茶の湯と倒錯文化(全編)

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茶の湯と倒錯文化~プロローグ


この論考は、今から約6
年前に書いたものです。


人間の抑圧心理が、なぜ感覚と正反対な行動を採らせるかを考えていた時期であったように思います。


茶の湯と倒錯文化という着眼も、このような時期に思いついた、私の物語ということであって、史実が反映された真実ということではありません。


従って、物語の創作に必要となる情報についても、主なものはウイッキペディアから引用したものになっています。


茶の湯が倒錯文化という物語設定はひとつの例示にすぎず、原因と結果が転倒してしまった現象は、私たちの周りで多く見かけることです。


このような普遍性と特殊性という非対称性の問題は、今後日本人が対峙していかなければならない重要な問題であるといえます。


論旨については6年前のものとほとんど同じですが、結論だけはこの数年で少々変化があったため、加筆修正することとしました。


最近のことですが、自分がほんとうに苦しいとき、辛いときに思い浮かべたり参照したりすることは、母性的なイメージのものよりも、むしろ父性的なイメージのものが多くなってきたように思われます。


おそらく、先の見えない時代にあっては、少しだけ安心できる癒合の心地さよりも、少し心細いけれども分節し割り切ることの方が、生きやすく感じるということなのかもしれません。

やっぱり一人はさみしい枯草 やっぱり一人がよろしい雑草 
(種田山頭火)

山頭火の俳句のように、自律と孤独の両義的な気持ちの揺れはおそらく尽きることがないと思われますが、たとえ暫定的ではあっても「自分を信じる」勇気を持つということは必要ではないでしょうか。


少々長くなっておりますが、「茶の湯と倒錯文化」に、ぜひ最後までお付き合いいただければ幸いと考えております。


茶の湯と倒錯文化

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第1章 侘び茶という対抗文化


茶の湯の侘び(わび)や寂(さび)は、日本の美意識のひとつといわれていますが、果たして本当に日本の美意識となっているといえるのでしょうか。


確かに侘び(劣っていること)や寂(時間が経過して古びたこと)が、日本の美意識のひとつとして外国に紹介されることはありますが、侘びや寂という美意識のもともとの起源は、倒錯的な価値観ということになるのではないでしょうか。


つまり、侘びや寂は美しいものを美しいとは言わず、高価なものを高価とは認めないという価値が倒錯した文化という側面を持っています。


侘び茶は、公家文化の茶の湯に対するカウンターカルチュアー(対抗文化)としての目的を持って成立した倒錯文化ではなかったのでしょうか。


侘び茶が、一般的なの価値から倒錯した特殊な文化という視点を持つことによって、以下の論考を進めていくことにします。


侘び茶とは、中世の堺で武野紹鴎や千利休によってはじめられた茶の湯文化です。


形成された初期の頃には、いまだ「侘び数寄」などと呼ばれていたらしく、侘び茶と呼ばれるようになるのは江戸時代になってからです。


つまり、後の世に武野紹鴎や千利休が実践していた茶の湯の形式のことを、侘び茶と呼ぶようになったというように順逆の反転がみられます。


以下では、武野紹鴎や千利休の実践した茶の湯のことを、便宜的ですが通俗的な呼び名として「侘び茶」に統一するにします。


侘び茶は、数寄物といわれた堺衆の武野紹鴎や千利休によってはじめられたとされています。


武野紹鴎や千利休は、唐物の天目茶碗にみられるような品質の高い工芸品などよりも、むしろ実用品とされた高麗茶碗や呂宋壺を重用することになります。


また、公家文化の茶の湯では使用されることがなかった竹細工を茶席の中に用いるなど、茶の湯そのものを革新的な試みによって実践していくということになります。


このような、茶の湯は、おそらくは当時としては風変わりな(数寄物)ものとして写ったのではないでしょうか。


このように風変わりな(数寄物)茶の湯が、時の堺の権力者である三好長慶や松永久秀、織田信長の目にとまることになり、庇護をされることになります。


風変わりな茶の湯である侘び茶は、やがて権力者の周辺での権威ある社交手段として認識されるようになり、その指南役を務めることになった武野紹鴎や千利休らの堺衆の権威とともに侘び茶の持つ価値は増していったものと考えられます。


