ゆき亭のオムライス

a0126310_21420197.jpg

「ならまち」にある、オムライスと洋食の店「ゆき亭」に行って来ました。

「ならまち」と呼ばれているこの一画は、奈良時代に飛鳥から移転した元興寺(元法興寺)の旧境内で、今も残る極楽坊(国宝)、禅室(国宝)、大塔跡や小塔跡などは、当時の伽藍配置を今に伝える貴重な痕跡と言えそうです。

また、行政地名として奈良町は存在しませんが、江戸末期から明治にかけての町屋が残る旧境内一帯が、今では「ならまち」と呼ばれています。

落ち着いた風情と懐かしさを漂わせる「ならまち」には、町屋を再利用した素敵なショップが数多くあり、奈良観光のホットスポットになっています。

そして、今回ご紹介する「ゆき亭」は、ふわとろのオムライスが名物となっています。

オムライスにはスープとサラダが付いていて、ソースはデミグラスか、ケチャップのいずれかです。(写真はデミグラスソースです。)

a0126310_21423265.jpg

オムライス以外にも下記の洋食メニューがありますが、オムライスセットを注文している人が圧倒的に多いように思います。

また、リーズナブルな値段で食後のコーヒが付けられるのは、とても有難いことですね。

a0126310_21435353.jpg

ところで、観光地での飲食店等の検索に、食べログなどのインターネット情報は欠かせないものになっています。

そして、検索の上位に位置づけられた情報には、数多くの観光客が集中することになってしまいます。

「ゆき亭」は、インターネット検索上位にあるため、日本人以外にも多くのアジア系外国人観光客が訪れていました。

おそらく、外国の人は、自国の人以上に、インターネット検索上位の情報にアクセス(横並び)する傾向が強いのではないでしょうか。

なぜなら、普通(インターネット以外)ならアクセスしない情報でも、インターネットを介すれば容易にアクセス(横並び)することができるからです。

インターネットに「情弱(じょうじゃく)」という言葉がありますが、では「情強(じょうきょう)」とはどのような人物を指すのでしょうか。

上記の例からすると、インターネットに詳しいがゆえに、検索上位の画一的な情報にアクセス(横並び)してしまう人になるのかもしれません。

つまり、インターネットは情報を拡散させるだけではなく、特定の情報にアクセスを集中(横並び)させることが得意と言えそうです。

また、日本人の意思決定方式として、相互参照と横並びを挙げることが出来ます。

日本人の相互参照と横並びは、各々が自由意思で選択した結果の横並びではなく、同調圧力の結果として「みんな」と横並びする意思決定方式と言えそうです。

このことからすると、インターネットで検索上位の画一的な情報を選択せざるを得ない状況と、同調圧力から横並びの画一的な情報を選択せざる得ない状況とは、とても似た構図にあるように思われます。

つまり、インターネットであっても相互参照であっても、自分以外の「みんな」か選んだものを自分自身で選び直す(シンクロする)意思決定システムということです。

自由意思のようであって決して自由意思ではありえない、少しシニカルな言い方をすれば、ケインズの美人投票のようなものでしょうか。

a0126310_21442711.jpg

もう少し、蛇足ながら。

グローバリゼーションの本質のひとつが情報化と言われたように、グローバリゼーションは、あらゆる情報の差異を見つけては均質化して行くものであると思われます。

また、同時に差異を見つけては情報を分類して行くものでもあると思われます。

例えば、異質と思われた情報であっても、概念化(言語化)が可能となれば、その情報はどこかの引き出しに分類されて、やがて社会に包摂されて行くことになります。

一方、同質と思われていた情報であっても、概念化(言語化)が困難となれば、規格外のレッテルを貼られて、やがて社会から排除されて行くことになります。

要するに、グローバリゼーションの情報化とは、情報の概念化(言語化)とカテゴリー化のことであって、様々な情報を鋳型の中にはめ込んで行く作業が「情報処理」と言うことになります。

そして、社会の至る所で「情報処理」が繰り返されて行くと、やがて社会は二極分化し、各極は細分化されて、グラデーショナルな社会が出現することになります。

まず、経済面では、資本主義における「情報処理」の要諦である「選択と集中」が繰り返されると、やがて富の偏在が生じ、社会の経済格差が拡大することになります。

文化面では、階層社会における「情報処理」の要諦である行動様式(規範)の差異が顕在化すると、隣人同士の話が通じず、コミュニケーションが困難になります。

つまり、グローバリゼーションは期待した自由でフラットな社会ではなく、それとは真逆の経済的、文化的に格差のある階層社会を実現させてしまったということになりそうです。

