「寛容」とは何か(17)

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たとえば、日本の失われた前近代である武家社会に対する郷愁があるとするならば、それはロマン主義といえます。

武士道は、武士階級における儒教を中心とした支配者の行動規範のことであり、これは封建社会という固定化した階層社会を前提とする特権的な武士の行動様式のことをさします。

武家社会がイエを基本単位としていたことは周知のことですが、近代化以降においては、このようなイエ制度が国民全体を対象として法制化されることになりました。

イエ制度の法制化が、現在まで世間を残存させることになった理由のひとつと考えることができるようです。

現在においては、多様で(自律した)個人の自由な思想や行動が、世間によって阻害されている状況については今までの論考で見てきたとおりです。

また、保守とは今あるものをただ守ることだけではないということについても、以上の論考で明らかであると思われます。

先には近代国家が前近代を理想とすることを保守の一例としましたが、現在においては、戦前までの近代をロマン主義的に理想の過去とするような保守も存在しています。

現在のように自分のアイデンティティが希薄となり自信が持てない時代にあっては、ナショナル・アイデンティティとしての近代史や国際関係論に依拠して、自分のアイデンティティを補強したいと考える傾向は強くなっているようです。

保守が過去を理想化するように、革新は未来を理想化するということになるのですが、現在のように価値が多様化した時代にあっては、それぞれの価値観の共同性から多元的な理想像が主張されるということになりそうです。

価値の多様化、多元化という方向性は今後も続くのではないでしょうか。

アイデンティティに関する問題としては、現代の社会システムでは、人と人が直接コミュニケーションをするという機会が加速度的に減少している傾向がみられます。

日本人は、アイデンティティを自分の内面ではなく、自分の外部に求める傾向があるということでした。

このような日本人の行動様式からすると、コミュニケーションの機会が減少して、外部との相互参照ができなくなるということは、アイデンティティの希薄化や脆弱化に拍車をかけることになってしまいます。

また、日本人は自分たちとの差異が小さくて、距離が近いと思える異文化や他者には脅威や不安を感じることは少なく、アイデンティティに危機をもたらすこともないのかもしれません。

しかしながら、グローバリゼーションによる国際秩序の再編を起因とした流動化は、差異の大きな異文化や他者と接触する機会を日本人にもたらすということになります。

これは、日本人が人種や言語や習慣という他者の外観の差異に過剰反応し、脅威や不安を感じるというレベルの問題ではなくなってくるということです。

つまり、自他の区分が明確な他者の思考法(論理)に対して、日本人が上手くコミュニケーションをとることができないという関係性の問題にも発展することが考えられます。

日本人はどうすればコミュニケーションをとることができるかという、異文化や他者との関係性を構築のための基礎的で本質的な問題と向き合わなければならないということになりそうです。

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by kokokara-message | 2010-01-28 21:25 | 我流日本論(寛容とは何か)