では、なぜ時の堺の権力者が、このような倒錯した文化ともいえる侘び茶に対して高い評価をすることになり、指南まで受けるということになったのでしょうか。


そもそも茶の湯は、貴族や大名の間だけで行われていた、公家社会の社交文化のひとつであったとされています。


茶の湯が一般大衆にまで広まることになるのは、江戸時代も中期以降のこととされています。


従って、千利休らの堺衆が風変わりな茶の湯である侘び茶を広めることになる対象は、一般大衆ではなく、戦国大名などの時の権力者たちであったということになります。


戦国時代は、律令制の持つ秩序や旧来からの価値が崩壊してしまった時代で、秩序と価値の大転換期ということができます。


朝廷や幕府の権威も地に落ちてしまい、諸国の兵(つわもの)がのし上がっては、つぶされていく弱肉強食の下剋上の時代にありました。


絶対的に信用できるような秩序や価値は、もはやどこにも存在しないというほどに、先の見えない時代であったと思われます。


このような下剋上時代にあっては、既存の秩序を破壊して、新しい秩序を構築するということが天下をめざすということになります。


このような下剋上の精神を持った戦国大名は、侘び茶の持つ既存文化に対する反逆性というものに共感を抱くとともに高い評価をすることになります。


倒錯文化としての侘び茶が、価値の逆転を目指す戦国大名から親和的な文化として共感されることになったということは自然なことではないでしょうか。

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では、そもそも武野鴎紹や千利休がはじめた侘び茶が、公家社会の茶の湯文化に対するカウンターカルチャー(対抗文化)としての強い反逆性を帯びたものであったのはどうしてでしょうか。


千利休は「ととや」とよばれた納屋衆(倉庫業)であり、屋号からは鮮魚を扱う商人であったとされています。


その侘び茶の師匠であった武野紹鴎は、武器商人とも皮革を扱う問屋ともいわれており、時の堺の支配者であった三好長慶などとも武器商人として交流があったとされているようです。


そして、千利休も三好長慶や松永久秀と茶会での交流があったとされる記録が残っていることから推測すれば、武野紹鴎と同様に千利休も茶人としてだけではなく、商人として時の権力者と接触していた可能性は高いと考えることができるのではないでしょうか。


また、時の権力者であった戦国大名から信任を得るために必要とされた才覚は、おそらく武器をより多く商うということであったと考えられます。


このことを通じて武野紹鴎と千利休が時の権力者から大きな信任を得ていた可能性は否定できないところではないでしょうか。


武野紹鴎や千利休が武器を扱う商売をしていたとすれば、両人が武具の生産にとって必需品とされる皮革を扱う職人とも交流があったことは、推測のできるところです。


皮革の生産を生業とする職人や「ととや」の屋号にみられる漁労を生業とする職人が、当時の日本の支配的な宗教観である、死に対するケガレ意識や仏教の殺生戒などから特別視されることや賤視されるというはあったかもしれません。


身分制度としては、いまだ固定されていない流動的な時代といえますが、その生業が先のような宗教観から畏怖や賤視の対象になっていたことについては、網野善彦氏など多くの研究者が言及しているところです。


また、武野紹鴎が武器商人であったとされているように、千利休についても同様な商いをすることで、時の権力者から信任を得るとともに、利益もあげていたことは想像できることではないでしょうか。


現在においても武器商人が平和のかく乱者として疎んじられるように、武野紹鴎や千利休が、時の権力者に近づき武器を商うことによって大きな利益をあげていたとしたら、当時の堺の町衆が、このようなふるまいをにがにがしく思っていたことは想像ができそうです。


宗教的な禁忌を生業とする職人と交流して商売をしていたことや時の権力者に近づき武器を商って利益をあげていたということであれば、堺の町衆という世間の目が、武野紹鴎や千利休を特別視や賤視したということも想像ができることではないでしょうか。


堺ではじまった侘び茶の形成される背景には、その創始者である武野紹鴎や千利休に対する世間からの特別視や賤視がもたらす抑圧的な心理状態というものがあったとは考えらないでしょうか。


武器商人であった武野紹鴎と武器との関連も推測される商人であった千利休が、世間からの特別視や賤視という抑圧心理を共有していたとすれば、侘び茶は両人の抑圧心理がもたらした反逆性というものを原因として生まれた倒錯文化ということになります。


つまり、既存の宗教観や文化的秩序からもたらされる抑圧心理は、防衛機制が働くことで、旧来の既存システムに対する反逆性として出現することによってバランスがもたらされることになります。


このような反逆性というものが、戦国大名が下剋上の時代にあって既存の価値を否定しながら、新たな秩序と価値を構築しようとした反逆性と心性の方向性が同じといえたのかもしれません。