そして、かような近代(モダン)を超克し、自由でフラットな多文化共生社会の実現には、ポストモダンの左旋回が必要条件になってくると考えているのですが、さていかがでしょうか。

最後は気を取り直して、早春の奈良にお越しの折には、ぜひならまち「ゆき亭」に立ち寄られて、ふわとろオムライスを食されるというのはいかがでしょうか。

(おわり)

a0126310_21464981.jpg





住所:奈良市高御門町4-1
TEL:0742-26-0611


応援よろしくお願いします。にほんブログ村 経済ブログ 世界経済へ
にほんブログ村
[PR]
by kokokara-message | 2017-03-04 13:37 | 奈良

a0126310_09124869.jpg

奈良ホテルは、明治42年(1909)創業の日本を代表する老舗のホテルのひとつです。

その土地と建物、調度品等はJR西日本が所有し、JR西日本と近鉄都ホテルが50%づつ出資した株式会社奈良ホテルが運営を担っています。

奈良ホテルの事実上のオーナーはJR西日本であることは、地元奈良でもあまり知られていないことかもしれません。

奈良ホテルの経営母体は、国営(鉄道院、鉄道省)、公営企業(国鉄)、民間企業(JR西日本)と移り変わって行きますが、初期の数年を除けば一貫して鉄道関連であり続けたということです。

a0126310_10412510.jpg

奈良ホテル(本館)の設計は、日本銀行本店や東京駅の石積み煉瓦造りで有名な辰野金吾博士です。

但し、奈良ホテル(本館)は、ご覧のような純和風二階建て木造建築となっています。

これは、先行して建てられた帝国奈良博物館(現在の奈良国立博物館)の評判が思いの外悪く、奈良では依然古式ゆかしい木造建築が好まれていたようです。

このため、奈良ホテル(本館)は、当時の最先端技術である石積み煉瓦造りではなく、純和風の二階建て木造りとして建築されました。

奈良ホテル(本館)は、辰野金吾博士設計の現存する貴重な木造建築のひとつと言えそうです。

a0126310_09301327.jpg

では、奈良ホテル(本館)の玄関を入ってみますと、正面にご覧のような大階段が見えてきます。

そして、この重厚な赤じゅうたんの大階段は、館内屈指の写真撮影スポットにもなっています。

ホテルの説明によれば、被写体は大階段下から7段目の向かって右側手すりに寄り掛かり、カメラは大階段向かって左側からローアングルで撮影するのがベストショットになるとのこと。

遠近法によって、被写体が実際よりも痩せて写るのが特徴とのことでした。

また、奈良ホテル館内には数多くの美術品&調度品が存在しています。

そして、そのいずれもが歴史的、文化的に高い価値を持ったものであるとのことです。

例えば、本館玄関の右側の壁(フロントの向かい側)に掛けられている上村松園画伯の「花嫁」(下の写真)は、なんと数億円の価値があるとのこと。

これ以外にも、大正から昭和にかけて鉄道省(当時)が特注した数多くの美術品&調度品が、何の惜し気もなく館内に飾られていました。

a0126310_09233529.jpg

また、100年以上の歴史を持つ奈良ホテルには、皇族を始めとする、数多くの貴賓や来賓が滞在しています。

大正11年(1922)にはアインシュタイン博士、昭和11年(1936)にはチャールズ・チャップリン、昭和12年(1937)にはヘレン・ケラー。

その後もジョー・ディマジオ、マーロン・ブランド、オードリ・ヘップバーンらが奈良ホテルに滞在しました。

a0126310_09460428.jpg

上記の写真は、本館1階ロビーの「桜の間」と呼ばれる部屋です。

それほど広くはありませんが、美術品&調度品の豪華さは、まさに奈良ホテルの伝統と格式を象徴してるかのようです。

即位後に滞在された天皇陛下と皇后陛下がこの部屋へお越しになられて、向かって左側一番奥のソファ(平成の大時計の向かい)に腰を掛けられたとのことです。

また、同じ「桜の間」には、アインシュタイン博士が実際に弾いたとされるピアノ(下記の写真)が当時のロケーションのままで保管されています。

a0126310_09451006.jpg


アインシュタイン博士のピアノは、終戦後GHQの接収から逃れるために、元あった奈良ホテルから旧国鉄大阪鉄道管理局舎へ一時的に移されることになります。

その後暫く、アインシュタイン博士のピアノは世の中から忘れ去られた存在になってしまうのですが、やがてJR西日本時代になると、アインシュタイン博士ゆかりのピアノであると再評価されることになります。


