日本と沖縄(全編)

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日本と沖縄~プロローグ


現在の日本は、産業金融化による競争力の弱体化、低金利政策による円の弱体化、人口減少による購買力の弱体化というような、日本経済全体の相対的な地盤沈下が生じているといえます。


日本の経済成長をターゲットとした金融自由化や構造改革という政策が行われました。


しかしながら、グローバリゼーションである国際化がもたらしたものは、情報化による負の側面のマネーゲームであり、結局豊かさはもたらされることはなく、産業基盤の空洞化まねいてしまうことになりました。


G20などの世界協調による金融規制が行われることがない限り、今後ともマネーゲームは、世界各国の経済をかく乱させることになるのではないでしょうか。


日本の経済力を低下させたもうひとつの原因は、この十年間に起こった、やはりグローバリゼーションの影響としての国際秩序の再編という激変です。


たとえマネーゲームの影響を受けたとしても、実体経済を支えることになるのは、強大な生産力と広大な購買力、そしてこれらを支える鉱物資源という、実にシンプルな経済原理に回帰します。


従って、経済成長が期待できる人口や豊かな鉱物資源を保有することができる国(中国、ロシア、オーストラリアなど)が、これからの世界経済をリードするということになります。


英米を中心としたグローバリゼーションは、今から100年前に、近代化として開始されましたが、現在に至って、その中心は、中国、インド、シベリアを含むロシア、そしてオーストラリアなどのアジア地域にその拠点がシフトしているといえます。


東アジアは地政学的に多極化のする世界の一極ということになりますが、日本はこの東アジア経済圏において、いかに経済力の相対的低下を食い止めることによって生き延びるかが喫緊の問題になってくるのではないでしょうか。


従って、日本が東アジア経済圏のなかで生き残っていくためには、今一度日本にとっての異文化である東アジアと向き合うという経験が求められています。


つまり、かつての日本が近代化の途上で、東アジアに対して採った行動や振る舞いというものを改めて見直してみることが必要になってくると思われます。


「日本と沖縄」という論考は、日本の近代史における一断面にすぎませんが、日本や日本人を知るためのひとつの手がかりになるのではないかと思われます。


この論考は2008年晩秋、リーマンショックから間もない時期に記述したものです。


現在の日本は、残念ながら、もう世界経済の中心にないということを改めて認識し、欲望で肥大化した自我を等身大にもどすことが必要になると思われます。


昨今の国際情勢からすると、再び東アジアと向き合わなければならない時期が到来しているのかもしれません。


少々長い論考になりますが、皆様が自分について、つまりは日本と日本人について考えていただくきっかけになれば幸いです。

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日本と沖縄 

(小熊英二「単一民族神話の起源」「<日本人>の境界」から)


この論考は「日本と沖縄」というタイトルとなっていますが、沖縄(琉球処分)以外にも台湾領有や韓国併合についても言及しております。

そして、タイトルの副題にもあるように、小熊英二氏の「単一民族神話の起源<日本人の自画像の系譜>」及び「日本人の境界<沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から解放運動まで>」の著書の内容から重要と思われる箇所を抜粋し、私なりの解釈を加えて記述した内容となっています。


一般に、沖縄や台湾や朝鮮に対して日本がとった行動は、欧米や東アジアという「異文化」との出会いが日本にもたらした衝撃や不安や脅威という心理状態から説明することができるものといえます。


そして、日本の海外への進出は自閉的な「民族の神話」によって支えられたものであって、植民地支配を正当化することになった「民族の神話」は、日本人のナショナル・アイデンティティの揺らぎからの逃避のために類型化(カテゴリー化)されたものということができそうです。


現在、日本社会はグローバリゼーションという国際秩序の再編の流動化によって様々な社会の変化が進展しています。


このような日本の社会を取り巻く環境の変化は、私たち日本人に異文化や理解不能な他者と出会う機会を増加させることになります。


私たち日本人は、異文化や理解不能な他者との出会いに対して、どのように対応し、どのように行動することが求められているのか。


また、私たちは異文化や理解不能な他者との出会いの結果もたらされる、異文化間や民族間の紛争にみられる報復の連鎖をいかに断ち切り、いかにして「信念対立」という厄介な問題を乗り越えていくのか。


これらの問題はいずれも適切な解答を得ることがとても難しいことと言えますが、現在の私たちには避けて通ることができない問題であることは言うまでもありません。

では、日本の近代化の国際関係史を振り返りながら、このようなアポリア(難題)について考察してみたいと思います。

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第1章 日本と沖縄の関係史


沖縄の島に人が住み始めたのは約3万年前の旧石器時代といわれています。


そして、中国史に「流求」の名前が登場するのは7世紀のはじめ頃でとされており、内地では聖徳太子が遣隋使を派遣した時代にあたります。


但し、ここでいう「流求」は沖縄ではなく台湾のことを指すのではないかともいわれています。


内地における鎌倉時代から室町時代にかけての頃、琉球では北山、中山、南山の三大勢力が争い合う戦国時代(三山時代)を迎えます。


その中で、1429年中山王の尚巴志(しょう はし)が三山を統一、琉球王国をつくりあげます。

そして、第一尚氏の王朝時代が始まりますが、その後琉球王朝内に内乱が生じ、王朝は第二尚氏へと移り変わっていくことになります。


ただ、第一尚氏、第二尚氏の琉球王国は、中国の明から継続して冊封(さっぽう)を受けてていたため、経済的には明との朝貢貿易で繁栄することになります。


また、明の時代、琉球王国は日本や李氏朝鮮、南方のジャワ、スマトラなどに貿易の行動範囲を広げ、東南アジア諸国間の中継貿易に活躍しました。


1609年、薩摩藩が武力によって琉球王朝を侵略します。

これ以降、薩摩藩は琉球王国を実質的な支配下に置きながら、琉球王国が中国との朝貢冊封関係を維持することも許すことになります。


これは朝貢貿易を通じて琉球王国に流入する中国物産品を薩摩藩が独占できることや琉球の特産品である砂糖などを独占的に収奪できることなど藩の財政を潤わせることで、幕藩体制化における経済的優位性を維持することができました。


そして、薩摩藩による実効支配は、琉球王国を日本化へと向かわせるようにも思われましたが、実際の琉球王国の生活様式の変化は亀甲墓や風水思考などに見られる中国化という方向でした。

これは、琉球王国が中国の明との朝貢冊封関係を維持していくために採った戦略で、琉球王国が薩摩藩に支配されている事実を中国の明に隠蔽するためとされています。

また、琉球王国は明の衣装を纏った慶賀使を将軍の代替わりごとに江戸に派遣していますが、これは琉球王国があくまで中国の明の臣下にあることを幕府に誇示する目的であったとされています。

つまり、琉球王国の生活様式の中国化は、江戸時代以降に政治的な目的から戦略的に進展したものであって、したがって現在沖縄で見られるような多くの生活様式の中国化はそれほど昔からのものではないということになります。

徳川幕府の時代以降の琉球王国は、日本(薩摩)と中国の明(のちの清)の両方に属して支配されるという位置を選択していたということができます。


1968年明治維新、徳川幕府に替わる明治新政府が政権につきます。

1871年明治新政府は琉球王国を日清両属支配としたまま、琉球王国を薩摩藩の所轄として廃藩置県の実施をします。


その翌1872年には琉球王朝は残したままで、日本の直接支配とする琉球藩を設置します。


このとき、琉球王の尚泰が琉球藩主になるとともに、日本の華族に列せられることになります。


つまり、1872年琉球王国は事実上日本に併合されることになったということです。


そして、1879年には琉球処分が実施されます。

琉球処分とは、日本が事実上併合関係にあった琉球藩を沖縄県とすることで日本の一部に組み込むということです。

この琉球処分によって琉球王国は実質的な廃止となりました。


日本政府が琉球処分を実施することに至った背景には、東アジアの国際秩序の形成過程として見ることができます。


つまり、国境と国民が確定される近代国民国家においては、ある地域が二つの国(日本と清)に両属するということはありえないことです。


また、琉球処分による「直接統治支配」の方法以外にも、イギリスとインドの関係のような「間接統治支配」による植民地関係があります。

もし日本と琉球の関係が「間接統治関係」であったとすれば、琉球は日本の一部ではないことになってしまい、この結果中国の清や欧米諸国が琉球王国を奪取して植民地化することも可能となります。


日本は欧米の先進国に対する後進国として近代国民国家を形成したため、常に欧米列強の武力の脅威にさらされることとなり、この脅威から国を守る国防政策が優先されることになったわけです。


その国防の拠点として琉球を日本領土として版図(はんと)にいれることは、その住人である沖縄人を「日本人」として包摂をすることでもあり、国防上の国家資源として沖縄人を確保するということになります。


琉球処分以降の沖縄では、「第2章 沖縄人への同化政策」で見るような同化政策が実施されます。

同化政策は、その過程で沖縄人を包摂する一方で差異に対しては排除が行われることとなり、やがて、同化政策による沖縄支配は沖縄人を日本人化することになっていきました。

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第2章 沖縄人への同化政策


日本政府は、琉球処分をおこなう際には諸外国に対して、歴史、言語、人種などを理由として琉球人は古来より日本人であるということを主張しています。


これは、近隣諸国の国境紛争においては民族の差異よりも同祖を主張することが領土領有の正当性となるために日本が琉球との同祖を主張したと考えられます。


しかしながら、琉球王朝は日本が主張するような日本と琉球が同祖という歴史観を共有していたとは必ずしも言えず、また中国の清やアメリカのペリーも日本と沖縄(琉球王国)は別な民族であるとみなしていたようです。


