「寛容」とは何か(全編)

「寛容」とは何か~プロローグ

「寛容とは何か」というこの論考は、今から5年以上前に記述したものです。

その当時は「ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)」という言葉についてあれこれ考えをめぐらせていた時期で、「ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)」が「寛容」の精神と少なからずかかわっているのではないかと思うようになりました。

ヨーロッパにおいては、「寛容」の精神はローマ帝国以来の伝統があるとされています。

ヨーロッパで現在実践されている「ソーシャルインクージョン」の理念と私たちの日本の社会で実践されている社会福祉の理念の間に、果たしてどのような違いがあるのか。


西洋社会では自明なものであるはずの「個人」が、日本の社会では明確にはなっていないのはなぜなのか。

このことが、西洋社会における「ソーシャルインクルージョン」と日本の社会福祉を分ける大きな要因になっているのではないか。

そして、西洋社会の構成単位が「個人」ということになれば、「個人」の生成過程と西洋社会の伝統的な「寛容」の精神との間にはどのような関係があるのか。

さらに、「個人」が明確になっていない日本の社会においても、西洋社会の「ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)」の実践は可能であるのか。

かような疑問点を想起しながら既述したものが、以下の「寛容とは何か」という論考です。


長文であり、少し読みにくい構成になっているかもしれませんが、ぜひ最後まで「寛容とは何か」にお付き合いくださいますことをお願いします。


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  「寛容」とは何か

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多文化共生などに対する態度のひとつとして「寛容」が挙げられることがあります。

実際には、私たちはその意味についてあまり気にかけることなく使用していますが、この「寛容」という言葉は、欧米の社会と日本の社会では意味されるところが違っています。

同じように自由や平等を実現する言葉として「寛容」という言葉が使用されながら、なぜ意味が違っているのか。

その理由として、それぞれの社会に「個人」が存在するかどうかということが関わっているようです。
これらのことを通じて以下の論考では日本の社会(日本の世間)と日本人にについて考察してみたいと思います

1章 個人と社会の発生

阿部謹也氏によると、ヨーロッパ社会で「個人」が生まれるのはおおよそ1213世紀頃の中世社会であるとされています。

その後、近代の始まりとされるフランス革命が起こり、自由と平等で文化的に均一な「市民」が生まれることとなり、均質な国民と閉鎖性としての国境を伴った近代国民国家が登場します。

そして、このフランス革命で生まれた「市民」とは、中世社会に生まれた「個人」を起源とする存在であったということです。

では、中世ヨーロッパにおいて「個人」はどのようにして生まれたのでしょうか。

「個人」が発生するまでの中世ヨーロッパは、土着的な習俗や呪術や迷信がいたるところにあふれている世界であり、贈与・互酬関係を基本とする世間がいまだに残っていました。

「個人」の成立にはキリスト教が大きくかかわっているとされます。

土着的な習俗や呪術や迷信という多元的世界に生きていた中世ヨーロッパの住人に対して、キリスト教会は教皇や皇帝というヒエラルヒーはあっても、「この世に生きている限り神のもとでは平等である」という一元的な世界観を示して、この世界観の共有を広めていくことになります。

またこの世界観は、すべての人が共有する時間や空間を旧来の畏怖や異質や非合理な多元的世界観から切り離す力となり、世界は均一な時間と空間によって貫かれる一元的な世界観へと変化していくことになります。

呪術や迷信を世間から徹底的に放逐していくことによって中世の住人は合理的判断を行うことができる生活環境を手にしたのです。

また、中世ヨーロッパにおいて私的な支配関係の原因となっていたものに贈与・互酬関係があります。

キリスト教会はこれらの贈与・互酬関係を否定して無償の贈与による対等な関係の構築を進めます。そして、中世の頃から広まった貨幣経済の発達が合理的な市場を成立させたことも、中世の住人が贈与・互酬という私的な支配関係から離脱していく原因になったといえます。

1215年のラテラノ公会議では告解が義務付けられます。

告解とは自分の罪を教会の神父に告白することですが、それまでは自分の外部との関係(家族や地域など)からしか自己の存在は与えられることがなかったのですが、告解で自分の内面を語ることによって「自分自身が生成する自己」というものを外部に認証させるということが可能になりました。