a0126310_09213690.jpg

そして、上の写真のマントルピースの形状とその位置関係から、ピアノは奈良ホテル本館1階ロビー「桜の間」にあったものであることが判明します。

百年の時空を超えて、アインシュタイン博士のピアノは、当時のロケーションのまま、時間が止まったままのマントルピースの隣りにそっと置かれていました。


a0126310_09221359.jpg


次に、奈良ホテルの客室をご紹介します。

下の写真は本館ではなく、新館の客室(スタンダード)の様子です。

新館は昭和59年開業ですが、ご覧のとおり、広々としていて、リニューアルされたのか、とても真新しい感じがします。

本館は大正初期に設置されたセントラルヒーティング(スチーム暖房)が今も稼働していますが、新館では通常の電気エアコンが稼働していました。

客室(スタンダード)の広さや快適性を優先するのなら、本館よりむしろ新館を選ばれた方が良いのかも知れませんね。

a0126310_09303542.jpg

ところで、新館の客室には、下の写真イミテーション(模型)のマントルピースが備え付けられています。(むろん暖房機能はありません。)

大正以来時間が止まったままの本館のマントルピースは、今では客室の重厚なインテリアとして往時をしのばせる役割を担っています。

このことからすると、おそらく新館に設置されたマントルピース(模型)は、本館のパロディになるのではないかと思われます。

「真実(神)は細部に宿る」とも言われますが、奈良ホテルのディテール(細部)に対するこだわりには、感服するものがあります。


a0126310_09500931.jpg

奈良ホテルはその創業地を決めるに当たって、奈良県や奈良市からは東大寺の南側の土地(奈良公園あたりでしょうか。)を打診されたようです。

しかしながら、打診されたその土地は平坦で見晴らしが良くなく、このため近隣で眺望が良いとされた当時飛鳥山と呼ばれていた現在地に決まったようです。

小高い丘に建てられた奈良ホテルは見晴らしが良く、本館1階のメインダイニングルーム「三笠」からは、ご覧のように、興福寺の五重の塔を見渡すことが出来ます。


a0126310_09174679.jpg

朝食は、本館1階のメインダイニングルーム「三笠」で、茶がゆ定食をいただきました。

朝食のメニューには、茶がゆ定食、和食、洋食の三種類があります。

ホテルの説明では、ホテルマン泣かせのメニューは「洋食」であるらしく、宿泊客はパンの種類、卵の焼き方、ジュースの種類をリクエストすることができます。

自分の好みにこだわる常連客には、「洋食」メニューが一番の人気であるようですね。

a0126310_09171256.jpg

奈良ホテルは、県内随一の格式ある高級ホテルとされています。

遠方の方ならともかく、その敷居の高さから、県下や近隣府県にお住まいで、奈良ホテルに宿泊された経験をお持ちの方はそれほど多くはないのではないでしょうか。

また、奈良ホテルの高級ダイニング「三笠」は知っていても、実際にそこでサービスを受けたという経験をお持ちの方はそれほど多くはないのではないでしょうか。

今回、奈良県「ふるさと割」を利用させていただくことで、奈良ホテルの宿泊体験させていただくことになりました。

そして、奈良ホテルの各論については、上述してきたとおりです。

最後に、奈良ホテルの総論ですが、なにより他のホテルに比べてホテルマンの数が多いように感じました。

それは、目に入るフロントや玄関付近の人口密度が高いため生じた錯覚であるのか、それとも奈良ホテルが、JR西日本ホテルズや近鉄都ホテルから、十分に距離が取れた唯一無二のホテルとして存立できているからなのか。

答えは定かではありませんが、いずれにせよ、奈良ホテルは、建造物や美術品&調度品のみならず、働く人(ホテルマン)に古き良き時代の伝統と格式を感じることのできる、有形無形のアセット(資産)を保持した素晴らしいホテルであると思われます。

奈良ホテルはただ高級であるだけではなく、楽天やじゃらんの旅行サイトから申し込めば、比較的リーズナブルな料金で利用することもできます。

まだまだ春が待ち遠しい時節柄ですが、奈良ホテルの数多くの有形無形のアセット(資産)の中に、あなただけのスプリング(春のときめき)を見つけに行く旅を計画されるのはいかがでしょうか。

