文二郎のパナマ帽(2)


文二郎の「パナマスペシャルソフト」です。

目の粗い鉤針編みの中折れ帽は、目の詰まったそれよりも通気性が高く、軽くて、トロピカルな印象を受けるのではないでしょうか。

オーストラリアの帽子メーカー・ヘレンカミンスキーはスリランカ産のラフィアを使用しますが、文二郎は通常のパナマ帽と同じ、エクアドル産のトキヤ草をします。

ただ、トキヤ草を使用した鉤針編みの中折れ帽は、ラフィアを使用したそれよりも少し重たくなるようです。

素敵なパナマ帽ですが、これが唯一の難点かも知れませんね。
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by kokokara-message | 2016-08-04 08:19 | 大阪

文二郎のパナマ帽

先日、近鉄百貨店阿部野店を訪れたところ、偶然にも文二郎のオーダー会に出くわすことになりました。

文二郎は、パナマ帽やフェルト帽を製造する西川製帽株式会社のブランド名です。

私は、数年前から縁あって中折れ帽を着用しています。

春夏はパナマやシゾール、秋冬はフェルトの中折れ帽を愛用しておりますが、そのいずれもがボルサリーノやTESI、マイザーといった海外ブランドばかりでした。

文二郎のブランド名は知っていたものの、和製の中折れ帽には関心がなかったため、文二朗の情報はほとんど持ち合わせていない状態でした。

このため、オーダー会当日には文二郎の西川文二郎社長の直々の接遇があったにもかかわらず、こちらの不勉強ゆえ頓珍漢な質問をしまい、深く反省いたしております。

ところで、オーダー会で文二郎ブランドについて分かったことは以下の通りです。

文二郎の西川文二郎社長は、日本を代表するマイスター(帽子職人)であるということ。

このため、雑誌やNHKの美術番組「美の壺」などのメディアでも取り上げられる有名人であるということ。

また、文二郎の帽子は受注生産が基本となるため、納品までには約2か月かかるということ。

さらに、実測に基づいた受注生産のため、通常1センチ単位のサイズ調整が5ミリまで可能となること。

そして、文二郎プランドの本社兼工場がなんと近鉄百貨店阿部野店からほど近い、大阪市東住吉区桑津にあったということ。

以上のことから、文二郎ブランドは製帽技術の高さのみならず、きめ細やかな対応ができる会社ということが分かり、名実ともに親近感を抱くとともに、文二郎ブランドと私との距離が一気に縮まるのを感じました。

オーダー会ではあれこれ迷った末、黒色のパナマ帽(下の写真)を購入することにしました。

ご存知のように、パナマ帽はその原料であるトキヤ草を自然なままに編み上げるため、白やベージュというナチュラルな色が一般的となります。

これに対し、カラーパナマは原料のトキヤ草を染色してから編み上げるため、ブラック以外にもカラーのバリエーションは広がります。

もちろん、白やベージュはとても涼しげで夏らしい色といえるのですが、少しカジュアル過ぎるように感じる方もいらっしゃるかもしれません。

また、ビジネスにパナマ帽を着用するという習慣は、1950、60年代ならいざ知らず、現代では一般的とまでは言えないのではないでしょうか。

このため、通勤途上でパナマ帽を着用するというのなら、カジュアルな印象を与える白やベージュよりも、むしろフォーマルで落ち着いた印象を与えるブラックやネイビーの方が無難といえるかもしれません。

私はパナマ帽に関わらず、通勤途上ではブラックやネイビーそしてグレーの中折れ帽を着用することにしています。

ただし、ここで見落としてはいけないことは、もともとのブラックパナマの狙いはナチュラルな色だけでは出すことのできない、大人のダンディズム(伊達さ)の演出にあったということです。

つまり、ブラックパナマは、ビジネスのためのタームだけでは語れない、大人の流儀を表現したアイテムといえるものであるからです。

私がオーダーしたブラックパナマは、「パナマジャズデューク」と命名されていました。

これは、西川文二郎社長が大のジャズ愛好家であり、ジャズの大御所デューク・エリントン(アメリカ合衆国 ワシントンD.C.出身のジャズの作曲家、ピアノ奏者、オーケストラリーダー)からその名前をもらって命名したものであるようです。

