資本主義の不都合な真実/岩井克人(3)
2010年 01月 05日
では、貨幣の働きとは何なのでしょうか。
そして、貨幣を媒介とする金融とは一体何なのでしょうか。
金融とは、世の中を効率的にすることにあるとされています。
つまり、金融とは、世の中にあるさまざまなリスクに関して、それを避けたい人と避けなくていい人とを繋ぐことが仕事といえます。
これは、様々な差異性を媒介としていく商人資本主義そのものといえそうです。
商人資本主義とは、産業革命以前の製造業ではない通商によって差益を得るという商業資本主義のことです。
そして、普通の経済学の立場からは、このような差異性による利潤というものは、決して悪いことではなく、極めて正しいことになります
しかしながら、バブルの頃には、金融の利ざやを執拗に追求する強欲性やバブルにうかれた人間の根拠のない非合理性の追求(みんなが投機するから自分も投機する)は、確かに目にあまるものがあったといえそうです。
このような強欲や非合理性の当事者(ほりえもんや村上ファンド)に対して、共同体はスケープゴート的な議論を繰り返すことになりました。
ただし、「理想状態」から不純物を排除することが問題解決になるという発想においては、先の新古典派経済学やネオコンの「理想状態」からの不純物の排除と同じ発想ということになってしまいます。
従って、より根源的な問題として考えなければならないことは、資本主義の根底にある「貨幣」という存在です。
この貨幣の存在が、人間の自由を可能にしているといえますが、一方でこの自由の結果として、資本主義の危機が必然化されてしまっているということにもなります。
このことからすると、人間の非合理的な行動や強欲な投機というものも、貨幣が与えた人間の自由の結果に過ぎないということにもなります。
人間が自由を求める無限の欲望というものは、貨幣によって作られたと考えるべきということになるのではないでしょうか。
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