(おわり)

a0126310_09480023.jpg


応援よろしくお願いします。↓にほんブログ村 経済ブログ 世界経済へ
にほんブログ村
[PR]
by kokokara-message | 2017-02-18 18:24 | 奈良

a0126310_11285862.jpg
奈良の近鉄飛鳥駅から歩いて30分ほどのところに川原寺跡があります。

川原寺は、天智朝の時代に、斉明天皇が営んだ飛鳥川原宮の地を寺としたのが始まりとされています。

そして、天武朝の時代には、川原寺は官寺の代表として、四大寺(大官、飛鳥、薬師、川原)のひとつに数えられます。

平城京遷都では、大官大寺は大安寺として、飛鳥寺(法興寺)は元興寺として、薬師寺は薬師寺として移転しますが、川原寺だけが飛鳥の地に残ります。

現在では、川原寺跡に建つ弘福寺(ぐふくじ)が川原寺の法灯を今に伝えています。
a0126310_09551523.jpg
ところで、初期仏教寺院の伽藍配置は、塔と金堂が南北一直線に並ぶ四天王寺様式が一般的とされていました。

しかし、天智朝(662~671年)創建の川原寺は、塔と金堂が東西真横に並ぶ(正確には一金堂が北側にある一塔二金堂)独自の伽藍配置になっています。

これは、四天王寺様式を90度回転させたのと同じ形で、現在の世界文化遺産法隆寺で見られる塔と金堂が東西真横に並ぶ伽藍配置ととても良く似ています。

ご存知のように、元々法隆寺は、塔と金堂が南北一直線に並ぶ四天王寺様式でした。

法隆寺若草伽藍です。

しかしながら、若草伽藍は、天智9年(670年)に焼失します。

そして、焼失後すぐに法隆寺が再建されたとしたら、先の川原寺の建造時期と重なることになり、再建法隆寺が川原寺の伽藍配置の影響を受けたとしても不思議ではないと思われます。

つまり、法隆寺の塔と金堂が東西真横に並ぶ日本独自の伽藍配置は、川原寺の一塔二金堂の伽藍配置を参考にして建立されたのではないかという仮説です。

さらに、蘇我馬子が6世紀末に創建した氏寺の飛鳥寺は、一塔三金堂の特異な伽藍配置で、川原寺の一塔二金堂に先行する独自性を有しています。

初期仏教寺院の四天王寺様式とは異なった日本独自の伽藍配置は、飛鳥寺から川原寺、そして法隆寺へと続き、7世紀末(天武・持統朝)には朝廷が創建する大官大寺や薬師寺へと引き継がれて行くことになります。
a0126310_10170462.jpg
川原寺跡の南側の県道をはさんだすぐ向こう側に、聖徳太子生誕地とされる橘寺があります。

県道から橘寺へと至る道の入り口付近に、下の写真の万葉歌碑が建立されています。
a0126310_09553261.jpg
a0126310_09552033.jpg
原文では、 世間之 繁借廬尓 住々而 将至國之 多附不知聞   作者不詳

読みは、「世間(よのなか)の、繁(しげ)き刈廬(かりほ)に、住み住みて、至らむ国の、たづき知らずも」となっています。

意味は「うるさい仮住まいのような人の世に住みつづけていて、これからどんな様子の国へ行きつくのかも分からない」というものです。

万葉集の注によれば、世間(世の中)の無常を厭(いと)う歌として、川原寺の仏堂にあった琴に書かれていたとされています。

おそらく、川原寺に関係する人が世間の無常を嘆いて琴に落書きしたものが、万葉集に取り上げられたのではないでしょうか。

そして、また、多くの万葉歌人が、飛鳥の地を題材として歌を詠んでいます。

川原寺以外にも、歌にゆかりの地には多くの万葉歌碑が建てられています。
a0126310_10474071.jpg
a0126310_10480574.jpg
この世間の無常を厭(いと)う歌は、7世紀後半に政治の中心であった飛鳥で暮らしていた人が、当時の心情を込めて詠んだものと思われます。

主題となっている世間の無常感や時代の不透明感は、先の見えない現代とも十分に共通した時代感覚ではないでしょうか。

仕事や恋愛、あるいは政治事情を嘆いてスマホに書き込みをする現代人と琴に落書きをした万葉人との間にどれほどの違いがあると言えるのでしょうか。

1400年の隔世を感じない連綿とした日本人の感性に伝統を感じる一方、日本人はこれだけ長い時間をかけて一体何を積み上げ、何を積み残してきたというのか。
a0126310_09552735.jpg
故阿部謹也氏によれば、世間の無常を歌にする場合でも、万葉集の時代と古今和歌集の時代では無常を感じる背景が異なっているということです。

万葉集の時代には、世間は必ずしも無常(常ならず)なものではなく、無常と感じるのにはそれなりの背景、たとえば恋や人間模様のような拮抗関係があったために無常を感じるということのようです。