ところで、新しくスーツを購入した場合には内ポケットあたりにネームを入れてもらうことが一般です。

そして、今回のパナマ帽では、同じようにマイネームを入れる習慣があるということを知りました。

パナマ帽の場合には、帽子のスエットバンド(内側にある輪っか)にネームを入れることになります。

以上のように、実測5ミリ単位のサイズ調整をしていただいたうえに、スエットバンドにマイネームを入れていただいければ、世界に二つとない私だけのパナマ帽の完成ということになります。

パナマジャズデュークの納品は、少し先の6月末頃になる予定です。

今回のご縁を大切にし、文二郎のパナマ帽との末永いおつきあいができればと考えております。
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by kokokara-message | 2012-05-04 08:40 | 大阪

桂文治と桂文枝

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「歌舞伎とは、襲名に追善と見つけたり」とは、故永山武臣松竹会長の言葉です。

古来より襲名や追善が大切な興行であるとともに、大きなビジネスチャンスでもあったということではないのでしょうか。

これは、歌舞伎だけのことではなく、落語についても同様といえそうです。

そして、襲名や追善の興行には、必ず「名跡」が取り上げられることになります。

ここでいう「名跡」と止め名(留め名)のことで、その系統の最高の権威を持ち、それ以上の襲名を行わない名前のことです。

むろん、止め名(留め名)ではないけれども、人気のあった記憶に残る「名跡」の襲名や追善の興業もあります。

たとえば、江戸落語では、桂文治、古今亭志ん生、三笑亭可楽、三遊亭圓生、春風亭柳枝、林家正蔵、柳家小さんなどが、止め名とされています。

また、上方落語では、桂文枝、笑福亭松鶴、林家染丸などが、止め名とされています。

つい最近のことですが、上方落語の桂三枝さんが、六代桂文枝の襲名を発表いたしました。

また、それに先立ち、江戸落語の桂平治さんが、十一代目桂文治の襲名を発表しております。

現在では、桂文治と桂文枝が、それぞれ江戸(東京)と上方(大阪)における桂一門の止め名となっています。

「桂」という名前を持つ落語家が、大阪のみならず東京にも多数存在することについては、皆様もご存知のことと思われます。

そして、古今亭、三笑亭、三遊亭、春風亭、柳家が、江戸落語だけにある名前であり、また、笑福亭や月亭が、上方落語だけにある名前であることは、皆様もご存知のことと思われます。

では、どうして、「桂」だけが、江戸と上方にまたがった落語家の名前になっていて、桂文治と桂文枝がそれぞれの止め名になっているのか。

おそらく、「桂」の名跡が東西に残ることになった系譜をたどることが、そのまま上方落語の創成、いや落語そのものの創成にコミットすることになるといえそうです。

以下においては、上方落語がいつ頃、どのようにして生まれたのか。

また、いかにして「桂」の名跡(止め名)が生まれ、いかにして引き継がれてきたのか。

さらに、どのような経緯から、桂一門に文治と文枝という二つの止め名が存在することになったのか。

おそらく、これらのことを知ることが、冒頭の故永山武臣松竹会長の洞察に富んだ言葉の意味を理解することでもあると思われます。

なお、ご存知のとおり「林家」の名跡も東西に存在しています。

ただし、これを追っていくと上方落語の系譜からそれてしまいますので、ここではあえて割愛させていただきます。

「落語とは、襲名に追善と見つけたり」

以下の内容については、大阪春秋第99号「落語の創成~隆盛 露の五郎」(大阪春秋社)から主に引用させていただくことにしました。

***************

落語の祖は、安楽庵策伝(あんらくあん さくでん)といわれる一山の住職とされています。

安楽庵策伝は、慶長元年(1596)に住職として、説教強化につとめたあと、慶長18年(1614)、60歳で、京都の大本山誓願寺、五十五世住職となり、そのユーモアに富んだ話術と落とし噺を取り入れた説教は、大変評判になったということです。

