自由の限界と民主主義の限界(5)
2009年 12月 08日
明治維新以降、日本は近代国民国家を樹立させていくことになります。
しかしながら、明治政府のとった国家神道を中心とする政教一致の政策は、価値相対的な多様性を前提とする民主主義という政治システムとは、決して相性のいいものではなかったようです。
多様性としての内心が否定されることと民主主義において価値相対的な多様性が採用されるという矛盾は、西欧で遅れて近代化することになったドイツにおいても見られた現象といえます。
ドイツにおいても、国家による上からの文化的な同一化政策が採られることによって近代国民国家の統一が図られるということになります。
多様性を前提とする民主主義制度と近代国民国家としての統一性を優先させることになる同一化政策の採用という矛盾を、ドイツと日本では抱くということになりました。
やがて20世紀に入り、ドイツと日本では、奇しくも同じように「全体主義」という政治システムが成立することになります。
そして、「全体主義」によって国民の経済的自由と精神的自由が制限されるという状態が、第二次世界大戦末まで続くことになります。
では、戦前において見られた「全体主義」は、一体どのようなものであったのでしょうか。
そして、戦前思想の象徴として語られることになるナショナリズムや愛国心とは、どのような関係にあったというのでしょうか。
ナショナリズムや愛国心は、日本においては政治的な領域で語られることが多いように思われます。
しかしながら、ナショナリズムや愛国心とは、本来政治的な領域の問題として扱われるものではなく、むしろ文化の領域の問題として扱われるものであると思われます。
つまり、民族や国家にもともと存在する、固有の文化を守って行くという姿勢や態度が、愛国心やナショナリズムといわれるものなのではないでしょうか。
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