これに対して、古今和歌集の時代になると、自分が世間のどこにいるか定かではないが、世間にいることについては自覚できていて、その世間とは拮抗関係をとるのではなく、受け入れざるを得ないことを知っているため無常を感じるという風に変わっていくようです。

現代人にとっての無常は、表層では万葉人と同じように恋や人間模様のような世間との拮抗が背景となって、ままならぬ他者や世間に無常を感じるのではないでしょうか。

表層では、リアリティが明確なモダンな無常と言えるのかもしれません。

しかしながら、現代人の深層では、古今和歌集の時代がそうであったように、自分が世間のどこにいるか定かではないが、世間にいることについては自覚できていて、自分の置かれている立場はあくまでも相対的でしかない(絶対的でない)ことに無常を感じるのではないでしょうか。

そして、世間で起きている様々な事象や事件も、見ている人の心理状態や見る人の角度(価値観)によって様々に変化する不確実性に無常を感じるということです。

つまり、現代人の世間(自分と自分の置かれてる社会)は、どちらかといえば、常ならざるもの(無常)として認識されているということのようです。

深層では、リアリテイが希薄になってしまうポストモダンな無常と言えるのかもしれません。

現代人は、表層(モダン)と深層(ポストモダン)の二つの無常が錯綜する世間を生きることになります。

このため、現代人は自らの足場が定まらない不安定な状況を自で懸命に支えなければならないという矛盾を抱え込むことになり、この不条理こそが現代人が感じている最も深刻な無常といえるのかもしれません。

したがって、ただ手をこまねいて国や社会の行く末を憂うるだけの無常(モダン)よりも、世間は常ならざるものと割り切って十分に距離が採れている無常(ポストモダン)に軸足を置いておく方が、未熟なままの「癒合関係」から、少し孤独で寂しいけれども成熟した「出世間」へと自分を導くことんできる「自由」を手することができると勝手に思っているのですが、さていかがでしょうか。
a0126310_11284504.jpg
ポチィと応援お願いします。
  ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
[PR]
by kokokara-message | 2015-09-26 11:24 | 奈良

7月11日にユニークユーザー数が8000人を超えました。
6月14日に7000人を超えてから、1ヶ月弱のペースでした。
ご訪問ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
a0126310_20543985.jpg
旧當麻町から県道30号線を南下すると、旧新庄町庁舎を少し過ぎたあたりに葛城山麓公園入口という三叉路があります。

ここを葛城山麓側へと入り登っていくと、やがて見晴らしの良い田園地帯に行き当たり、ここに農業組合法人ラッテ・たかまつ(葛城市山口278-3)があります。

奈良県下には、植村牧場(般若寺の向かい)や西井牧場(天香具山のふもと)などの有名な牧場がありますが、ラッテ・たかまつもそのひとつといえます。

ラッテ・たかまつのすぐ近くには牛舎もあり、牛舎では牛君が不思議そうにこちらを眺めていました。
a0126310_21383966.jpg
ラッテ・たかまつは、一軒家の一部を改築したロッジ風の建物になっています。

そして、店の奥はロッジ風テラスになっていて、奈良盆地を一望しながら、喫茶だけではなくバーべキューも楽しむことができるようになっています。
a0126310_21185547.jpg

a0126310_21184343.jpg
まず店内に入ると、ウエルカム・ドリンクが用意されています。

ここでは、自家製の搾り立て濃厚牛乳が一杯だけ無料でいただくことができます。
a0126310_21264855.jpg
また、自家製アイスクリームは種類が豊富にあって、味の種類ではハーゲンダッツにも負けないくらいです。
a0126310_2127993.jpg
そして、こちらが私のお勧めするラッテ・たかまつのソフトクリーム(大380円、小280円)です。

私は、キハチソフトの濃厚牛乳が大好物なのですが、ラッテ・たかまつのソフトクリームは、キハチソフトよりさらに濃厚なミルク味という印象です。

やみつきになる濃厚なミルク味には、リピーターが多いのもうなずけます。
a0126310_2127319.jpg
こちらも、ラッテ・たかまつの名物商品である蘇入り最中あいすです。

自家製アイスクリームをくるんだ最中(もなか)の中には、小さく刻んだ蘇がたくさん入っています。

私の個人的な感想ですが、蘇はアイスクリームと一緒にしないで、別に食べた方が味わい深いと思われます。
a0126310_21322447.jpg
ところで、明日香村などの奈良県下の観光地にある土産物屋では、蘇(そ)を見かけることがあります。

