることから、初代桂文枝は、まさに上方桂一門の中興の祖であるとともに、上方落語の中興の祖ということになるのではないでしょうか。

大阪春秋第99号「落語の創成~隆盛 露の五郎」(大阪春秋社)より

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# by kokokara-message | 2011-07-28 22:24 | 大阪