武野紹鴎とその弟子の千利休は堺の南宗寺で侘び茶を始めたとされることから、侘び茶と禅宗との関係については従来から指摘がされるところです。


この関係については否定できるものではないと思われます。


しかしながら、この論考では、ひとつの仮説として、武野紹鴎と千利休を取り巻く社会的背景が抑圧的なものであったことを想定し、両人が伝統的な茶の湯の権威を認めながらも、一方で旧来の文化観や宗教観を破壊することになる侘び茶に傾倒した心理という視点から考察することにしております。


抑圧心理は、反逆性(倒錯性)という心理状態を出現させることになります。


侘び茶が、抑圧されたコンプレックス(複合的心理)によって生み出された倒錯文化ということであれば、このような倒錯文化を共有できるような心理的背景を持つ人は限られていたといえそうです。


つまり、誰もが同じように抑圧心理を背負いながら暮らしていたわけではないということです。


従って、侘び茶は、草創期においては理解されるということは少なく、比較的小さい規模の人たちによって始められた趣向のひとつであったのかもしれません。


このことからすると、侘び茶は、既存の茶の湯文化に対するカウンターカルチャー(対抗文化)として位置付けられることになります。


侘び茶が、カウンターカルチャー(対抗文化)ということであれば、その本質は旧来からの世間の持つ宗教観や文化観への反逆性ということになるのが自然といえそうです。


つまり、侘び茶は、公家文化であった茶の湯を憧憬しながらも、一方では公家文化であった茶の湯に対する反逆性をも併せ持った倒錯文化ということになります。


戦国時代は、社会の秩序や価値が崩壊してしまった時代でした。


時の権力者は、旧来からの権威や価値を利用しながらも、その必要性がないとなれば、迷うことなく破壊するという行動様式(エトス)が主流の時代であったといえます。


侘び茶は、このような時代にあって成立することができた文化であったのかもしれません。


つまり、下剋上の時代精神が背景となり、侘び茶の倒錯文化が熟成されることになったといえそうです。


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第2章 侘び茶とコンプレックス


戦国大名の中でも松永久秀や織田信長は、朝廷や幕府、そして宗教などの旧来からの権威を認めなかったことについては、よく知られているところです。


また、松永久秀や織田信長は、旧来からの権威の破壊者として、戦国大名の中でもひときわ異才を放つ存在といえそうです。


下剋上という戦国時代を勝ち抜くためには、旧来の権威を利用することよりも、むしろその権威を超越していくことが、新たな支配者に求められた能力であったといえるのかもしれません。


従って、戦国の世の支配者となるためには、旧来の権威を破壊するということが求められました。


しかしながら、未だ呪術的な世界観が支配的であった中世においては、朝廷や宗教という既存の権威を破壊するという行為は、畏怖の感覚からすれば大罪として認識されるということが自然な感覚であったと思われます。


従って、旧来からの権威を何らかの形で利用しようとした支配者は多かったものの、実際には秩序と権威を破壊することまでできた支配者は、戦国の世でも一握りの人たちであったといえるかもしれません。


このような戦国大名にとって侘び茶の持つ倒錯文化の反逆性は、既存の政治的権威である朝廷や幕府を否定することにもつながることから、戦国大名が戦略的に侘び茶のもつ政治性を利用したことは考えられることです。


侘び茶に見られるような、価値がないとされるものを高く評価することや価値があるとみなされたものを躊躇なく破壊するなどの反逆性は、戦国大名が下剋上の時代を生き抜くための日常的に試みていた戦略ではなかったでしょうか。


松永久秀や織田信長は旧来の政治的秩序の破壊者であって、同時に新たな政治的秩序の構築者であったということができます。


そして、松永久秀や織田信長が、倒錯文化としての侘び茶を政治的な戦略手法として利用したことについては、千利休ら堺衆が重用されたことからも説明できることといえます。


一方、侘び茶の持つ既存の秩序への反逆性が、公家文化への羨望の裏返しでもあったことについては同時に押さえておかなければならないことと思われます。


このような両義性は、侘び茶のみならず下剋上の戦国大名にも内在していた心性ということができます。


侘び茶と戦国大名が結びつくのは、おそらく侘び茶に内在していたコンプレックス(葛藤)が戦国大名のコンプレックス(葛藤)に共鳴したということであり、これはユング心理学でいうコンプレックス仮説のコンプレックス(葛藤)の共鳴にあてはまります。


むろん、侘び茶に内在するコンプレックスが形成されたのは、武野紹鴎や千利休がコンプレックス(葛藤)を抑圧したためであり、松永久秀や織田信長の抱いたコンプレックスは、結果として、武野紹鴎や千利休の持つコンプレックスに共鳴したという関係になります。