ただし、安楽庵策伝は、あくまでも一山の住職であり、説教師であることから、ほんとうの落語のはじまり(祖)としないという見方も存在するようです。

従って、落語のはじまり、つまり落語家の第一号は、延宝・天和(1673~84)の頃に北野天満宮内や祇園真葛ヶ原で「辻ばなし」を行った、露の五郎兵衛(つゆの ごろべえ)ではないかとされているようです。

また、京都で露の五郎兵衛が活躍していた頃、江戸では鹿野武左衛門(しかの ぶざえいもん)という人が、座敷仕型ばなしを始めます。

鹿野武左衛門とは、慶安2年(1649)摂津の国難波の生まれで、そのまま大坂で育てば、大坂落語の祖になっていたともいわれる人です。

鹿野武左衛門は、貞享(1684~88)の頃、中橋広小路に、むしろ張りの小屋を作り、木戸銭六文、晴天八日の興行をして、江戸中の評判となり、これが寄席興行の草分けともいわれています。

このように、京都では露の五郎兵衛、江戸では鹿野武左衛門が活躍していた頃、大坂には、米沢彦八(よねざわ ひこはち)という人が現れます。

米沢彦八は、貞享から正徳(1684~1715)にかけて活躍していた人物とされており、はじめは、新町(大阪市中央区)の西口で「辻ばなし」をしていたようですが、後に生玉神社(大阪市中央区)境内のよしず掛の小屋ではなしをし、たいへん名物になったとのことです。

現在、上方落語の祖、米沢彦八を顕彰する碑が上方落語発祥の地とされる生国魂神社境内に建立されています。

その後、初代米沢彦八が亡くなると、弟子である沢谷儀八が二代目を襲名し、大坂から京都へ上ります。

米沢彦八の名は、その後四代目まで、大坂ではなく京都で続くことになりました。

初代米沢彦八が亡くなった後の大坂は、パッとしなかったようですが、やがて、京都から、松田弥助(まつだ やすけ)という人物が大坂へ下ってきます。

そして、寛政(1764~89)の頃には、松田弥助のはなしは浮世噺と呼ばれるようになり、諸人のたいへんな喝采をあびたということです。

一説によれば、松田弥助は、四代目米沢彦八の弟子であったともされており、そしてこの松田弥助の一門から出た逸材とされるのが、現在の「桂」の祖とされている桂文治(かつら ぶんじ)です。

ちょうど、天明から寛政にかけてのこと(1780~1800)のようです。

松田弥助は、御霊社(御霊神社=大阪市中央区)の境内、桂文治は坐摩社(坐摩神社=大阪市中央区)の境内に、それぞれ定席をもって口演したとされています。
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そして、この頃には、高い台に乗り、前に台を置いて、鳴物、拍子木をならすという現在にまで伝わる落語の演出スタイルが、概ね出揃うということになりました。

桂文治は、上方落語の祖である米沢彦八の系譜につながる、大坂で活躍した落語家ということになり、東西の「桂」の祖でもあることから、関東、関西ひっくるめて、桂なにがしを名乗る落語家は、みな、さかのぼると、この桂文治に帰することになります。

初代桂文治は、文化13年(1816)に亡くなったとされています。

その息子の桂文吉が、大坂で二代目桂文治を襲名します。

そして、二代目桂文治が没するのは文政八年か九年(1826)と推定されていますが、二代目の没後、三代目桂文治が襲名するのは、なんと上方ではなく江戸においてでした。

これは、三代目桂文治が初代桂文治の娘であり、二代目桂文治の妹の婿でもあった江戸の船遊亭扇勇が、その名跡を継いだためでした。

つまり、上方落語の系譜に遡る三代目桂文治の名跡が、大坂から江戸へと移ってしまったことになります。

このことから、上方の桂文治門下においては、二代目桂文治の弟子にはあたらないものの、孫弟子にあたる桂九鳥が、三代目桂文治を襲名するということになります。

これにより、江戸と上方において、二人の三代目桂文治が誕生することになったわけです。

これが、今日においても、東京と大阪で「桂」と名乗る落語家が、それぞれの系譜を持ち存在している所以といえます。

上方では、三代目桂文治のあとに、三代目門下の桂慶枝(その前名は桂文枝でした)が四代目桂文治を継ぎます。

一方、江戸においても、三代目のあと四代目桂文治が誕生し、三代目のみならず、四代目についても、江戸と上方で二人の桂文治が存在することになったわけです。

そして、大坂では、上方四代目桂文治の門下に、上方落語の中興の祖といわれる初代桂文枝(かつら ぶんし)が現れることになります。

初代桂文枝は、はじめは桂梅花、そして桂梅香を経て、桂文枝となります。

桂文枝という名前は、その師である上方四代目桂文治の前名を継いだものですが、四代目の前名は桂文枝の代数にはいれないとされることから、初代桂文枝が一代目にあたることになります。