他の府県では、蘇が土産物として店先に並ぶことは、まずないのではないでしょうか。

ただ、蘇はその大きさの割には値段が高いため、購入される方は少ないのかもしれません。

従って、実際に食べた経験のある方は、奈良県民でも少ないのではないでしょうか。

下の写真は、50グラムで700円の蘇です。

蘇とは、牛乳だけを煮詰めて水分だけをとった自然食品のことです。

ラッテ・たかまつでは、オリジナルの古代の蘇を販売していて、試食することもできます。

古代の蘇は、ご覧のように茶色っぽい色をしています。

柔らかさはチーズくらいですが、チーズのようには滑らかではなく、すこしざらついた感触があります。

味はというと、チーズよりも甘味のある、濃厚ミルク味という印象でしょうか。

古代から貴重な薬品や滋養補給食品として、大切に愛用されてきたようです。

ラッテ・たかまつは、山麓の村落にある喫茶店という立地にもかかわらず、土日には順番待ちが出るほどの人気店です。

奈良県南西部にある當麻寺や葛城古道まで来られた折には、ぜひ少し足を伸ばして、ラッテ・たかまつの濃厚ソフトクリームと古代の蘇をご賞味されるのはいかがでしょうか。
a0126310_20423466.jpg
a0126310_20424663.jpg

アテンションをいただきありがとうございます。ポチィと応援お願いします。
  ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村

blogram投票ボタン
[PR]
by kokokara-message | 2010-07-13 22:28 | 奈良

若草山焼き

a0126310_2272786.jpg

1月23日土曜日午後6時15分から若草山焼きが行われました。(奈良ファミリー屋上から撮影)

以前は、大とんども山焼き行事で行われていましたが、現在は「飛火野」に場所を移して「春日の大とんど祭典」として開催されています。

若草山焼きの起源について、従来は社寺(東大寺と春日大社)の境界争いと一部で伝わっていたようですが、現在では「俗説」とされています。

若草山焼きの起源については、「若草山山焼き行事実行委員会」が発行する2010ガイドブックからそのまま引用させていただきます。

若草山は九折山(つづらやま)と呼ばれており、三重目の頂上は前方後円の巨大な鶯塚古墳です。
江戸末期頃まで、この鶯塚はウシ墓と呼ばれ、ここから出る幽霊が人々をこわがらせるという迷信が長く続いていたらしく、しかもこの山を翌1月頃までに焼かねば、翌   年に何か不祥事件が起こるといったことで、通行する人が放火し東大寺境内の方に火が迫る事件が再三起こりました。
元文三年(1738)12月に、奈良奉行所は九折山に放火停止の立札を、山の枯れ草が青芝になる正月から三月まで立てましたが、しかし、その後も放火事件が起こ り、結局その犯人は検挙されぬまま、誰が焼くともなく焼かれるようになりました。
それは山上古墳の鶯陵に葬る霊魂を鎮めるそまびとの祭礼ともいうべきもので、供養のためでもありました。

a0126310_21553621.jpg

鶯塚古墳(上の写真)は、若草山山頂に築かれた全長107mの前方後円墳です。

現在は国史跡に指定され、出土した埴輪などからは5世紀初め頃の古墳と考えられています。

また、近世には、清少納言の『枕草子』に記された「うぐいすのみささぎ」とみられていたようで、享保18(1733)年の鶯陵碑(下の写真)が後円部頂にたてられています。

a0126310_21552455.jpg

もともと、若草山焼きは火祭り(左義長やとんど)の一種として小正月に行われてきた行事といえます。

小正月とは、正月の望の日(満月の日、旧暦1月15日)のことであり、かつてはこの日に元服の儀(通過儀礼)が行われるという慣わしがあったようです。

このことから、1948年に公布・施行された祝日法では、1月15日を成人の日とすることになったようです。

しかしながら、2000年からは法律が改正されて、成人の日は1月の第2月曜日になっています。

これは、成人式が形骸化(イベント化)してしまったために、成人の日を通過儀礼としては認めないという社会からのメッセージとして受け取ることができるのかもしれません。(主催者側はこのようには考えていないと思いますが)

つまり、若草山焼きや大とんど(左義長)は、このような元服の儀(通過儀礼)との関係性を保ちながら続けられてきた行事であるといえるのではないでしょうか。

しかしながら、小正月が元服の儀(通過儀礼)の意味をなくしてしまった現在では、若草山焼きや大とんど(左義長)を小正月に行うことの意味もなくなってしまったようにも思われます。