1879年の琉球処分によって日本の一部に組み込まれた沖縄では、まだ「日本人」として自覚のない沖縄人を「日本人」に改造するという作業がはじまります。


このことを同化政策と呼んでいますが、沖縄人に対する同化政策は、まずは教育、つまり「日本人化」教育によって始まることになります。


沖縄人を日本人に改造することが、沖縄人の日本への忠誠心を育成することにつながるものと考えられ、国防上の国家資源である「日本人」を育成するという目的もあったとされています。


しかしながら、一方では、同化政策そのものが当時の日本の不安と自信不足の現れであったともいわれています。


日本の不安の解消のために沖縄人に同化という犠牲を強いるサデステックな心理状態は、同様に欧米において後進国であったロシアが周辺地域を同化していく過程のと類似性が指摘されています。


日本やロシアのような後進国における支配と被支配という両義的な関係性は、支配された被害者意識を謳いながらも、同時に支配するという侵略行為の正当化に向かうことになる事例は、当時のみならず現在の国家や地域紛争においてもよく見られることです。


沖縄人に対する教育においては、内地でまだ有料であった初等教育が沖縄では無料とされることになり、また就学者への補助金や文具の支給も行われていた模様です。


これは日本政府が赤字を出してまでも、沖縄を国防拠点とするために、何としても沖縄人を「日本人化」するという目的が優先された結果であるとされています。


また、沖縄における初等教育の対象者数は内地に比べて少なく、財政負担が少額で済んだことが無償教育の実施の理由として挙げられています。


当初は沖縄人の初等教育への就学率は低かったのですが、1894年日清戦争で日本が清に勝利した後には就学率が一気に上昇することとなり、1904年には93%まで上昇することになります。

沖縄人の中国の清から日本への志向性の変化が見て取れる時期でもあります。


教育においては、「日本化教育」に対しての「文明化教育」があります。


内地では、欧米文明の「普遍性」に対する日本文化の「特殊性」が強調されていました。


これは、日本における「文明化教育」とは欧米化のことであり、「文明化教育」を進めるだけでは日本の脅威の対象である欧米に対する憧憬につながりかねません。


つまり、文明化することと日本化することには大きな矛盾があったということです。


沖縄では衛生面の指導や勤勉、貯蓄、進取の気性などの「欧米文明化」は進められましたが、しかしながら当時の沖縄における普遍文化とはあくまで日本文化のことであったわけです。


したがって、沖縄人の日本人化を進める、つまり日本人に同化統合するという教育が、沖縄人が欧米にむかう文明化より優先されることになったことは言うまでもないことです。


沖縄に徴兵令が施行されるのは、1898年です。

宮古・八重山への徴兵令の適用はその4年後(1902年)からです。


また、沖縄において国政による参政権が実現するのは、1912年です。


しかしながら、その14年前の1899年には衆議院議員選挙法が改正されて、沖縄に選挙法を施行する旨の法文改正が行われています。

ただし、施行期日は勅令を以って定めるとされていました。


これは、1899年当時の沖縄には王朝時代の税制がそのまま残っており、土地の私有権もいまだ明確ではなく、従って当時の納税額による制限選挙の参政権対象者が確定できない状態にあったためとされています。


そして、沖縄において国政による参政権が実現した1912年には衆議院議員選挙法が勅令により、衆議院議員定数2名(宮古・八重山を除外)で施行されました。


その後1919年には再び選挙法が改正され、除外されていた宮古・八重山に参政権が与えられ、沖縄における衆議院議員定数は5名に増えることになりました。


以上のように、1912年に沖縄に国政の参政権が施行されたことによって、沖縄は「日本」として法制的に位置づけられることになったといえます。


参政権までの過程を段階的に見ると以下のとおりです。


1 沖縄での土地整理が終了して納税義務である税制が整ったこと。


2 国民教育実施とその就学率が飛躍的に向上して日本化が進んだこと。


3 地方制度整備として地方選挙が1907年には町村制、1909年には府県制が施行されたこと。


4 1898年に徴兵令が施行されたこと。(日露戦争には2000人を超える沖縄出身兵が参加していたということです)


5 そしてこれらのことを踏まえて1912年に参政権が沖縄県に付与されることになりました。


廃藩置県から約40年が経過して法制上沖縄の同化政策が完了したということになります。


このように、沖縄は約40年でほぼ完全に日本に包摂されたことになりますが、これに対して1895年領有することになった台湾や1910年に併合した韓国では、最後まで法制的に日本に包摂されることにはなりませんでした。


沖縄の日本への包摂が進展した要因としては次のことがあげられます。


1 沖縄は地理的に距離が近く領有時期が早くて(1879年)、明治憲法の発布(1889年)に間に合ったこと。


2 沖縄は人口が少なく徴兵制や参政権付与による日本への影響が少なくて政府が決断しやすかったこと。


3 義務教育制度もやはり対象人数が少なく財政負担が少なくてすんだこと(台湾や朝鮮の初等教育は無料にはなっていなかったようです。)


しかしながら、同化政策として沖縄が法制的には日本に包摂されたとは言え、徴兵されることになった沖縄人部隊が単独で編成されることはない等(沖縄人部隊は熊本部隊などの九州の部隊に分散配置されました。)包摂と排除の関係も見られることになりました。


一方、イギリスによって「間接統治支配」が採られていたインドでは植民地部隊としてインド人だけの単独部隊が編成されていたという事実からは、包摂と排除の関係性の複雑さを伺うことができそうです。

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第3章 台湾と朝鮮における民族政策


近代国民国家の特徴のひとつは、その均質性(平等)と閉鎖性(国境)であると言われています。


もともと沖縄には、琉球王朝時代からの多種多様な地方言語(方言)や階級秩序が存在し、国境そのものも不確かなものでした。


国民国家の形成過程にある日本は、まず沖縄を日本の一部(国境の内部=琉球処分)とし、次に沖縄を同化政策によって法制的に「日本」として位置づけることになります。


さらに地方言語(沖縄本島と八重山諸島では今でも地方言語=方言は通じません)を統一させるために標準語の普及を図っていきます。


つまり、標準化による沖縄の均質化が図られることになりました。


なかでも、言語の標準語化を進める過程においては、柳宗悦の民藝運動と沖縄側との沖縄言語論争が発生することになります。


これは、民藝運動が沖縄における地方言語の多様性を評価したことに対し、沖縄側が標準語の普及こそが沖縄の発展と差別の解消であると主張することになる論争です。


同化政策の意義として、沖縄人に「日本人化」することを強要したという一面が強調されがちですが、沖縄内部には旧秩序としての差別の構造が依然残っていたため、標準語はこれらを破壊し、沖縄人内部の平等(均等性)を確保することに寄与した一面もあったとされています。


このように、何をどこまで均質化するのかという問題は、沖縄の内部においても、外部からもその立場や世界観によって意見や考え方が分かれるところでもあるといえそうです。


沖縄ではこのように法制的にも言語的にも「日本人化」が進んでいきましたが、同じように日本によって領有された台湾や併合された韓国では、台湾人や朝鮮人が最後まで
「日本人」として位置づけられることはありませんでした。


台湾や朝鮮においても同化政策は実施されましたが、最後まで日本人との平等(均質性)は確保できないという状態に置かれることになります。


つまり、台湾人や朝鮮人は「日本人」であって「日本人」でないという、文化的だけではなく法制的においても、包摂でもなく排除でもない未分化で曖昧な状態におかれることになりました。


国防政策上の国家資源の確保という理由から、沖縄と同様な同化政策が、台湾や朝鮮に対しても実施されることになりました。


また、日本が台湾や朝鮮を民族的には「同祖」と主張したのは沖縄の場合と同様です。


近隣地域との国境確定には、民族的な同一性を根拠として主張することが、その正当性を担保することになることは沖縄のケースで見たとおりです。


「第4章 日本民族起源の神話」で詳細に考察することになりますが、日本の主要な学説であった「混合民族論」の内実は過去における「同祖」と将来の同化への「漸進」であるとされており、この学説が、日本が近隣諸国へ海外進出を進めるうえでの学問上の根拠となったものとされています。


そして、沖縄で見たような法制面や言語、文化面での同化政策が、台湾や朝鮮では進展しなかったことの原因のひとつとして、台湾や朝鮮の総督府側(むろん日本人です)と日本の帝国議会、軍部、官庁などの内地側との権力闘争(セクショナリズムの争い)が原因であったという見方があります。


台湾や朝鮮に総督府が設置されましたが、総督府(むろん日本人です)は現地における実質的な立法権、行政権、司法権を握っていました。


内地側からの総督府の既得権限の縮小という方針には、現地の総督府側は当然抵抗することになります。


たとえば、台湾人や朝鮮人を「日本人」と位置づけることは法制面での同化政策の進展になりますが、総督府にとっては台湾や朝鮮で統治を行う管轄や権限の縮小ということになり、総督府は法制面の同化政策に反対するということになります。


総督府側では同化政策批判の言葉として「異民族の旧慣尊重」を使用しましたが、これは現地の特殊性を尊重することを求める「民族政策」の言葉といえます。


しかしながら、内地側と既得権益で対立していた総督府側が使用した「民族政策」の言葉が、台湾人や朝鮮人の主体性を守ることを目的として使用されていないことは当時の台湾人や朝鮮人がおかれていた植民地支配という文脈から冷静に考えれば、疑問のないところと言えそうです。


一方、帝国議会は法制面での同化政策によって台湾人や朝鮮人を「日本人」と位置づけることに賛成ではあっても、帝国議会の影響力の低下を考えなければならないという事情がありました。