今一度整理しておきますと、侘び茶においては唐物のような豪華で質の良い茶器は重要とはされずに、むしろ実用品として大量に生産されることになった、形のよくない茶器が高い価値があるものとされることになったということです。


また、漁師が使用する魚籠などの竹細工が、伝統的な高品質の磁器などよりも価値があるものとして茶席に飾られることになったということです。


このような倒錯した文化は、確かに既成の価値観にとらわれない革新的なものの見方への飛躍ということもできますが、旧来の価値が創造されるまでの長いプロセス(伝統)を十分に評価したものにはなっておらず、従って誰もが納得できる普遍的価値にはなっていないということです。


従って、侘び茶の持つ倒錯的価値とは、選定する者の恣意的な評価基準に依拠した、極めて曖昧な価値という側面が残ることは否定できないと思われます。


つまり、なぜ素晴らしいのか、なぜ美しいのかという基本な感覚の美意識が、当時の日本の社会で十分に理解されていたとまでは言えず、おそらく当時の日本の普遍的な価値基準になっていたとは言えないのではないでしょうか。


従って、侘び茶とは、このような倒錯した価値観(美意識)を共有することができた、極めて狭い範囲内の人間関係で成立していた特殊な価値観(美意識)ということになるのかもしれません。

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論考の最初の問いにもどることになりますが、侘びや寂は果たして日本や日本人の美意識となっているといえるのでしょうか。


いままで見てきましたように、侘びや寂が倒錯した文化であるという特徴からすると、人間の持つ感性に対してストレートな価値観というよりも、むしろ屈折した価値観になっているようです。


つまり、侘びや寂は日本人なら誰でも共通感覚を持つことができる普遍性を持った文化というよりは、むしろ特定の集団における特殊な文化ということになるのではないでしょうか。


侘び茶の持つ侘びや寂の本質を理解しようとするのであれば、その価値が形成された過程を理解する必要があり、価値の倒錯を引き起こすことになった、ある意味特殊な
戦国という時代背景や社会背景を理解する必要があるのではないでしょうか。


このように侘びや寂が特殊性ということから、日本人なら誰もが同じようにその価値を認識できるという普遍性は否定されることになってしまい、倒錯文化としての特殊性が強調されるということになります。


千利休は、侘び茶の持つ特殊性、つまり侘び茶の創始者であるがゆえの価値の恣意性を所持することができたことから、その権威を思うままに行使することができたのではないでしょうか。


このため、さらに上位の権力である秀吉からその価値を否定されると、千利休だけではなく侘び茶そのものが衰退するという経過をたどることになっていきます。


侘び茶が千利休という特殊性(恣意性)に依拠していたがゆえの結末といえるのかもしれません。


これらのことからは、特殊性が持つ特権的な愉悦性と恣意性ゆえの基盤の脆弱性という両面を見ることができるのではないでしょうか。


また、侘び茶では、装飾的な茶器よりも、むしろ実用的な茶器を重視したという特徴から、侘び茶が、使用的価値に重点をおいていたように思われることもあるようです。


しかしながら、実際にはその実用品の茶器に、破格な価値や値段がつけられたことからも分かるように、千利休が選定した「利休ごのみ」というものが、象徴的価値(ブランド)になっていたということです。


象徴的価値とは、ブランドのロゴなどにみられるような価値のことであって、その価値が共有できる人たちにとっては権威や権力というものを象徴することになります。


つまり「名物」を所持するということが権力者の象徴であるというように、記号的意味をもつということがその特徴となります。


侘び茶の持つ社会学的な意味では、そもそも侘び茶に使用的価値を重視するという実用主義が採用されたとはいえず、旧来の公家文化の茶の湯と同様な象徴的価値を重んじる、記号的意味が重視されていたということになりそうです。


この点からすると、旧来からの茶の湯と侘び茶には違いはないといえそうです。


しかしながら、侘び茶は、権威への羨望や憧憬というコンプレックス(葛藤)を抑圧してしまったことによって、旧来の価値基準とは倒錯したものになってしまったということのようです。


侘び茶とは、武野紹鴎や千利休のコンプレックス(葛藤)が引き起こした倒錯的価値ということでした。


そして、その倒錯した象徴的価値は、当時の日本人の感覚からしても普遍的なものということはできず、千利休の権威によって支えられていた特殊性ということでした。


千利休が削ったとされる茶杓(ちゃしゃく)はいくつか残っていますが、これを別の茶人のものと比較してみて、美的に技術的に明確な区別をすることはおそらく無理ではないかと思われます。


