ルビンの壷(10)
2010年 02月 05日
最後になりましたが、両義性という非対称的な構造(関係)そのものを克服するための方法としては、次のことが考えられます。
1.非対称性の構造(関係)のいずれかを「与件」として、自分の軸足を定めるということ。
2.1で定めた与件を基点として、非対称的な構造全体を把握するための自己意識(空間把握能力、時間把握能力)を持つということ。
3.さらに流動化していく非対称性の構造(関係)いかに適切に生きるかというバランス感覚を持つということ。
上記の1~2の方法によって、やがて3のバランス感覚が身につくようになれば、非対称的な構造(関係)にある難問(アポリア)に対しても、おのずから意思決定ができるようになるのではないでしょうか。
そして、このようにして意思決定したものは、ひょっとすると原因と結果が逆立ちになった形で出現するということになるのかもしれません。
つまり、良いソルーションを得たいがために意思決定するのではなく、思いのままに意思決定したことが、結果的に自分にとって最もふさわしいソルーションとして出現するという逆立ちした関係です。
少しオカルト的に聴こえるかもしれません。
もしも、私たちが、四面楚歌のような状況にあったとしても、結果的に適切な対応がとれていると思えるような瞬間があるとしたら、それは、通常考える原因と結果が転倒した関係になって出現している可能性があるということです。
孔子の論語に、人間の生涯を現した有名な言葉が残っています。
吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)う。
七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を超えず。
「心の欲する所に従いて矩(のり)を超えず」とは、つまり思いのままに採った行動であったとしても、結果としてふさわしい適切な行動として評価されることになるということでしょうか。
私が言わんとする、自己意識の完成を表現した言葉といえるのかもしれません。
人間は、死のキャリアといわれるように、死に向かって老いていく存在といえます。
しかしながら、ただ老いるのではなく、このような境地(自己意識の完成)を目指して歳を重ねていきたいと私は考えていますが、さて皆様はいかがでしょうか。
【追記】
「ルビンの壷」をご一読いただきましてありがとうございました。
両義性の問題は、複雑化する現代社会においては、いつ、どこで、誰が出くわしてもおかしくないような喫緊の問題といえます。
そして、その克服のためには、自分という与件を引き受ける(自律する)ということが、第一歩になると思われます。
このような地道な作業の繰り返しが、やがて社会的文脈のようなやっかいで複雑な関係性とも、親和的なソルーションを導くことができるのではないでしょうか。
孔子の言葉によれば、その完成には70余年が必要とのことです。
私は知命の歳まであと数年となりましたが、自己意識の完成までにはまだまだ長い道程が必要といえそうです。
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