つまり、台湾人や朝鮮人に「日本人」としての参政権が付与された場合には、多数の台湾人や朝鮮人が衆議院議員として帝国議会に入ることになります。

これは、内地議員の帝国議会における影響力の低下が危惧されることから、内地側では法制面での同化政策は限定的なものにしたいという事情もあったようです。


しかしながら、内地側から総督府側を批判する言葉としては、「内地延長主義」という台湾や朝鮮にも日本の均質性(平等)を延長するという「ナショナリズム」の言葉が使用されることになりました。


これは、総督府側の権限を縮小し、その管轄を内地側に包摂したい目的から使用された言葉といえそうですが、同時に法制面での同化政策については限定的という事情を抱えていたことから、内地側の態度は矛盾したもので、ダブルスタンダードになっていたということになりそうです。


「異民族の旧慣尊重」という「民族政策の特殊性」を表現した言葉、あるいは「内地延長主義」という「ナショナリズムの均質性」を表現した言葉が使用されていながらも、その内実はと言うと総督府側と内地側の権力争い(セクショナリズム)のために使用された言葉に過ぎなかったということになりそうです。


このような曖昧な言葉の使用が可能であったその背景には、総督府の管轄の範囲が民族単位の境界と、たまたま、ある程度重なっていたためといわれています。


つまり、総督府は併合や領有した朝鮮や台湾の領土をその管轄下においていたため、その管轄範囲が朝鮮人や台湾人という民族単位とはほぼ重なっていたということです。


このことが、各々の権力争い(セクショナリズム)の正当性を、民族政策やナショナリズムという言葉で表現することが可能になった理由とされています。


ただし、実際には、総督府の管轄下には内地から移住した「日本人」も多くいたため、このことが更なる総督府と内地の統治の矛盾を招くことになります。

では、実際に台湾人や朝鮮人に対しては、どのような法制が適用されていたのでしょうか。


沖縄人の例で見たように、日本の同化政策にとって、「日本人化」の重要な指標は、徴兵制の施行と参政権の付与のふたつが挙げられそうです。


法制上の位置づけとして、朝鮮人や台湾人は、まずは「国籍法」上は日本人(国籍は日本人)として扱われていました。

しかしながら、内地における戸籍法の適用はなく、戸籍については台湾や朝鮮の本籍がそのまま適用されていました。


これは、「戸籍法」という法律が、それまでの日本人に対して適用される属地法のままであったということです。

次に「兵役法(1927年施行)」は、戸籍法の適用を受ける者が対象となる法律でした。

つまり、「兵役法」と「戸籍法」の適用範囲は同じということになります。

したがって、「戸籍法」の適用になっていない台湾人や朝鮮人は、「兵役法」の徴兵義務は発生しないということになってしまいます。


このため、「兵役法」はその後改正されることになり、朝鮮には1943年、台湾には1945年に徴兵制が施行されることになります。


また、「戸籍法」においては、朝鮮人や台湾人が朝鮮などにあった本籍を内地に移すということができました。

つまり、婚姻などを理由に本籍を内地に移すことで、朝鮮人や台湾人は「戸籍法」が適用されることになります。


したがって、「戸籍法」が適用された朝鮮人や台湾人には「兵役法」が適用されることになるため、徴兵義務は発生することになります。

次に、国政の参政権付与に関する法制はどのようになっていたのでしょうか。

朝鮮人や台湾人は「国籍法」上は日本人でしたが、「衆議院議員選挙法」は属地法であったため、「衆議院議員選挙法」が施行されていない台湾や朝鮮在住の台湾人や朝鮮人には国政への参政権はないという状態でした。

しかしながら、1945年「衆議院議員選挙法」が一部改正されることになり、台湾や朝鮮にも国政の参政権付与の決定がされることになります。

しかしながら、その施行は沖縄の場合と同様、別に勅令で定めるとされていたため、結果的には台湾や朝鮮に最後まで「衆議院議員選挙法」は施行されることなく、終戦を向かえることになります。


つまり、法制上の日本人の指標となる、徴兵制は1943年以降施行されましたが、国政の参政権は最後まで台湾や朝鮮には付与されなかったということです。


先に総督府側と内地側のセクショナリズムの争いについて説明をしました。

朝鮮人や台湾人に対する法制面の適用の進展やその範囲の決定についても、総督府側と内地側のセクショナリズムの影響が大きかったということができそうです。


そして、総督府側と内地側の官庁間のセクショナリズムの境界が曖昧となった結果、次のような特殊な事例が生じることになります。


内地在住の徴兵義務のない朝鮮人や台湾人に対して、国政の参政権が付与されるという権利と義務が逆転した事例です。


内地に在住する朝鮮人や台湾人は属地法である「衆議院議員選挙法」の適用対象になりますが、本籍を朝鮮や台湾に置いたままであれば属地法である「戸籍法」の対象とはならならず、「兵役法」の徴兵義務は発生しないということになります。


また、逆に朝鮮や台湾に在住する内地人植民者(内地からの移住者)であっても本籍が内地にあり「戸籍法」の適用となれば、たとえ外地にあっても「兵役法」の徴兵義務は免れず、一方「衆議院議員選挙法」は朝鮮や台湾に施行されていないため。移住先の内地人植民者に国政の参政権は賦与されないということになってしまいます。


当時の民族政策である同化政策は、沖縄の事例でも見られたように、まずは義務の履行(1898年徴兵義務)が求められることになり、その履行状況から判断して権利(1912年参政権)が付与されるということが一般的な経過でした。


しかしながら、今見たこれらの事例では、日本人の権利義務と朝鮮人や台湾人の権利義務が逆転してしまっているということになります。


これらの逆転は、総督府側と内地側のそれぞれがともにその権限を主張するほどの権益でない(空白地帯)と判断したために起こった稀な現象と言えます。


つまり、セクショナリズムによる権限の空白地帯の特殊な事例ということになり、このような現象によって1930年代には(当時は制限選挙であったために被選挙権は一定額以上の納税者が対象でした)「戸籍法」の適用とならない東京都在住の朝鮮人が衆議院議員に当選するという唯一の事例が存在しています。


これらの矛盾した事例からすると、日本が台湾や朝鮮に対して採った民族政策は、民族単位に包摂や排除を行うという整合的な一貫性のある政策とまで言うことは出来ず、どちらかといえば官庁間のセクショナリズムによって日本人の境界が動くことになる、ご都合主義といわれても仕方のない側面があったのかもしれません。


このような日本の同化政策の結果、台湾人や朝鮮人は国籍は「日本人」であって、法制上は「日本人」でないという状態に放置されることになり、包摂と排除は曖昧な状態に置かれていたということになります。


包摂と排除の曖昧さは、支配する側にとっては恣意的な境界の決定という強い支配機能を発揮できることとなり、一方支配される側にとっては恣意的な境界の決定による大いなる苦痛を強いられるということになります。


ただ、衆議院議員に当選した内地在住朝鮮人に見られるような特殊な事例(曖昧な抜け穴)が、支配者が恣意的に決定する日本人の境界を、支配される側から変容させる抗争の足場となっていくことになるということです。

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第4章 日本民族起源の神話


日本には、国防政策という目的から同化政策を進めていくという大まかな方針はありましたが、台湾や朝鮮に対して採った日本の同化政策は、セクショナリズムとご都合主義による一貫性のないものであったことについては、先に指摘したとおりです。


日本の同化政策は、日本の不安や自信の不足という心理状態の投影である可能性については先に少し触れたとおりです。


ところで、当時の植民地支配には、イギリス型とフランス型がありましたが、主流はイギリス型の「間接統治」であって、フランス型の「同化主義」は現地人に苦痛を多く与えることになるため、植民地支配に適さないとされていました。


このような中にあっても、日本が民族政策論として同化政策論を採用し、同化政策(同化主義)を進めていくためには、その正当性を示すための学術的な根拠が必要となります。


そして、人類学、歴史学、言語学、民俗学などの学問分野から主張された日本民族起源論が「混合民族論」と呼ばれるものであって、これが日本の「同化政策論」の学問的根拠とされることになります。


日本民族起源論は、古くから各種の多くの学説が主張されてきました。

特に明治以降は、日本が近代国民国家として形成されていく過程にあって、また日本が海外に進出して外地に領土を領有し併合するなどの政策面の必要から、国家の形成と領土の領有の正当性を主張するという機会が多くなってきます。


日本民族起源論の学説を大まかに区分するとすれば、明治から戦前までは「混合民族論」が多数を占めることになり、戦後になってから一時期「単一民族論」が主流を占めることになります。


これは意外という印象も受けますが、あくまでも「単一民族論」が主流になるのは戦後の一時期ことであって、戦前までは「混合民族論」が主流であったということになります。


戦後における「単一民族論」も、高度経済成長期に日本が経済大国となって国際的な展開をするようになると、再び「騎馬民族渡来説」などに見られるような「混合民族論」が主張されるようになってきます。


つまり、敗戦後のサンフランシスコ講和条約によって日本の領土が縮小し、内政重視となる経済復興期に「単一民族論」が主張されていたということになり、一方明治から戦前において日本の帝国主義が拡大する時代と高度経済成長期に日本の経済活動が拡大する時代に「混合民族論」が主張されていたということになります。


そして、ここで先に結論を述べておくと、日本民族のその起源について決定的な定説は現在においても存在していないということです。

残念ながら。


では一体、多くの論者たちが日本民族起源の学説を主張することで、一体何(どのような物語)を語ろうとしたというのでしょうか。


戦前の日本とは、欧米先進国からの脅威を感じながらも、一方では日本の周辺地域に進出していく時代でもありました。


日本が明治以降に進出した地域は、沖縄をはじめ台湾、朝鮮などの近隣地域であり、日本と比較的距離が近いことと、そこに住む人たちは人種的にも、宗教的、文化的にも比較的日本人と近い存在であったということが言えます。