平成21年から若草山焼きは、小正月(旧暦でもなく、新暦でもない)ではなく、1月の第4土曜日に行われるようになりました。

各種行事のイベント化は、地域活性化などの取り組みと相まって、時代の流れになっているのかもしれません。

しかしながら、一方では、日本文化の古層にある「反知性」なるものが、いまも秘かに語り継がれているという事実はあるのかもしれません。

ここで言う「反知性」なるものとは、情念や感情や身体というような知性(意識)では制御することができない大いなる自然というような意味です。

ユング心理学で言う無意識の領域にあるセルフイメージのようなものになるのでしょうか。

このような「反知性」なるものが、知性(意識)によって制御されることなく、マグマのように地底深くから噴出してこないことをただ祈るばかりといえます。

アテンションをいただきありがとうございます。ポチィと応援お願いします。
  ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
[PR]
by kokokara-message | 2010-01-23 22:10 | 奈良

奥明日香稲渕の棚田の風景の移り変わりです。案山子が目印ですかね。
上の写真が11月初めで、下は9月20日頃のものです。
この移ろい(時間性)こそが、日本の風景そのものではないでしょうか。
a0126310_2043343.jpg

a0126310_20472880.jpg

刈り入れが終わったあとの棚田は、宴の後の静けさをとりもどしたようですね。来年の春まで、しばしの休息です。
a0126310_2044898.jpg

a0126310_20493070.jpg


アテンションをいただきありがとうございます。ポチィと応援お願いします。
  ↓
にほんブログ村 写真ブログ 散歩写真へ
にほんブログ村
blogram投票ボタン
[PR]
by kokokara-message | 2009-11-07 18:53 | 奈良

大和三山のうち畝傍山と耳成山(背景)は、火山が浸食されてできた地形のようです。
a0126310_2114290.jpg

藤原京跡には、様々な色のコスモスが植えられています。癒されますね。
a0126310_21185544.jpg

天香具山(背景)だけは火山ではなく、多武峰が侵食されてできた地形のようです。
a0126310_2121509.jpg

アテンションをいただきありがとうございます。ポチィと応援お願いします。
  ↓
にほんブログ村 写真ブログ 散歩写真へ
にほんブログ村
blogram投票ボタン
[PR]
by kokokara-message | 2009-11-05 21:34 | 奈良

藤原京は、694年持統天皇が飛鳥浄御原宮から遷都し、文武天皇を経て、710年元明天皇が平城宮へ遷都するまでのわずか16年間の都城です。
1キロ四方の規模をもつわが国初の本格的都城は、大和三山に取り囲まれる都市計画となっています。

背景の三角形の山は耳成山です。
a0126310_17343517.jpg

右奥の低い山が天香具山ですね。
a0126310_17342543.jpg

畝傍山です。さらにその背景は葛城山ですね。
a0126310_17344434.jpg


アテンションをいただきありがとうございます。ポチィと応援お願いします。
  ↓
にほんブログ村 写真ブログ 散歩写真へ
にほんブログ村
blogram投票ボタン
[PR]
by kokokara-message | 2009-11-03 18:12 | 奈良

国宝高松塚古墳壁画は撮影ができませんが、高松塚古墳は築造当時の姿に復元されていました。
a0126310_20385057.jpg

上段部直径17.7M、下段部直径23Mの二段築造の円墳です。墳丘の裾には周溝がめぐっていたようです。
a0126310_2039097.jpg

秋の国宝高松塚古墳壁画(修復中)の一般公開が、10月31日からはじまり、早速見学に行ってきました。

高松塚古墳の石室に使用された凝灰岩は16枚で、すべてが解体されて、ガラス越しの作業室に展示されていました。

国宝高松塚古墳壁画は、凝灰岩切石でつくられた石室の内側に、厚さ数ミリで塗られた漆喰の上に描かれています。

まず、石室を構成する凝灰岩ですが、これは大阪府と奈良県の境に位置する二上山から切り出されたもので、加工がしやすい反面もろい材質のため、重力のかかっていた天井部の凝灰岩は損傷が激しく、補強がほどこされているようです。