このことは、それまで外部にしかなかった自分自身の基準を自分の内部に持つようになったことを意味します。

このような変化の中から「個人」が生まれることになりますが、その背景には中世ヨーロッパからの世間の消滅がありました。

世間とは、いままでに挙げたような呪術的で迷信に支配された非合理で多元的な小宇宙のひとつということができます。

そして、世間では自分自身が自己を生成せず、自己の存在は外部の基準に依存することになっていました。

つまり、自分と外部との関係はお互いが参照し合うこと(相互参照)となるため、「みんな」が均一化・同質化することになります。外部の他者に対する認識感覚は、自他の区分が未分化で境界が曖昧な「みんな」という状態であったということになるのでしょうか。


このような世間に対して、社会は二人以上の「個人」から構成される集合体とされています。

社会とは時間や空間が均一な一元的世界であり、また社会を構成する「個人」とは自他の区分が明確な存在で、多様的かつ排他的な存在ということができます。

つまり、「個人」は他者との差異から生まれるのであって、世間でいう「みんな」のような均一的・同質的な存在ではないということです。

 

以上のことから個人の発生と世間との関係についてまとめてみますと、12世紀頃までのヨーロッパにはまだ世間が残っていましたが、キリスト教会による「合理的判断の共有」や「内面の自己の生成」や「無償の贈与」などによって世間が消滅するとともに「個人」が生まれました。

一方、たとえ世間という自他の区分が未分化で境界が曖昧な「みんな」という状態が残っていても、世間から疎外される形で析出されたものが「個人」になるという考え方があります。

世間が消滅して「個人」が生まれるのか、世間から疎外されて「個人」が析出されるのか。

中世ヨーロッパでは前者とされますが、現在の日本における「個人」の発生は、おそらく後者になるのではないでしょうか。

そして、社会学では二人以上の「個人」によって構成される集合体を社会と呼びます。

社会とは「個人」と「個人」の関係性から成立している集合体ということができます。

そして一番小さな社会は家庭になります。


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2章 日本のイエ制度と世間について


川島武宜氏によると、日本の家族制度の影響のもとに生じる日本社会の特質としては、①支配者は権威に基づき、権威には絶対服従しなければならないこと。②個人の意思に基づく行動の余地が少なく、従って個人単位の責任感が薄いこと。③自主的な批判や反省が許されないということ。④うちとそとを峻別するセクショナリズム、が挙げられています。

そして、日本の家族制度は、ウイットな人間関係であることから、場合によっては居心地の良いものになりますが、「個人」が「個人」として行動することや「独立した個人」として自分を意識することは難しく、「個人」の自律を阻害して、社会のあり方そのものを規定するものになるとされています。

また、戦後の間もない頃にルース・べネディクトが、罪と恥の文化の相違点から「個人」の自律についての指摘を行っています。

それによると欧米の罪の文化が、内面的な罪の自覚にもとづいて善行を行うのに対して、日本の恥の文化は、外面的な強制力によって善行を行うことになるということです。

ルース・べネディクトによると、日本のように人の目を気にするような価値体系が優越する社会では、「個人」の自律は難しいというものでした。

両氏のいずれの指摘においても、「個人」が自律するこということが前提とされながらも、日本においての「個人」の自律は難しいこととされています。

その理由としては、日本の家族や社会のあり方として世間が存在していることが「個人」の自律を阻害していると考えられそうです。

以下では「個人」という言葉を使用する場合には、自律した「個人」の意味で使用することとし、自律していない個としての「個人」の意味では使用しないこととします。

では、日本の世間とは具体的にどのようなものがあるのでしょうか。一般に日本で世間と言われているものには会社や地縁血縁などの共同体などを挙げることができます。

そして、世間の最小単位は家族制度であるイエといわれ、先の指摘にあったように家族制度が社会のあり方を規定することからも、イエ制度の特徴が世間の特徴となっていくとはいえないでしょうか。

日本のイエとはどのようなものでしょうか。日本のイエは共同体とされますが、共同体はその存続そのものを目的とした集合体のことです。

その存続が最優先の目的とされる以上、イエという共同体は実利的に必要とされる構成員を求めることになり、必ずしも血統がイエの本質とはなりません。

たとえば養子であってもイエに入って実利的な構成員であれば家族とされます。

また、小熊英二氏(単一民族神話の起源)による日本のイエ制度の特徴に少し補足をするとすれば、イエ制度とは、一般には自他の区分が未分化で境界が曖昧な「みんな」であることが求められながらも、長幼の序の緩やかではあるが絶対的な上下関係が存在して包摂と排除の関係が顕在化しないような仕組みがされたもの、ということになります。