つまり、日本が明治以降に進出した地域は、日本とは民族間の明確な差異が認識されにくかったということが特徴であったと言えそうです。


「第1章 日本と沖縄の関係史」で見たように、琉球処分の際に国際的に問題となったことは、琉球人は日本人と同じ民族かどうかということでした。


そして、近隣諸国間での国境紛争においては、民族的に同じであることが国境の位置を移動させるための正当性な根拠になるということです。

したがって、琉球処分においては、日本は日本民族と琉球民族が「同祖」であることを主張しました。


また、同様な理由から、台湾人や朝鮮人についても民族の「同祖」について主張をしていくことになります。


端的に言えば、「混合民族論」とは、日本民族は単一民族ではなく南方系や北方系などいくつかの民族によって形成された混合民族という学説です。

そして、「混合民族論」では、沖縄や台湾や朝鮮と日本民族との現在の相違(差異)は、遠い過去には同祖(血縁関係)であって「同一」であったと説明されることになり、同化政策論では遠い未来には現在の相違(差異)は漸進して「同化」されることという説明がなされました。


このように、「混合民族論」を根拠とする日本の民族政策は、「同祖」である民族を相手に行われることから、イギリス型の植民地政策である「間接統治政策」ではなく、むしろフランス型の「同化政策」の採用に正当性があると主張されることになりました。


さらに、「混合民族論」を根拠とする日本の同化政策は、英米で見られるマイノリティへの政治的平等や市民権を与えない「差別主義」とは異なり、それらを超えた「人種主義」に当たると理解されて、世の中の論調は英米の「間接統治政策」よりも日本の「同化政策」が優れているという方向に流れていくことになります。


「第2章 沖縄人への同化政策」で見たように、沖縄における法制面での同化政策がいち早く進んだため、沖縄人の中には日本人としてのナショナリズムがやがて生じてくることになります。


一方、台湾人や朝鮮人は最後まで法制面においては包摂には至らず、「日本人」であって「日本人」でないという曖昧な状態が続くことになったため、日本の「混合民族論」を根拠とした同化政策の正当性の主張が、かえって台湾人や朝鮮人との法制面の差異を顕在化させることにもなり、均質化(平準化)の苦痛を強いることになりました。


したがって、日本が台湾人や朝鮮人に対して明確な排除はしないが、完全な平等もないという曖昧な状態を継続させるその根拠が「混合民族論」であったということになります。


「混合民族論」が、戦後一時期における「単一民族論」の例外を除けば、明治時代から現在までの学説の多数を占めることになっていることは、先に触れたとおりです。


また、繰り返しになりますが、日本民族の起源についての定説は、過去から現在に至るまで一度たりとも存在したことはありません。

したがって、明治期において人類学や歴史学や言語学などの各方面から「混合民族論」が主張されたのは、科学的な実証主義に基づいた学説であったというよりは、「混合民族論」を語る論者自身の物語(神話)であったという解釈が適切であるのかもしれません。


おそらく、当時の「混合民族論」を語る論者やその学説に魅かれていった日本人は、日本の近代化が抱えていた問題、つまり欧米に対する脅威や不安、また国防上の理由から海外に展開した領有統治に対する自信不足という、ナショナル・アイデンティティの揺らぎを共有していたということは言えそうです。


つまり、多くの論者や日本人が信じて疑わなかった「混合民族論」は、ナショナル・アイデンティティの不安の投影そのものであり、日本人は「混合民族論」を物語ることによってナショナル・アイデンティティの安定を希求していたと言えそうです。


したがって、日本の海外への進出と統治のための同化政策は、日本人のナショナル・アイデンティティの危機の投影である「混合民族論」の正当化を迂回することで論じられたものと言えます。

これは日本が欧米の脅威の被害者=「被支配者」である一方で、東アジアの加害者=「支配者」という両義的な関係性を抱え込んだまま相対化できなかった結果ということにもなります。


そして、このような後進国の遅れた近代化がもたらした支配と被支配の両義的な関係性は、小熊英二氏によって「有色の帝国」と呼ばれることになります。

つまり、被害者の立場にあった日本が加害者に転じるという屈折した関係性のことであり、近代史を見てみれば日本以外にも遅れた近代化がもたらした支配と被支配の両義的な関係性は散見できるところです。


このことについては、「第7章 結論~有色の帝国」であらためて考察したいと思います。


次の「第5章 家族国家論」では、「混合民族論」で主張された「遠い過去において同祖」や同化政策で主張された「漸進による同化」を日本の家族制度に当てはめながら「日本国家論」として論じようとする試みです。


近隣の沖縄人や台湾人、朝鮮人を同化(包摂)しながらも一方で排除(差別)するという、矛盾した行為を正当化できた(同時に行うことができた)日本人の思考パターンを説明するためのひとつの推論になるのかもしれません。

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第5章 家族国家論


小熊英二氏による「家族国家論」とは、日本のイエを中心とする家族制度を戦前の日本国家にあてはめて論じようとする国家論です。


この「家族国家論」は、「混合民族論」を根拠としており、「同祖」=「兄弟」という考え方がその中心として展開されます。


日本のイエを中心とした家族制度とは、「同化」と「差別」、「服従」と「和」という矛盾を同時に強いるものであり、このため家族構成員の間の権力関係を顕在化させないように包摂と排除という支配の仕組みの矛盾を覆い隠すものになっていました。


このようなイエ制度の仕組みを民族間の秩序関係にあてはめたものが、「家族国家論」ということになります。


日本の家族制度は、中国や台湾、朝鮮の家族制度とは異なっています。


中国・朝鮮は父系血統を原則とし、また同じ姓の者とは結婚できないという「同姓不婚」や違う姓の者を養子にすることは出来ないという「異姓不養」という原則があります。


これに対して、日本ではイエ制度が中心となるため、家族は血統と直結していなくても所属しているイエの名称を名乗ることができます。


つまり、日本の家族制度においてはイエの維持が優先されるため、血統は必ずしも重要とはされず、従って血統に直結しない養子であってもイエに入れば家族の一員となることができます。


このようなイエを中心とした家族制度は日本の特殊性ということになり、「同姓不婚」「異姓不養」を原則とする中国や朝鮮では当然理解されないことになります。


また、日本のイエを中心とした家族制度にとっては、家族であるかどうかの判断は、イエがその者を実利的に必要としているかどうかによって決定されるということが言えます。


たとえば、イエの経営状態が悪化するようになった場合やイエの都合で相手を必要としなくなった場合には、その者を家族として扱うことをやめる(排除する)ということがあります。


日本の会社が「家族的経営」といわれたように、日本の会社組織は、同じ職場にいる間は家族的なつながりを強調しながらも、異動や退職で職場を離れた者に対しては冷淡であることがよく知られています。


また、会社の終身雇用制度の崩壊が言われるようになって久しいのですが、これはそもそも会社組織のありかたが大きく変わったということではなく、もともとイエ制度に内在していた特徴である排除が経営状況の悪化により顕在化したということができるのかもしれません。


イエ組織としての集団観からは、まず「イエという集団」があり、そこからの疎外現象として「個人」が析出されるということとされています。


また、イエとしての集団の本流は、つねに中心のない「みんな」であって、個人的意見は傍流とされています。


そして、多くのイデオローグ(理論的指導者)たちがそうであるように、論理的に語ろうとする者は、誰もが傍流とされることになるとされています。


これらの現象はイエだけに限定さることではなく、日本の世間全般(世の中)においてみられる現象といえそうです。


従って、日本の家族とは、集団観からいうと自己でも他者でもない「みんな」ということになり、同時に家長、兄、弟という自然な上下秩序が存在する制度ということになります。


このような集団は、支配される側を自己と同じものとして平等に遇するものではありません。


兄は、常に上ということになります。


また、他者として明確に区別するものでもないという曖昧な状態に固定化されることになります。


家族は、「みんな」ということになります。


つまり、日本の家族とは、自己でも他者でもないものとして相手を認識しつつ、自然な上下の秩序に押し込める制度ということができそうです。


日本の人類学、言語学、歴史学によって主張された「混合民族論」は、沖縄や台湾や朝鮮などの被支配民族を日本民族と「同祖」とするものでした。


また、「混合民族論」は、沖縄や台湾や朝鮮などを日本民族と同種同文の「兄弟」とし、そして天皇を「家長」し、日本民族を「兄」とする「家族国家論」の中に取り込む役割を果たすことにもなりました。


そして、養子の「弟」とされた被支配民族は、同化を強要されるものの、「兄」を抜くことは出来ず、権力支配を顕在化させずに自然な秩序に押し込める仕組みであったといえます。


かつての古代ローマ帝国のような多民族国家では、小さな共同体の世界観は打破されて、民族をこえた普遍的妥当的理念が生まれることになったと言われています。


日本においては、「混合民族論」とイエ制度による「家族国家論」という擬似普遍性が、その普遍的理念の代用になったということになるのかもしれません。


ただ、「家族国家論」が擬似普遍性でしかないというのは、日本の家族制度があくまで特殊性でしかなかったことからも分かるように、民族を超えた普遍的妥当的理念にはなっていないということです。


外地の領土を領有し併合するために日本が採用した民族政策は、同化政策ということでした。


日本の採った同化政策の根拠については、上記のように「混合民族論」だけではなく「家族国家論」からも、その正当性の説明ができるということです。


以上が「家族国家論」と言われるものですが、日本における法制面での夫婦の名字の統一は1898年の民法で決定されたものであり、それまで夫婦は別々の名字を名乗ることも珍しくなかったようです。