そして、漆喰の上に描かれた飛鳥美人の名で親しまれる女子群像は、予想したとおり色の劣化が激しく、高松塚壁画館の模写のような鮮やかな色や輪郭はみることはできません。

文化庁の職員の説明によると、壁画の損傷の主な原因は、漆喰と塗料へのかびの侵食にあるらしく、現在はかびをクリーニングする作業が行われているとのことです。

壁画の中の飛鳥美人を取り囲む漆喰部分については、すでにクリーニングが終わっている模様で、白い生地が蘇えっているようでした。

壁画からの漆喰の剥落をおさえて、かびのクリーニング作業を終えるまでには、あと8年はかかるとのことでした。

高松塚古墳は、天武・持統天皇とゆかりの深い人物が葬送された場とされています。

また石室には、四神図、天井星宿、高句麗美人などが描かれ、7世紀末から8世紀初頭の日本人が抱いていた世界観を現した小宇宙といえます。

天武・持統天皇にも関連することになる特別史跡としての古墳については、できるだけありのままの状態で、静謐に「保存される」ことが望ましいとされることになります。

一方、石室に描かれた国宝としての壁画については、劣化させることなく日本国民の共有財産として、慎重に「保存される」ことが望ましいとされることになります。

このように、同じ「保存される」という言葉を使用しても、その意味に若干のズレがあるということにお気づきでしょうか。

おそらく、昭和47年高松塚古墳の発掘調査後に、このような意味のズレが顕在化することとなり、いかに古墳と壁画を保存するべきかという難題が、文化庁の担当課に突きつけられることになったのではないでしょうか。

そして、技術的な問題はあったにせよ、発掘調査から数十年間にわたって放置されてきた難題に、自分の身を挺して解決の糸口を示されることになるのが、文化庁長官でユング心理学者の故河合隼雄氏であったと理解しております。

昨今、巨大古墳(史跡だけではなく陵墓参考地など)への学術調査が、まだほんの一部ですが、開始されるようになったと聞いております。

歴史の謎解きは、歴史を塗り替える重要なモチベーションになるものと思われます。

しかしながら、発掘調査の後に続く歴史に対しても思いをはせるということは、謎解き以上に重要なことであるのかもしれません。

これは、歴史ロマンを語る人たちが、歴史そのものと対峙するうえで、忘れてはならない「謙虚さ」という作法であると考えていますが、さて、皆様はいかがお考えでしょうか。

アテンションをいただきありがとうございます。ポチィと応援お願いします。
  ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村
blogram投票ボタン
[PR]
by kokokara-message | 2009-11-01 23:15 | 奈良

国重要文化財に指定されている世界唯一の木造十三重塔です。
a0126310_0144524.jpg

11月になると紅葉狩りです。

ご存知の通り談山神社は紅葉の名所として知られ、土日ともなれば周辺道路はたいへん混雑します。

桜井方面から多武峯街道で向かう道路は避けて、明日香石舞台方面から比較的楽な道程で談山神社まで至るハイキングコースをご紹介します。

自動車なら現在整備中の県道に沿って、大字上という集落まで行くことができます。

そこから徒歩で約25分の登山をすれば談山神社に到達することになります。

まずは、石舞台を過ぎるとすぐに冬野川に架かっている都橋があります。

橋は渡らず、都橋手前の三叉路に「多武峯への通り抜けはできなせん」という標識がかかっている方向、つまり向かって左側の道路へ曲がります。

曲がったあとは、道なりにまっすぐ突き当たり(通行止め)まで行くだけです。

突き当たりには、写真のように「上」というコミュニティバスの停留所があります。
a0126310_014191.jpg

そして、ハイキングコースは、この写真の左側斜面の手すりに「赤い矢印」が設置されている山道を登っていきます。
a0126310_0215258.jpg

ハイキングコースは、整備されていない部分が3分の1ほど残っていて、急な傾斜もありますので、雨天時の利用はお勧めできません。
a0126310_0284746.jpg

ハイキングコースを登っていくと、写真のような整備中の県道に幾度か出くわしますが、案内の標識に従ってさらに登っていきます。
a0126310_0152839.jpg

登山口から、約25分で談山神社の西門跡に到着します。

ここからは旧境内になるようですが、談山神社正面入口まではあと少しです。

御破裂山頂上を目指すのなら、談山神社境内から登ることもできますが、先の西門跡の手前にある登山道からも登ることができるようです。
a0126310_0324573.jpg

この季節、談山神社周辺での紅葉狩りは楽しみといえます。

しかしながら、いにしえの中大兄皇子と中臣鎌足が、どのような道のりで飛鳥の都から談い山(かたらいやま)まで通ったのかを想像することも、明日香の隠れた面影を知ることになるのではないでしょうか。

また、登山道入口から御破裂山頂上まで約1時間のハイキングコースは、ダイエットの基礎代謝向上のための適度な運動コースとしてもお勧めできるものといえます。

この秋、明日香から談山神社への小さな旅を、ぜひともお楽しみください。

アテンションをいただきありがとうございます。ポチィと応援お願いします。
  ↓
にほんブログ村 ダイエットブログ 健康ダイエットへ
にほんブログ村
blogram投票ボタン
[PR]
by kokokara-message | 2009-10-18 00:35 | 奈良