初代桂文枝は、結局上方五代目桂文治を継ぐことはなく、本名も明治の戸籍の編成(壬申戸籍)で桂文枝と改名します。

それ以降、上方桂一門の止め名は、事実上桂文枝になったというわけです。

初代桂文枝が活躍したのは、幕末から明治にかけての頃で、大坂がちょうど上方落語の黄金期を迎えようとしていた時代といわれています。

初代桂文枝は、当時の大坂の最高名人といわれており、明治初年に十八番の落語「三十石」を質入れしたことは、つとに有名な話として残っています。

江戸に移った桂文治の名跡は、昭和になって一時期上方に戻ることはあったものの、今でも江戸桂一門の止め名になっていることから、初代桂文枝は、まさに上方桂一門の中興の祖であるとともに、上方落語の中興の祖ということになるのではないでしょうか。

大阪春秋第99号「落語の創成~隆盛 露の五郎」(大阪春秋社)より

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by kokokara-message | 2011-07-28 22:24 | 大阪

ボルサリーノ

本日、梅田にあるウエスティンホテル大阪のレストラン・アマデウスでランチを採る。

ここでランチを食べるのは数ヶ月ぶりであるが、ウエスティンならいつもアマデウスである。

選んだメニューは、前菜とデザートがバイキングになっていて、メインは数種類の料理から選択する。

ダイエットを考えていつも魚料理中心に選んできたが、本日は但馬鶏のソテーきのこ添えを選ぶこととする。

素材である但馬鶏の風味が十分に生かされた、シンプルではあるがたいへん美味な料理である。

量が控えめであるのもうれしい。

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食後のデザートには、バイキングからイタリアンジェラートを盛り合わせて、ティラミスとともに摂取する。

また、この時期ウエスティンでランチを摂ると、ホテル内のペストリーショップ「コンディ」でフルーツケーキ(月変り)がお土産としてもらえることになっているのはありがたい。

本来なら、食後のカロリー消費のため、梅田から難波まで歩行をするところであるが、本日は阿倍野近鉄で買い物の予定があるのでそのままJRで移動をする。

本日の買い物の目当ては、ボルサリーノのパナマ中折れ帽である。

私のとってのパナマ帽は、黒澤明監督の映画「生きる」や「酔いどれ天使」などで開襟シャツスタイルの志村喬が真夏の灼熱下で着用する帽子というイメージがある。(ボルサリーノではなかったかもしれないが)

また、ボルサリーノは、ご存知のとおりイタリア、ミラノの老舗ブランドであり、パナマキート(エクアドル産本パナマ素材)を使用したセンターデント(中折れ)が特徴のパナマ帽が定番商品となっている。

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私が選んだパナマ中折れ帽は、色はナチュラルなホワイトでリボンがブラックという、シンプルではあるがとてもおしゃれな帽子である。

明日は立秋。残暑お見舞い申し上げますといいたいところであるが、今年の夏はこれからが本番になるのかもしれない。

映画の中で志村喬が演じていたように、パナマ帽を着用して炎天下に出かけるということが、今年の残りの夏の過ごし方となるであろうか。

そんなことを思いながら、リアルに摂取カロリーがオーバーしているため、夕食はS&Bのレンジでチン289キロカロリーで済ますこととしてカロリー調整を行った。

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by kokokara-message | 2009-08-06 23:07 | 大阪