従って、日本のイエを中心とした家族制度といっても、その確定については、歴史的にはそれほど古いことではないということもできます。


また、日本の家族制度が「日本の本質」を体現しているというよりは、むしろ「法制度」によってつくられた側面が大きいのではないかということも考えられます。


小熊英二氏によれば、「家族国家論」は、あくまでも「混合民族論」や「同化政策論」を理解するためのレトリック(修辞)として理解するのがいいということです。


つまり、家族制度によって、日本の社会の全ては決定されるということまでは言えないということです。


あくまで、日本の家族制度を通して見ることで、戦前の沖縄や台湾や朝鮮などの支配のあり方を検証することができれば、日本が採用した「混合民族論」や「同化政策論」についての理解に役立つことになるのではないかということです。

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第6章 類型化の民族神話を超えて


戦前において「国籍法」は朝鮮人や台湾人にも適用されており、朝鮮人や台湾人の「国籍」は日本となっていました。


1952年サンフランシスコ講和条約が発効した際に、日本政府は「戸籍法」の適用となっていない国外や国内にいる朝鮮人や台湾人の日本国籍を一方的に剥奪することとしました。


特に国内にいる朝鮮人や台湾人に対して排除の論理を徹底したいのであれば帰国促進(二世に対する民族教育の援助なども)を図ることになるであろうし、同化の論理を徹底したいのであれば国籍の剥奪は行わずに日本への帰化促進を図ることができたはずです。


しかしながら、日本政府はこのときも明確な排除は行わず、権利の平等化(包摂)も行わないことで、多くの朝鮮人や台湾人が日本国籍を剥奪されたうえでそのまま日本に残るという状態が続くことになります。


日本政府の採った朝鮮人や台湾人に対する行動は、戦前においても戦後においても包摂と排除を曖昧にさせることにおいては通底していたと言えそうです。


「単一民族論」は、1952年サンフランシスコ講和条約が発効し、日本領土と日本国民が縮小した時代に多く見られた日本民族起源論といえます。


「単一民族論」の要素は、①日本民族は単一純粋の起源をもつこと、②従来の血統にあたる人間しか入れないこと、の二つであるとされています。


この場合、①の単一純粋の起源とは事実上その判定が不能であるため従属的にならざるを得ず、②の従来の血統にあたるかどうかが重要な要素とされることになります。


「従来の血統」を純血主義と考えることは、たしかに「単一民族論」の重要な要素ということになるのかもしれません。


しかしながら、この場合も「従来の血統」は具体的な血統だけを意味するものではなく、つまり純血主義がその本質になるということではないということです。


「家族国家論」で見たように、「従来の血統」とは、イエ制度から見た場合には純血主義までを求めるものではなく、実利的に構成された同一な言語や文化や習慣を持った「みんな」ということになります。


あえて言うのなら、家族である「みんな」から疎外された同化しない他者とは出会いたくない(無化する=黙殺する)ということであって、このことによって「単一民族論」である「従来の血統」は守られることになると考えられていたようです。


日本民族起源論の論者は、自分自身を含めて日本が弱い時代には「単一民族論」で身を守ることになり(一国平和主義)、強くなろうとする時代には「混合民族論」で外部を囲むということではなかったでしょうか。


このことからすると、日本民族論や日本民族起源論は、まさに日本人の自画像そのものであったと言えるのかもしれません。


グローバリゼーションという情報化や国際化が進展する中で、外国から日本を訪れる研究者や労働者を一切受け入れずに「一国平和主義」を貫くということがもはや出来ないことは言うまでもありません。


好むと好まざるに関わらず国際化や情報化というグローバリゼーションが、私たちに異文化や他者と出会う機会を増加させていくことは十分想定できることです。


また、日本社会の共同性が崩壊して社会が細分化することによる価値観の多様化は、私たちに理解不能な他者と出会う機会を増加させていくことは同様に想定できることではないでしょうか。


では、私たちは、異文化や理解不能な他者とどのように向き合っていけば良いのでしょうか。


まず、類型化(カテゴリー化)という問題があります。


私たちは、世界を類型化せずに認識することは出来ません。


類型化(カテゴリー化)とは、自分自身や他者を「ある型にはめて」考えるということになります。

そして、このような類型化(カテゴリー化)は思考停止をもたらす一方で、自分自身や他者の行動に「制度的秩序」をもたらすことにもなります。


ここで言う「制度的秩序」とは、異文化を持った他者に対して笑顔で、あるいは握手で、あるいはお辞儀で接すればおそらく追い払われることはないであろうという判断基準のようなものです。


おそらく、このような「制度的秩序」が存在しない世界に住むということは、私たちに多大な負担とリスクをもたらすことになるのは言うまでもありません。


そして、私たちは、他者の行動がこのような類型化(カテゴリー化)がもたらす「制度的秩序」からあまりにも乖離していると脅威と不安に耐え切れなくなってしまい、他者を自分があらかじめ認識している類型(カテゴリー)にあてはめて、自分の中の秩序回復を図ろうとするようになります。


また、類型化(カテゴリー化)することによって、具体的に一人ひとりの他者と直接向き合うという面倒を省くことができるため、他者に対する自分自身の行動も定型化させることが可能になります。


先にも触れたように、類型化(カテゴリー化)とは他者や自分自身を「ある型にはめて」考えることですが、このことは別な言い方をすれば、決まったことを、決まったように続けるということでもあります。


これは「伝統」と言われるものであり、「伝統」とは人が行動を決定する場合に悩まなくて良いような指針を提供してくれるものということができます。


「伝統」は人の行動に指針を提供してくれるものですが、「伝統」は時代の経過とともに、その意味は忘れ去られ、そのルーツもやがては判明できなくなります。


もともとの意味やルーツが分からなくなると、「伝統」という人の行動の指針が、元来あったものとは別に、現在ある指針にとって都合が良いものに作りかえられてしまうことにもなります。


「混合民族論」でも見たように、自分の心理状態の反映である自分が採りたいと思っている行動様式を投影させた民族の歴史観や国際関係論を恣意的に創作するということが、ある意味「伝統」の書き換えと言えそうです。


つまり、自分たちの民族は古来からそうであったという論法を駆使することによって、現在採用したい政策などの根拠付けとするということになります。


「民族起源の神話」のような「ナショナル・アイデンティティ」を探る行為は、おそらく異文化や異なる他者との出会いによる民族(自分)の認識秩序が揺らぐことになった結果の反応として、出現するものということができそうです。


例えば、民族の物語(神話)ではなく個人の物語(神話)ということであれば、現代に多く見られる「自分探し」ということになるのでしょうか。

心理学上、物語(神話)を創造するという行為は、現実からの逃避である一方、病理的には安定に向かう過程でもあるといわれています。


ほとんどの国民国家が自分たちの民族や国家の起源についての神話をもっている事実からすると、いずれの国家も異文化や異なる他者との出会いによって認識秩序の揺れに耐えられなくなった事実があったということになるのではないでしょうか。


神話の創造は関係性の安定へと向うための心理学上の過程という側面はあるようですが、実際のところ神話の創造は現実からの逃避という側面の方が強く、一時的な安定はもたらしても、アイデンティティの危機を乗り越えるまでには至らないということが出来るのかもしれません。


このことからも、民族や人が神話を創造することの本当の意味は、他者と直接向き合うという怖れや煩わしさからの逃避ということになりそうです。


そして、このときに自分自身が安心や安定することができる方向に他者を類型化(カテゴリー化)して、自分自身にとって都合のいい歴史観や関係性などを投影するということになるのではないでしょうか。


人間が生きていく以上、ある程度の類型化(カテゴリー化)はやむを得ないものであることは言うまでもありません。


しかしながら、直接的に他者と向き合って少しずつ類型(カテゴリー)という新たな「伝統」を創造していくという努力の過程を怠り、わずかな異文化や他者との接触の衝撃にすら耐え切れずに、神話(物語)の創造に逃避することは、自分勝手に類型化(カテゴリー化)した自分だけの物語で世界を覆いつくして説明しようとすることになるのではないでしょうか。


まさに、他者と直接向き合う怖れや煩わしさからの現実逃避ということができそうです。


そして、このような現実逃避は、他者と向き合うための勇気と努力が足りなかったために起こった類型化(カテゴリー化)ということでした。


このような類型化(カテゴリー化)は、他者を無化しよう(向き合わない)とする行為でもあり、他者を抑圧しよう(型にはめる)とする行為そのものということができそうです。


このような、ほんの少しの努力と勇気を欠いたために生じた逃避行動こそが、あらゆる神話(物語)の起源に他ならないということです。


私たちは、まずは異文化や他者と直接に向き合うということがなによりも必要と言えそうです。


そして、私たちは他者を類型化(カテゴリー化)しようとする自分自身を自覚的に観察することで、自分自身を相対化する(自分を絶対化しない)という叡智を持つことが求められていると言えそうです。


私たちは、自分自身の相対化(絶対化しない)によって、自分自身の神話(物語)からの脱却が求められているということができそうです。

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第7章 結論~有色の帝国


日本の近代の国際関係史を振り返りながら、異文化や他者との出会いが日本にもたらすことになった類型化(カテゴリー化)という神話(物語)の創造の起源について見てきました。


神話の創造とは、アイデンティティの揺らぎに耐え切れなくなったため、他者を類型化(カテゴリー化)して自分にとって都合の良い神話(物語)を創作してバランスを取り戻そうとすることであり、また他者と直接向き合う怖れや煩わしさからの逃避ということでした。