おそらく、後世に差異として残るものは、かつて千利休が選定したという歴史的な意味だけになるのではないでしょうか。


つまり、侘び茶がもともと内在していた倒錯文化の反逆性や政治性という本質は、モノそのものからは、やがて消失してしまうということです。


現在に続いている茶道は、秀吉によって千利休とその侘び茶がいったん廃絶された後に再興されたものです。


千利休以来の伝統に基づく様式と作法は守りながらも、侘び茶がもともと持っていた倒錯文化という本質は現在の茶道にまでは伝わっていないように思われます。


このように侘び茶とは、その時代背景を越えて成立することができる普遍的な文化ではなく、むしろ戦国という動乱の時代を背景として成立した特殊な倒錯文化であったということになりそうです。


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第3章 茶の湯と倒錯文化


侘び茶は、人間の持つ感覚にストレートに伝わるようなものの見方ではなく、むしろ屈折した倒錯文化ということでした。


美しいものが美しいとはしない、価値の高いものが高いと評価しないということは、価値のないとされるものを価値が高いと評価する、否定されているものを積極的に肯定するという尺度が転倒した倒錯文化ということになります。


従って、このことからは、弱いものが強いということにもつながり、貧しいものが貴いことということにもなってしまう、複雑で屈折した倒錯文化ということになります。


ニーチェいうルサンチマンにも通じるものの見方であるのかもしれません。


養老孟司氏によると、普遍性とは人間が持つ一般的な感性や感覚のうちで、両端に偏在する極端を取り除いたものというように定義されています。


侘びや寂が、このような普遍性として位置付けられるのであれば、侘び茶の持つカウンターカルチャーとしての反逆性は、人間や社会に幅や厚みを与えるものとして位置づけられることにもなると思われます。


しかしながら、倒錯したものの見方を無批判に鵜呑みにしているだけでは、人間や社会に幅や厚みを与えるどころか、人間の持つ自然な感覚や社会の秩序を混乱させることになり、私たちのアイデンティティに危機をもたらすことにもなりかねません。


従って、まず私たちに求められるものは人間の持つ普遍的な一般感覚であり、倒錯した特殊な感覚ではないということです。


そして、橋本治氏によると、個性とは一般感覚という基盤からこぼれ落ちてしまったような感覚ということであり、個性とは一般感覚からの破綻ということになります。


このような破綻は、私たちに痛み(みんなと同じでないという痛み)をもたらすことになりますが、やがて破綻した個性は、一般感覚という全体の中に統合されていくという仮説があります。


ユング心理学でいう「個性化の過程」ですが、これは自我が個性をコンプレックス(葛藤)として抑圧してしまうのではなく、むしろ自我に統合される過程とされています。

現在の茶道においては、侘び(劣っていること)や寂(時間が経過して古びたこと)が伝統的な様式や作法として残ってはいますが、倒錯文化の持つ本質までは伝えていないのではないでしょうか。


侘び(劣っていること)や寂(時間が経過して古びたこと)は、完全なものにはない、むしろ手垢のついたいびつものにこそ価値があるとされる美意識といえます。


このような美意識と似たものとしては、ドレスダウンのようにわざとドレスルールを破って、着崩すことを楽しむ文化も存在しています。


しかしながら、現在の茶道においては、侘びや寂が既定の様式や作法になっているため、なぜこのように迂回的な表現がされるようになったかという理路まで理解されているとはいえないようです。


従って、現在の茶道には、観念としての侘びや寂は残っているということはできても、その意味や起源までは十分に考察されているとはいえないのではないでしょうか。


現在の茶道は、従来からの伝統の様式と作法を受け継いでいるということにすぎないのかもしれません。


現在の茶道の大きな流れは、千利休のあとに再興された京千家の千少庵や千宋旦の流れを受け継ぐものといえます。


表千家、裏千家、武者小路千家の三千家は、千利休以来の伝統の様式を作法をその型で受け継いでおり、その差異は小さいものにとどまっているようです。


茶道の世界には、もはや倒錯的価値としての意味は含まれておらず、反逆性や政治性もその本質ではなくなっているようです。


しかしながら、侘び茶の発祥の地である堺や京都には、いまだ侘びや寂を生み出すことになった倒錯文化を受け継ぐ土壌が伝統として残っているようにも思われます。


もちろん、弱いものが強いとされることや、貧しいものが尊いとされるような倒錯的価値の現象は、堺や京都だけに見られる現象というわけではなく、他の日本の都市でも同様なことは見られるのではないでしょうか。