モンブランケーキを食したあとの帰宅の経路は、JR大阪駅から御堂筋を南下してJR難波駅まで約5KMの区間を歩くことである。

モンブランケーキで摂取したカロリーが、少しは消費できるものと思いながら、休日の午後の御堂筋を歩く。

日差しが強い時間帯であるためか人通りは少ない。
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いつも思うのであるが、大阪で唯一首都東京に対抗できるようなビジネス街の景観は御堂筋だけではなかろうか。

この20年で御堂筋の多くのビルの看板は入れ替わってしまったが、昔のままの看板、ロケーションというビルも少しは残っている。

また、御堂筋沿いには日本銀行の近代遺産や、北御堂、南御堂、坐摩神社などの神社仏閣という聖地も多く、現代の殺風景に歴史の息吹を送り込んでくれているようだ。

御堂筋の一本東側には堺筋が位置しているが、こちらは時代の流れとともに寂れた印象を発信するようになってしまった。風俗店の多さは街全体の品格をさらに落としている。

大阪を代表する御堂筋が、このままの景観を保ちながら後世に残っていくことを祈りつつ、長堀通りで一本西側の四ツ橋筋に折れることとして、御堂筋に別れを告げた。

JR難波から電車で帰宅したあと、夕方の体重測定を行う。

結果は、64.7KGである。

前日の夕方の体重が64.6KGであったことから、0.1KGの微増である。

もちろん、この程度の微増微減は誤差の範囲と判断し、スルーする。

3分の1だけのモンブランケーキであったが、摂取すると判断するまでの10ヶ月の過程を思いをはせる。

私のダイエットがリバウンドしないで維持できている最大の理由は、今も低カロリーダイエット成功の秘訣5か条を継続できているという単純明快な理由に突き当たる。
一見矛盾するようであるが、モンブランケーキもかき氷も、時にはベーカリーバイキングもOKなのである(もちろん前後で摂取カローリー調整は必要)。

要は高カロリー食品が習慣とならないようにコントロールされるということが、ダイエットのもうひとつの目的である。

ダイエットは低カロリー食品だけを選択的に食するという我慢比べではないということである。

ほどよく制御された欲望こそが、質の高い健康な生活をサポートしてくれると思いますが、いかがでしょうか。

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by kokokara-message | 2009-07-20 09:37 | 大阪

昨日、朝からJR大阪駅周辺まで電車で出かける。

梅田で所要を済ませたあと、昼食に阪神百貨店のティサロン・コペンで、サンドイッチとモンブランケーキのセットを注文する。

もちろん、ここの店のお勧めは、ロイヤルコペンハーゲンの食器で飲食ができることであることは言うまでもない。

しかし、この店にはもうひとつお勧めがある。

それは、ティサロン・コペンが外注している特製のモンブランケーキである。

他の店では味わえない大変美味なモンブランケーキで、梅田に来る機会があればよく利用する店のひとつとなっている。

昨年の10月にダイエットを始めて以来、好物であるティサロン・コペンのモンブランケーキは食することを控えていたが、今回は3分の1だけ食することと決めて注文することにする。

ここのモンブランケーキは、薄い座布団のようなスポンジケーキの上に濃茶マロンを乗せ、その上にはたっぷりのマロンクリームがここぞとばかり8センチほどの高さまで盛られている。
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上記の写真のように、カスタードクリームとフレッシュクリームに濃茶マロンが添えられたお皿の上で、モンブランケーキは圧倒的な存在感を示している。

マロン(栗)はというと、ケーキの中とお皿の上の計2個という贅沢な使われ方がされている。

満を持して、高さ8センチのモンブランケーキの真上から縦方向にまっすぐフォークを入れる。

断面は一面がマロンクリームで、下方に薄いスポンジケーキと洋酒で煮詰めた濃茶マロンが控えめに顔を覗かせている。

一口食するが美味の一言。マロンクリームはとてもきめ細かでしっとりした風味である。

続けて二口、三口と食べたところで、ふと私はダイエット中であったことを思い出して、もう一口だけ食し、そしてお皿の上のマロンを平らげることとする。

残念ではあるが、あとの3分の2のモンブランケーキは、同席の妻に差し出して食してもらうことにした。

1年ぶりのティサロン・コペンのモンブランケーキであった。

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by kokokara-message | 2009-07-19 20:48 | 大阪