現在、私たちが直接異文化や他者と向き合わなければならない場面で、「信念対立」という問題に直面することが多くあります。


これは宗教や民族の違いによる信条の対立だけではなく、文化や学問や習慣において多く見られるお互いの瑣末な差異が尊重できないという問題でもあります。


このような「信念対立」は、他者と直接向き合う機会を遠ざけてしまうことにもつながり、社会全体が蛸壺化することで、見えない相手を類型化(カテゴリー化)して神話(物語)を創造することにもなってしまいます。


そして、この「信念対立」は、やがて「支配」と「被支配」という政治のパワーゲームにもつながってしまい、お互いがお互いに報復を繰り返すという報復の連鎖に陥ってしまうことになります。


このような現象は、お互いが自分の被害者である立場を絶対化することで、逆に他者(必ずしも加害行為をした他者とは限らないので厄介です)への加害行為を正当化するという報復の連鎖につながる「支配」と「被支配」の両義的な関係性の問題と言うことが出来ます。

「支配」と「被支配」という両義的な関係性については、近代において日本が欧米からは「被支配」=被害者の立場にありながらも、周辺の沖縄や朝鮮や台湾に対しては「支配」=加害者の立場となって侵略を行ったということに見られる現象です。


但し、これは日本だけに見られた特殊な現象ということではありません。


欧米における後進国であったロシアが周辺地域を同化していくときの「支配」と「被支配」という両義的な関係性は、ロシアが支配された被害者意識を謳いながらも、同時に支配する侵略行為の正当化に向かうというように、このような「支配」と「被支配」という両義的な関係性は、洋の東西を問わず近代化の遅れた後進国において見られた現象ということができそうです。


小熊英二氏は、これらの「支配」と「被支配」という両義的な関係性をもった国家(主体)のことを「有色の帝国」と呼んでいます。


つまり、遅れて近代化した後進国などが「支配」と「被支配」という両義的な関係性を抱えこんでしまうことになるアイデンティティの形成にかかる問題といえそうです。


しかしながら、このような「有色の帝国」という「支配」と「被支配」の両義的な関係性は、近代の世界史だけみられた現象というわけではなく、現在において世界中で勃発している国際紛争や民族紛争においても同様に見られる現象といえます。


そして、このことは、「支配」と「被支配」という両義的な関係性を抱え込んだ「主体」の問題として考えれば、国民国家同様に、人間についてもアイデンティティの形成過程で見られる問題といえるのではないでしょうか。


つまり、「支配」と「被支配」の両義的な関係性は、国家間や民族間という集団同士の関係性だけにとどまらず、私たちの身近で発生している「いじめ」の問題などでは、「個人」と「集団」という関係性の中で、その構成員が「支配」と「被支配」の立場を入れ替えながら繰り返されている現象ということができそうです。


このように被害を主張する側が一方においては加害者として行動するという両義的な関係性の問題は、個人や集団(国家)のアイデンティティが希薄化し脆弱化した結果に生じた問題として説明することができるのかもしれません。


つまり、「被支配」の側として不安や脅威にさらされ続けたフラストレーションの抑圧と「支配者」の側として他者に犠牲を強いるようなサディスチィックな行動との関係性は、自己のアイデンティティの危機に対する自己防衛のひとつ(防衛機制)として見ることができるのではないかということです。


要するに「支配」と「被支配」の両義的な関係性は、精神分析でいう自己の「防衛機制」が働いた結果の行動として説明できるということです。


「有色の帝国」とは、自分自身の被害的立場を絶対化してしまったことによって、他者に対する加害行為さえも絶対的に正当化できるほど自足している主体のことを指すタームということができそうです。


そして「防衛機制」という心理状態にある主体が、自分自身の置かれている立場を懐疑的に振り返ることや自分の心理面や感情面を観察して(相対化して)、自己コントロールするということは大変困難なことであるということです。


では、私たちはこのような「信念対立」がもたらす「有色の帝国」という主体の報復の連鎖の問題にどのように臨んでいけばいいのでしょうか。


私たちは被害者であり加害者でも在り得る立場、つまり「支配」と「被支配」の両義的な立場にある自分自身を相対化し(自分自身の立場を絶対化しない)、なおかつ
決して「支配」の側へと向かわないように自分自身をコントロールできる「自己意識」を持つということが必要になるといえそうです。


「自己意識」とは、自分自身の無意識の領域を意識化させてくれるものであり、また自分自身で自己のフレームワーク(世界観)をずらす役割を果たすことができるものでもあります。


つまり、「自己意識」を持つということは、「支配」でも「被支配」でもない「第三者」の立場からの視点を持つということになり、客観的に自他を観察できる視点を持つということになるといえそうです。


私たちは、このような自他を客観視できる「第三者」の視点を持つということ、つまり自他を相対化することによって、はじめて「防衛機制」が支配する報復の連鎖という悪の循環を断ち切ることができ、「信念対立」という問題を乗り越えていくことができるのではないでしょうか。


<参考文献>
・単一民族神話の起源        小熊英二  新曜社
・<日本人>の境界          小熊英二  新曜社
・もっと知りたい!本当の沖縄    前泊博盛  岩波ブックレット

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by kokokara-message | 2014-09-16 23:03 | 我流近代史(日本と沖縄)

日本と沖縄(22)

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しかしながら、このような「有色の帝国」という「支配」と「被支配」の両義的な関係性は、近代の世界史だけみられた現象というわけではなく、現在においても世界中で勃発している国際紛争や民族紛争においても同様に見られる現象といえます。

そして、このことは、「支配」と「被支配」という両義的な関係性を抱え込んだ主体(個人)の問題として考えれば、国民国家と同様に、人のアイデンティティの形成過程でも見られる問題といえるのではないでしょうか。

つまり、「支配」と「被支配」の両義的な関係性は、国家間や民族間という集団同士の関係性だけにとどまらず、私たちの身近で発生している「いじめ」問題においては、「個人」と「集団」という関係性の中で、しかも「支配」と「被支配」の立場を入れ替えながら繰り返されている現象ということができます。

このように被害を主張する側が、一方においては加害者として行動する両義的な関係性の問題は、個人や国家国家のアイデンティティが希薄化し、脆弱化した結果に生じた問題として説明できるのかもしれません。

つまり、「被支配」の側として不安や脅威にさらされ続けたフラストレーションの抑圧と、「支配者」の側として他者に犠牲を強いるようなサディスチィックな行動との関係性は、自己のアイデンティティの危機に対する自己防衛のひとつとして見ることができるのではないかということです。

要するに「支配」と「被支配」の両義的な関係性は、精神分析でいう自己の「防衛機制」が働いた結果の行動として説明できるということです。

「有色の帝国」とは、自分自身の被害的立場を絶対化してしまったことによって、他者に対する加害行為さえも絶対的に正当化できるほど自足してしまっている主体を指すということができそうです。

このような「防衛機制」という心理状態にある主体が、自分自身の置かれている立場を懐疑的に振り返ることや自分の心理面や感情面を観察して自己コントロールすることは大変困難なことであるということです。

では、私たちはこのような「信念対立」がもたらす「有色の帝国」の主体による報復の連鎖という問題に対してどのように臨んでいけばいいのでしょうか。

私たちは被害者であり加害者でもありうる立場、つまり「支配」と「被支配」の両義的な立場にある自分自身を相対化し(自分自身の立場を絶対化しない)、なおかつ「支配」の側へと向かわないように自己コントロールできる「自己意識」を持つということが必要になるのではないでしょうか。

「自己意識」の存在は、無意識の領域を意識化させることになり、また自己のフレームワーク(世界観)をずらすという役割を果たすことになります。

つまり、「自己意識」を持つということは、「支配」でも「被支配」でもない「第三者」の立場からの視点を持つということであり、客観的に自他を観察することができる視点を持つということになるといえそうです。

私たちは、このような自他を客観視できる「第三者」の視点を持つことによって、はじめて報復の連鎖という悪の循環を断ち切ることができるのではないでしょうか。

自他を客観視できる視点(自己意識)こそが、「信念対立」という問題を乗り越えていくための重要な鍵になると考えるのですが、さて皆様はいかがお考えになるでしょうか。

<参考文献>
単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜       小熊英二  新曜社
「日本人」の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで                    
                                        小熊英二  新曜社
もっと知りたい!本当の沖縄 (岩波ブックレット)    前泊博盛  岩波ブックレット

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by kokokara-message | 2010-10-15 22:08 | 我流近代史(日本と沖縄)

日本と沖縄(21)

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第7章 結論~有色の帝国

日本の近代の国際関係史を振り返りながら、異文化や他者との出会いが日本にもたらすことになった、類型化(カテゴリー化)という神話の創造について見てきました。

神話の創造とは、アイデンティティの揺らぎに耐え切れなくなったために他者を類型化(カテゴリー化)し、自分にとって都合のいい物語を創作することでバランスを取り戻そうとすることといえます。

また、神話の創造とは、他者と直接向き合うという怖れや煩わしさから逃避することでもあるということでした。

現在、私たちが、直接他者と向き合わなければならない場面で、直面することになる問題に「信念対立」があります。

「信念対立」とは、宗教や民族の違いによる対立の問題だけではなく、文化や学問や習慣においても同様に見られる問題といえそうです。

また、「信念対立」は、おそらくお互いの差異が尊重できないことが原因となって発生しているといえるのではないでしょうか。

「信念対立」にあれば、本来向き合わねばならない他者と直接向き合うという機会を遠ざけてしまうことにもなってしまいます。

そして、社会全体が蛸壺化、つまり社会が内向きになると、さらに見えない相手を類型化(カテゴリー化)することによって、神話の創造を繰り返してしまうことにもつながりかねません。