現代社会における価値の倒錯は、私たちが反逆と憧憬という両義的な価値に出会ったときに、そのコンプレックス(葛藤)を抑圧することで出現する病理的な現象といえるのかもしれません。


また、このような倒錯的なものの見方が出現するにも、日本独自のものということではありません。


欧米社会においてもコンプレックス(葛藤)がもたらす価値の倒錯は、抑圧や転嫁、反動形成(嫌いな相手に逆に優しくする)など心理学の領域で言及されています。


ニーチェの言うルサンチマンも哲学の領域における、同様な価値の倒錯と言えるのではないでしょうか。


このような価値の倒錯は、洋の東西を問わず、私たちの日常生活の中にしばしば出現する現象ということができます。


つまり、人間は無意識のうちにコンプレックス(葛藤)を抑圧してしまうことで、価値の倒錯を引き起こしてしまうということになるようです。


しかしながら、現在のストレスフルな社会では、日常的に多元的な価値を抱え込まなければならないことも多く、そのコンプレックス(葛藤)から自分自身が価値の倒錯を起こしてしまい、逆に周りから倒錯した価値観を強いられてもそれにさえも気付かないという客観的には自虐的と思われるようなケースもあると思われます。

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ところで、堺や京都は、歴史的に見ても多元的な価値観が並立して存在するという伝統的な都市文化の土壌にあるといえます。


そして、多元的な価値観の棲み分けがなされないままに、内部では対立と協調が繰り返されているという状況にあるのではないでしょうか。


このような価値の多元性は、現在の都市文化の特徴でもありますが、歴史を経ることによってさらに問題が複雑化してしまっているように思われます。


多元性な価値のコンプレックス(葛藤)が存在することと、それを抑圧することが都市文化の負の特徴ということになりますが、堺や京都はこのような都市文化の特徴を伝統的に受け継いできたということになります。


そして、都市においてコンプレックス(葛藤)を抑圧した結果の倒錯したものの見方が伝統ということになってしまうと、倒錯した価値観が自然なものになってしまい、
自分が倒錯した構造の中にあるということさえも気付くことがなくなってしまいます。


つまり、伝統的に倒錯したものの見方が強くなった都市社会では、特殊性というものが社会基盤になってしまうことです。


普遍性とは、両極端を切り落とした真ん中あたりであったように、できるだけ大きな社会という基盤を共有することで成り立つものの見方の範囲でもあります。


そして、大きな社会の中に存在する中間組織である共同性(世間)は、普遍性の中に存在する特殊性という位置関係になります。


従って、普遍的な社会システム(法制度など)が、都市文化の特殊性の基盤の上に築かれることになってしまえば、特殊と一般の構造の関係性が逆転しまったことにななってしまうわけです。


グローバリゼーションとは、資本主義と情報化によって世界システムの均質化を図るということであり、また国際関係の秩序の再編を促すことになるものということができます。


このため世界の均質化という同化圧力から逃避するために、国家や民族あるいは宗教や文化が保守化するという傾向は世界的に見られることです。


保守化とは、グローバリゼーションによって均質化(一般化)が進展していく、もう一方の側面ということであり、普遍性が強調されれば、したがって特殊性も同時に強調される関係性にあるようです。


従って、グローバリゼーションによって均質化(一般化)が進展していく中で、国家や民族あるいは宗教や文化についての何が均質化(一般化)されてもいいものであるのか、また何が特殊なままで残存していくものなのかということは、十分考えておかなければならないことといえます。


侘び茶の侘びや寂という倒錯文化は、グローバリゼーションという均質化の流れの中で、特殊性の領域にあるものとして普遍化の流れから放棄されてしまう運命にあるのかもしれません。.


あるいは、普遍化という流れに取り込まれながらも、いずれかに類型化されるということで、いわゆる博物館の中の展示品としてその役割が見出されることになるかもしれません。


つまり、堺や京都という都市が、現在においても伝統的な倒錯文化の構造の中にあるのなら、グローバリゼーションという普遍化(均質化)は堺や京都を特殊性として孤立させてしまうこと可能性があるということです。


もし、孤立化することなくグローバリゼーションの中で生き残っていくことができるとすれば、それは均質化という同化圧力の中で類型化されていくということになるのではないでしょうか。


倒錯文化がもともと限定された集団の中で愉悦的な価値を共有することから始まったことからすれば、倒錯文化が普遍的に認識される(類型化される)ということはもともと論理矛盾をきたす関係にあります。