さらに、この「信念対立」のやっかいなところは、やがて「支配」と「被支配」という政治のパワーゲームへとつながっていくことです。

政治のパワーゲームにおいては、お互いがお互いに報復を繰り返すということにもなり、それぞれから権力や暴力の正当性が主張されることになります。

つまり、このような状況では、お互いが被害者であるという立場を絶対化することによって、逆に他者への加害行為を正当化するということになってしまうということです。

そして、他者に対する加害行為は、必ずしも加害行為をした本人に向かうとは限らず、さらに弱い者へと向かうという傾向をもっており、日本文化の特徴とされる抑圧の委譲がここに見られます。

つまり、「信念対立」とは、報復の連鎖が次々と繰り返されていく「支配」と「被支配」の両義的な関係性を持った問題ということができるということです。

「支配」と「被支配」という両義的な関係性は、近代において日本が欧米からは「被支配」=被害者の立場にありながらも、周辺の沖縄や朝鮮や台湾などに対しては「支配」=加害者の立場となって侵略を行ったということにもみることができます。

但し、このような現象は、近代化する日本だけに見られた特殊なことではなさそうです。

ロシアは、欧米諸国の中では後進国といえましたが、ロシアが周辺地域を同化していくとき支配された被害者意識をうたいながらも、同時に支配する侵略行為の正当化に向かったということは、「支配」と「被支配」という両義的な関係性にあったということができそうです。

このような両義的な関係性は、洋の東西を問わず、近代化の遅れた後進国において見られた現象ということができるのではないでしょうか。

小熊英二氏は、これらの「支配」と「被支配」という両義的な関係性をもった国民国家(主体)を「有色の帝国」と呼んでいます。

つまり、遅れて近代化した後進国(あるいは個人など)が、「支配」と「被支配」という両義的な関係性を抱えこんでしまうということであり、これは国家や個人のアイデンティティの形成にかかる重要な問題といえそうです。

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by kokokara-message | 2010-10-13 21:37 | 我流近代史(日本と沖縄)

日本と沖縄(20)

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日本民族起源論でも見たように、自分の心理状態の反映である、自分がとりたいと思っている行動様式を投影させた民族の歴史観や国際関係論を創作するということが、ある意味では伝統の書き換えと言うことになると思われます。

そして、自分たちの民族は古来からそのようであったという論法を駆使することで、現在の政策などの根拠付けにするということになります。

民族起源の神話のようなナショナル・アイデンティティを探る行為は、おそらく異文化や異なる他者との出会いによる民族の認識秩序がゆらぐことになった結果、その反応として出現したものということができそうです。

心理学上、物語(神話)を創造するという行為は、現実からの逃避である一方、病理的には安定に向かう過程になることがあるといわれています。

ほとんどの国民国家が、自分たちの民族や国家の起源についての神話をもっている事実からすると、いずれの国家も異文化や異なる他者との出会いによって認識秩序のゆれに耐えられなくなったことがあった、ということになるのではないでしょうか。

神話の創造は関係性の安定へと向う心理学上の過程という側面も確かにあるのですが、実際のところは、神話の創造は現実からの逃避という側面が強く、一時的な安定はもたらされても、アイデンティティの危機を乗り越えるまでには至らないといえるのではないでしょうか。

このことからも、神話を創造することの本当の意味は、他者と直接向き合うという怖れや煩わしさからの逃避ということになりそうです。

そして、そのときに自分自身が安心や安定することができる方向に他者を類型化(カテゴリー化)して、自分自身にとって都合のいい歴史観や関係性などを投影するということになるのではないでしょうか。

人間が生きていく以上、ある程度の類型化(カテゴリー化)はやむを得ないものといえそうです。

しかしながら、直接的に他者と向き合って、少しずつ類型(カテゴリー)という新たな「伝統」を創造していくという努力の過程を怠り、わずかな異文化や他者との接触の衝撃にすら耐え切れずに、神話の創造に逃避するということは、自分勝手に類型化(カテゴリー化)したひとつの物語で、世界を覆いつくし説明しようとすることになるのではないでしょうか。

まさに、現実逃避ということがいえそうです。

そして、このような現実逃避は、他者と向き合うための勇気と努力が足りなかったために起こった安易な類型化(カテゴリー化)ということがいえそうです。

また、このような類型化(カテゴリー化)は、他者を無化しよう(向き合わない)とする行為そのものであり、他者を抑圧しよう(型にはめる)とする行為ということになるのではないでしょうか。

ほんの少しの努力と勇気を欠いたために生じた逃避行動こそが、あらゆる神話の起源に他ならないといえるということになります。

私たちは、なによりも異文化や他者とも直接に向き合うということが必要といえそうです。

そして、私たちは他者を類型化(カテゴリー化)しようとする自分自身を、自覚的に観察するということが求められます。

つまり、自分自身を相対化する、つまり自分を絶対化しないという叡智を持つことが、なによりも求められていることではないでしょうか。

私たちは、神話からの脱却が求められているということができそうです。

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by kokokara-message | 2010-10-11 06:31 | 我流近代史(日本と沖縄)

日本と沖縄(19)

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グローバリゼーションという情報化や国際化が進展する中で、外国から日本を訪れる研究者や労働者を一切受け入れずに「一国平和主義」を貫くというようなことは、おそらく出来ないことではないでしょうか。

好むと好まざるに関わらず国際化や情報化というグローバリゼーションが、私たちに異文化や他者と出会う機会を増加させていることは想定できることです。

また、日本社会の共同性が崩壊して、社会が細分化することによる価値観の多様化は、私たちに理解不能な他者と出会う機会を増加させることも想定できることではないでしょうか。

では、私たちは、異文化や理解不能な他者と出会ったとき、どのように向き合っていけばいいのでしょうか。

まず、類型化(カテゴリー化)という問題があります。

私たちは、世界のあらゆるものを類型化(カテゴリー化)せずには、認識するということが出来ません。

類型化とは、自分自身や他者を「ある型にはめて」考えるということです。

このような類型化(カテゴリー化)は思考停止をもたらす一方で、自分自身や他者の行動に制度的秩序をもたらすことにもなります。

制度的秩序とは、異文化を持った他者に対して、笑顔で、あるいは握手で、あるいはお辞儀で接すれば、おそらく追い払われることはないであろうというような判断の基準のことです。

おそらく、このような制度的秩序がない世界に住むということになれば、私たちに多大な負担とリスクを引き受けることになってしまうのではないでしょうか。

そして、私たちは、他者の行動がこのような類型化(カテゴリー化)がもたらす制度的秩序からあまりにも乖離している場合には、他者に対する脅威と不安が増大することとなり、やがては耐え切れなくなってしまうと思われます。

許容できなくなった理解不能な他者は、あらかじめ自分が認識する類型(カテゴリー)のいずれかにあてはめることで、自分の中の秩序回復を図ろうとすることになるのではないでしょうか。

また、類型化(カテゴリー化)することによって、具体的に一人ひとりの他者と直接向き合うという面倒を省くことができるため、他者に対する自分自身の行動も定型化させることができることにもなります。

先に触れたように、類型化(カテゴリー化)とは「ある型にはめる」ということになるのですが、このことは決まったことを、決まったように続けるという継続性を意味することでもあります。

これは、いわゆる「伝統」というものであり、「伝統」とは人が行動を決定する場合に悩まなくていいような行動の指針を提供してくれるものということができます。

そして、「伝統」が提供してくれる行動指針は、時代が経過していくとともに、そのルーツが判明できなくなってしまうことにもなってしまいます。

伝統の持つルーツが判明しなくなってしまえば、「伝統」が提供する行動指針も、もともとあったものとは別なものということにもなってしまいます。

つまり、継続性されてきたはずの「伝統」が、いつのまか現在の行動指針にとって都合のよいようにつくりかえられてしまうことにもなってしまうということです。

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by kokokara-message | 2010-10-09 18:56 | 我流近代史(日本と沖縄)

日本と沖縄(18)

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第6章 類型化の民族神話を超えて

戦前において国籍法は朝鮮人や台湾人にも適用されており、朝鮮人や台湾人の国籍は、日本となっていました。

1952年サンフランシスコ講和条約が発効した際に、日本政府は戸籍法の適用となっていない国外や国内にいる朝鮮人や台湾人の日本国籍を、一方的に剥奪することとしました。

特に国内にいる朝鮮人や台湾人に対して排除の論理を徹底するのであれば、帰国促進(二世に対する民族教育の援助なども)を図ることになるであろうし、同化の論理を徹底するのであれば、国籍の剥奪は行わずに日本への帰化促進を図ることができたはずです。

しかしながら、日本政府はこのときも明確な排除も行わず、権利の平等化(包摂)も行わないことで、多くの朝鮮人や台湾人が日本国籍を剥奪されたうえで、そのまま日本に残るという状態を続けることになります。

日本政府のとった行動は、戦前においても戦後においても、包摂と排除を曖昧にさせることにおいて通底していたといえそうです。

「単一民族論」は、戦後のこのような日本領土と日本国民が縮小した時代に多く見られた日本民族起源論といえます。

「単一民族論」の要素は、①日本民族は単一純粋の起源をもつこと、②従来の血統にあたる人間しか入れないこと、の二つであるとされています。

この場合、①の単一純粋の起源とは事実上その判定が不能であることから従属的なものとならざるを得ず、②従来の血統にあたるかどうかが重要な要素とされることになります。

「従来の血統」を純血主義と考えることは、たしかに「単一民族論」の重要な要素になることかもしれません。

しかしながら、この場合も具体的な血統だけを意味するのではなく、純血主義がその本質になるということではないということです。

つまり、「家族国家論」でみたように「従来の血統」とは、イエ制度から見た場合には、純血主義までを求めるものではなく、実利的に構成された同一な言語や文化や習慣を持った「みんな」ということになります。