広く共有できないものつまり特殊性が、広く共有できるものつまり普遍性には、決してつながらないということになります。


もし、もともとあった特殊性が普遍化することになるとすれば、おそらくそれはもとの特殊性が時間の経過とともに変質してしまったことを意味すると思われます。


従って、現在の日本の美意識のひとつとされる侘びや寂についても、すでに類型化された作法や様式が継承されているということであって、もうすでに博物館の展示品としての役割を果たすだけになってしまっているのではないでしょうか。


侘びや寂の倒錯文化は、いわゆる博物館的な展示物として類型化されるというたことで、普遍性へとつながったといえそうです。


しかしながら、現在の日本の社会の中においても、倒錯価値ともいえるような現象は多く見られることです。


それは一過性のものであっても、恒常的なものであっても、もはや社会的不適合を引き起こした病理的な症状としてみなされることになるようです。


現在の日本人にとっては、グローバリゼーションと言う普遍的で合理化された土壌(世界観)が広がる反面、倒錯文化を共有できるような世界観(土壌)はますます小さくなっているといえそうです。


そして、現在の堺や京都にいまだ統合されることのない倒錯文化の構造が残っているとすれば、それは都市文化の多元的価値が葛藤状態のままに手が付けられない状態で放棄されているということになりそうです。


従って、伝統的な倒錯文化の構造が残る堺や京都などの都市文化の問題は、おそらく心理学的な解釈からすれば、いまだ「個性化の過程」を経ていない、未成熟なままの状態にあるコンプレックス(葛藤)の問題ということなるのではないでしょうか。

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以上のことから特殊性と普遍性(一般)の関係についてあらめて整理しておくと、あくまで一般という普遍性が構築された上に、個性という特殊性が築かれることが望ましい関係ということになります。


つまり、現在の私たちに求められていることは、まずは普遍性という比較的大きな基盤を構築することであって、そのうえに自明な小さな共同性としての特殊性を対峙させるという関係になるのではないでしょうか。


このことから、個性(特殊性)についてあらためて考えてみると、侘びや寂という倒錯文化の伝統がいまだ構造として残っているような堺や京都の伝統的な都市では、特殊性が社会や文化の基盤になってしまっているため、本来あるべき大きな普遍性という大きな基盤が抜け落ちてしまっている(底が抜ける)ことになるということです。


もし、これから堺や京都ような都市において普遍的なシステムを構築しようとすれば、伝統的な特殊性という構造の上に普遍的なシステムを構築しなければならず、普遍性(一般)と特殊性の関係が倒錯した構造になってしまうということです。


つまり、グローバリゼーションが進展する中、現在の堺や京都のような伝統的な倒錯文化の構造が残る都市が向かっている方向は、おそらく土着的な特殊性という構造の上に、普遍的なシステムを構築しようとする少し無理筋とも言えるような試みになっているのではないでしょうか。


では、グローバリゼーションという均質化の進展の中で、特殊性を守るには、保守化するしかないということになるのでしょうか。


保守化は、特殊性の内部で癒合するということであり、これは外部からの孤立を意味することにもなります。


特殊性を外部に開かれたものとしながらも、なおかつ均質化(標準化)されない「個性化の過程」を歩んでいくためには、少しばかりの苦痛や不安がもたらされることになりますが、特殊性の殻をいったん捨てることという覚悟が求められることになると思われます。


特殊性と普遍性という非対称な構造を同時に生きなければならないということ、つまり非対称な構造をいかにバランスをとりながら生き延びるかということが、都市だけの問題ではなく、都市に暮らす人々がいかに「個性化の過程」を歩んでいくことになるかという成熟の問題でもあるということです。


都市の持つ特殊性というものは絶対化するものではなく、相対化するということが求められているということになると思われます。


つまり、都市の持つ特殊性は、多元的な価値が並立するコンプレックス(葛藤)の内部に抑圧してしまうのではなく、普遍性という外部に開かれた領域で統合するという「個性化の過程」を進むとことが必要になってくるということです。


したがって、唯一無二という意味の特殊性(オンリーワン)は、閉鎖された共同性の中をくまなく探し出すことで見出されるようなものではないということです。


むしろ、唯一無二という特殊性(オンリーワン)は、共同性から外部に開かれた領域にある普遍性の中に組み込まれることによって、はじめて客観的な評価がなされることになり、そして相対的な認識と位置づけがなされることになると思われます。


都市の持つ特殊性(オンリーワン)をいくら絶対化したところで、自己言及的な手前味噌とはなっても、外部からの評価や価値にそのままつながるとは限らないということです。


そして、たとえこのように考えることができたとしても、私たちは必ずどこかで構造的無知の状態におかれる可能性を持っているということです。


このことを謙虚に受け止め、自分たちの世界観には必ず外部があるということに留意しておく必要があるということになります。


私たち人間の持つ既知には、必ずその周縁という限界があることを知っておく必要があるということです。


つまり、自分にとってあまりにも自明な世界観がそもそも転倒したものである可能性があって、その倒錯した価値観の中で日常的に暮らしている可能性があるということに気付いておく必要があるということです。


そのためには、私たちは自分自身を相対化して、自分の中の特殊性(個性)に気付くということからはじめなければならないのかもしれません。


そして、残念ながら特殊性とされる個性と言われるものは、必ずしももろ手を挙げて自他ともに歓迎されるようなものとは限らないということです。


橋本治氏によると、個性(特殊性)とは一般(普遍性)の破綻であり、個性(特殊性)はとても痛みをともなうものであるということです。


そして、このような痛みなしには、コンプレックス(葛藤)状態の中の個性を自我(自己制御できる領域)に統合するということはできないということです。


私たちは個性や特殊性、あるいは唯一無二(オンリーワン)というものを安易にポジティブなものとして評価するのではなく、慎重に受け止めながら、自他との緊張関係の中で評価やその位置づけを図っていくしかないのではないでしょうか。

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グローバリゼーションは、確かに世界の均質化を進展させ、国際秩序を再編させるものといえます。


このことは、グローバリゼーションの機軸となる英米以外の国々には、大きな痛みと不安をもたらすことになると思われます。


そして、現在は基軸とされる英米中心の国際秩序についても、やがて再編されるという時期がくることになるのかもしれません。


しかしながら、グローバリゼーションとは、このような普遍性と特殊性、東洋と西洋、基軸と非基軸というような非対称的な構造を、同じフレームの中にいれて、一望俯瞰できるような視点を提供してくれる契機でもあります。


つまり、普遍性と特殊性、東洋と西洋、基軸と非基軸というような非対称的な構造は、二項対立のようなフラットな視点でとらえるものではなく、もともと相容れない構造を持ったものとして少し距離をとって眺めているしかないのかもしれません。


ただしこの場合でも、相容れない構造そのもの全体を俯瞰するためには、非対称な構造のいずれかに自分の立ち位置を定めておくということが必要になってくると思われます。


そして、自分がいったん定めた立ち位置であっても、やがて構造が時間とともに変化するのであれば、その位置関係も相対的なものでしかないということになります。


自分の立ち位置は絶対的なものではなく、あくまで相対的な位置でしかないことが分かればそれで十分と言えます。


茶の湯における普遍文化と倒錯文化の関係では、あくまで普遍文化を土壌としながら、特殊文化がその上に乗るという上下関係で考えてきたと思われます。


但し、グローバリゼーションにおける普遍性と特殊性の関係では、お互いが相容れない非対称的な構造として、その全体を眺めなければならない見方(世界観)が存在するということです。


「構造全体を眺める」ということは、時間の移り変わりや空間の変化を含んだ概念ということでもあり、普遍性だけでもない、特殊性だけでもない、その「全体性を回復する」(眺める)ことでもあります。


つまり、「全体性の回復」とは、自明なまま生きてきた部分だけではなく、生きることができなかった欠落した部分を生きなおすということを意味します。


「全体性を回復する」というものの見方が、グローバリゼーションという大きな津波に飲み込まれたとしても、これに伴う恐怖や不安、あるいは痛みから、私たちを救い出してくれる視点(支点)を提供してくれることになるのではないでしょうか。


最後になりましたが、私たちは、東洋人であり、日本人です。


そして、茶の湯も、日本の堺や京都の文化ということになります。


グローバルな視点からすれば、私たちは、普遍性そのものではなく、その周縁にある特殊性という位置に置かれていることになります。


従って、私たちが自らの足場として定めなければない地点は、普遍性ではなく特殊性ということになります。


そして、このことが日本人であることの限界だとすれば、日本人として目指すべき方向は、その特殊性から眺めることになる「全体性の回復」ということになります。


まずは、自分が日本人であるということ、そして、日本の文化や日本の言語について今一度再認識しておくということが、おそらく今後自分の足場の揺らぎを抑え、非対称な構造をバランスよく生きていくことにもつながることになると思うのですが、さて皆様は、いかがお考えになるでしょうか。

(おわり)

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by kokokara-message | 2014-05-12 23:00 | 我流日本史(茶の湯編)