あえていうなら家族という「みんな」から疎外された、同化しない他者とは出会いたくない(無化する=黙殺する)ということであって、このことによって「単一民族論」である「従来の血統」は守られるものとして考えられていたということです。

日本民族起源論の論者は、自分自身を含めて日本が弱い時代には「単一民族論」で身を守ることになり(一国平和主義)、強くなろうとする時代は「混合民族論」で外部を囲むということであったといえそうです。

このように日本民族論や日本民族起源論は、日本人の自画像そのものであるといえるのかもしれません。

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by kokokara-message | 2010-10-07 20:50 | 我流近代史(日本と沖縄)

日本と沖縄(17)

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かつての古代のローマ帝国のような多民族国家では、せまい共同体の世界観は打破されて、民族をこえた普遍妥当的な理念が生まれることになるといわれていました。

日本においては、「混合民族論」とイエ制度による「家族国家論」という擬似普遍性が、その代用になったということになるのかもしれません。

ただ、「家族国家論」が擬似普遍性でしかないというのは、日本の家族制度が特殊性ということからも分かるように、民族を超えた普遍的妥当的な理念にはなっていないということです。

日本が採用した民族政策は、同化政策論ということでした。

日本の同化政策論については、このように「混合民族論」だけではなく「家族国家論」からも、その正当性の説明ができることになるということです。

以上が「家族国家論」といわれるものですが、法制面での夫婦の名字の統一は、1898年の民法で決定されたものであり、それまで夫婦は別々の名字を名乗ることも珍しくはなかったようです。

従って、日本のイエを中心とした家族制度といっても、その確定については、歴史的にそれほど古いことではないということもできそうです。

つまり、日本の家族制度が「日本の本質」を現しているというよりも、むしろ「法制度」によってつくられた側面が大きいのではないかということも考えられます。

従って、小熊英二氏によれば、「家族国家論」とは、あくまでも「混合民族論」や「同化政策論」を理解するためのレトリック(修辞)ということであり、かように理解するのがいいということになるのかもしれません。

要するに、家族制度によって、日本の社会が、全て決定されるということまではいえないということです。

あくまで、日本の家族制度というフィルターを通して見ることで、戦前の沖縄や台湾や朝鮮などの支配のあり方を検証することができれば、日本が採用した「混合民族論」や「同化政策論」についても理解するのに役立つことになるのではないかということではないでしょうか。

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by kokokara-message | 2010-10-05 21:40 | 我流近代史(日本と沖縄)

日本と沖縄(16)

アラワイ・ヨットハーバーの黄昏です。
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イエ組織という集団観からは、まずイエという集団があって、そこからの疎外現象として「個人」が析出されるということになります。

また、イエとしての集団の本流は、つねに中心のない「みんな」ということであり、個人的意見はあくまでも傍流とされます。

また、多くのイデオローグ(理論的指導者)たちがそうであるように、論理的に語ろうとする者は、誰もが皆傍流とされることになるとされています。

そして、これらの現象はイエだけに限定されることではなく、日本の世間全般においてみられる現象といえそうです。

従って、日本の家族とは、イエの集団観からいうと自己でも他者でもない「みんな」ということになり、同時に家長、兄、弟という自然な上下秩序が存在する制度ということになります。

このような状態は、支配される側を自己と同じものとして平等に遇するものではありません。

兄は、常に上下秩序の上ということになります。

また、他者として明確に区別するでもない状態に固定されることになります。

家族は、「みんな」ということでもあります。

つまり、日本の家族とは、自己でも他者でもないものとして相手を認識しつつ、同時に自然な上下の秩序に押し込める制度ということができます。

日本の人類学、言語学、歴史学によって主張される「混合民族論」は、沖縄や台湾や朝鮮などの被支配民族を日本民族と「同祖」とするものでした。

また、「混合民族論」は、沖縄や台湾や朝鮮などを日本民族と同種同文の「兄弟」とし、そして天皇を「家長」して、日本民族を「兄」とする「家族国家論」の中に取り込む役割を果たすことにもなりました。

そして、養子の「弟」とされた被支配民族は、同化を強要されるものの、「兄」を抜くことは出来ず、権力支配を顕在化させずに自然な秩序に押し込めるという仕組みであったといえます。

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by kokokara-message | 2010-09-06 21:58 | 我流近代史(日本と沖縄)

日本と沖縄(15)

左右非対称は日本独自の文化といえそうです。(法隆寺西院伽藍を北側から中門に向かって撮影)
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第5章 家族国家論

小熊英二氏による「家族国家論」とは、日本のイエを中心とする家族制度を、戦前の日本国家にあてはめて論じようとする国家論です。

この「家族国家論」は「混合民族論」を根拠としており、「同祖」=「兄弟」という考え方がその中心として展開されます。

日本のイエを中心とした家族制度とは、同化と差別、服従と「和」というような矛盾を同時に強いるものであり、このため家族構成員の間の権力関係を顕在化させないよう包摂と排除という支配の仕組みの矛盾をおおいかくすものになっていました。

このようなイエ制度の仕組みを民族間の秩序関係にあてはめたものが、「家族国家論」ということになります。

日本の家族制度は、中国や台湾、朝鮮の家族制度とは異なっています。

中国・朝鮮は父系血統を原則とし、また同じ姓の者とは結婚できないという「同姓不婚」や違う姓の者を養子にすることは出来ないという「異姓不養」という原則があります。

これに対して、日本ではイエ制度が中心となるため、家族は血統と直結していなくても所属しているイエの名称を名乗ることができます。

つまり、日本の家族制度においてはイエの維持が優先されるため、血統は必ずしも重要とはされず、従って血統に直結しない養子であってもイエに入れば家族の一員となることができます。

このようなイエを中心とした家族制度は日本の特殊性ということができ、「同姓不婚」「異姓不養」を原則とする中国や朝鮮では当然理解されないことになります。

また、日本のイエを中心とした家族制度にとっては、家族であるかどうかの判断はイエがその者を実利的に必要としているかどうかによって決定されるということがいえます。

たとえば、イエの経営状態が悪化するようになった場合やイエの都合で相手を必要としなくなった場合には、その者を家族として扱うことをやめる(排除する)ということがあります。

日本の会社が家族的経営といわれたように、日本の会社組織は、同じ職場にいる間は家族的なつながりを強調しながらも、異動や退職で職場を離れた者に対しては冷淡であることがよく知られています。

また、会社の終身雇用制度の崩壊が言われて久しいのですが、これはそもそも会社組織のありかたが大きく変わったということではなく、もともとイエ制度に内在していた特徴である排除が顕在化したということになるのではないでしょうか。

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by kokokara-message | 2010-08-09 17:30 | 我流近代史(日本と沖縄)

日本と沖縄(14)

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沖縄においては法制面での同化が早く進んだことから、沖縄人の中にも日本人としてのナショナリズムがやがて出てくることになります。

しかしながら、台湾人や朝鮮人は最後まで法制面での包摂には至らず、日本人であって日本人でないという曖昧な状態が続くことになります。

「混合民族論」を根拠とした同化政策の正当性を主張することが、かえって台湾人や朝鮮人に苦痛を与えることになったということになります。

つまり、明確な排除がないかわりに、完全な平等もないという状態を続かせるための根拠が「混合民族論」であったということです。

「混合民族論」が、ほんの一部の例外(単一民族論)を除いて、明治から戦前(戦中)までの学説の多数を占めることになったことは先にふれたとおりです。

また、日本民族の起源についての定説は現在も存在しません。

当時においても、人類学や歴史学や言語学などの各方面から「混合民族論」が主張されてはいましたが、それは科学的な実証主義に基づいた学説というよりも、「混合民族論」を語る論者自身の物語(神話)であったという解釈の方が適切であるのかもしれません。

おそらく、当時の「混合民族論」を語る論者やその学説にひかれることになった日本人の多くは、その時代が抱えていた問題、つまり欧米からの脅威や不安、また国防上の理由から海外展開をしていた領有統治に対する自信不足など、揺らぐナショナル・アイデンティティの問題を共有していたといえそうです。

このように多くの日本人の潜在意識にある危機を投影した「混合民族論」は、ナショナル・アイデンティティの不安の投影そのものということができます。

日本人は、「混合民族論」を物語ることによって、ナショナル・アイデンティティの安定を希求していたといえそうです。

日本の海外への進出と同化政策は、このように「混合民族論」を正当性の根拠として論じられることになりますが、これは日本が欧米の脅威からの被害者=「被支配者」である一方で、東アジアの加害者=「支配者」であったという両義的な関係性を抱え込んで、相対化できなかった結果でもあります。

このような後進国による遅れた近代化がもたらした両義的な関係性を、小熊英二氏は「有色の帝国」と呼んでいます。

そして、被害者の立場にあった日本が、加害者に転じることによって周辺諸国に悲劇をもたらしたという屈折した事実は、世界の近代史の中で日本以外でも見られたことでした。

このことについては、「第7章 結論~有色の帝国」であらためて考察することとします。

次の章の「家族国家論」は、「混合民族論」でいう「同祖」や「漸進」というものを日本の家族制度にあてはめながら日本国家論を論じるというものです。

台湾人や朝鮮人を同化(包摂)しながらも、排除(差別)するという矛盾した行為を同時に行うことができた説明のひとつになるものと思われます。

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by kokokara-message | 2010-07-10 06:49 | 我流近代史(日本と沖縄)