そして、このようなイエ制度の特徴が会社共同体や地縁血縁共同体の特徴としても当てはまることについては一般に納得できることではないでしょうか。

家族制度が社会のあり方を規定するという指摘については、イエの制度の特徴が日本の世間の特徴にも拡充されていくというように考えることができそうです。

また、日本のイエ制度が血統を本質としないことは先にふれましたが、これは「同姓不婚」や「異姓不養」の原則がある中国や韓国のイエ制度とはあきらかに異質なものであり、決して日本のイエ制度は普遍的なものではないということです。

昨今、会社共同体において社会的経済的な要因からのリストラという排除の論理が突出しています。

これは実利的であることがイエ制度の構成条件であったことからすれば、リストラという排除の論理はもともと世間に内在していた機能のひとつであるのかもしれません。

また、終身雇用制度のような雇用形態も日本の会社共同体の本質ではなく、たまたま経営が順調な時代の恩恵的な包摂機能のひとつに過ぎなかったのかもしれません。

戦後の高度経済成長期に都市化がもたらした地縁血縁の地域共同体の崩壊は、世間を細分化させる方向に働いたということがいえます。

つまり、高度経済成長の時代に地方から都市部へと人口が移動したという現象は、地縁血縁の共同体という世間よりも都市部の会社共同体という世間の方が生活の向上により適していたということになります。

高度経済成長期は、会社共同体が地方から都市部に流入した比較的低賃金な労働力人口を実利的かつ有益な構成員として包摂していった時代ということができます。

次に、世間での最小単位がイエということでしたが、日本の世間ではひとり暮らし(単身世帯)はどのような位置付けとなるのでしょうか。

日本では会社や地縁血縁あるいは政党などの共同体が世間と呼ばれますが、会社や政党などにみられる派閥とは世間をさらに細分化した世間ということができそうです。

ある世間に帰属しながらより細分化した世間にも帰属するという重層的な関係での帰属は可能です。

そして、世間の最小単位であるイエ制度が日本の法制上所与とされている現状では、誰もがなんらかのイエに帰属することになり、従って単身者が構成するイエ(単身世帯)も世間として存在するということになります。

欧米社会においても家庭は共同体とされます。

教会などの中間組織に帰属しながら、家庭に帰属するという重層的な関係は当然存在します。

但し、欧米社会で家庭や教会などの共同体が前提としている構成員は「個人」であるということです。

日本人も会社に帰属しますが、帰属した会社そのものが世間であるため、会社は自他の区分が未分化で境界が曖昧な状態でありながら長幼の序による秩序や相互参照による均質化・均一化という行動様式が存在する共同体ということになります。

そこには「個人」はなく、自分が内面に生成した自己を他者に認証させるような行為(自己実現)は容認されないばかりか、疎外される原因となります。

そして、疎外された結果として世間から押し出されるような形で「個人」が析出されることになります。

イエはひとつの世間であることからすると、世間に重層化があったようにイエ(世間)の中にもさらに細分化されたイエ(世間)が存在することも考えられることです。

昨今若年層の価値観の細分化がすすんでいるといわれていますが、これは経済的な家族とのゆるいつながり、部屋の個室化、携帯電話やインターネットという情報化によって、若年層が観念的にも、経済的にも、物理的にも、イエの細分化を図ることが可能になったということです。

つまり両親と同居していたとしても「両親のイエ」の中に、「自分だけの価値観の存続を目的としたイエ」というバーチャルな概念を持ち込み、家族との経済的なゆるいつながりや、物理的な個室化や、どこからでも外部につながる情報化は、外見的には家族の一員を構成しながらも、イエの細分化を確実に図ることができる状況になっているということです。

しかしながらここで重要なことは、このような若年層のイエの細分化は、家族である「みんな」の世間から疎外された結果として「個人」が析出されたものとはいえないということです。

たとえ、単身者であってもそれは自律した「個人」とはいえず、むしろイエそのものを体現している世間ということになります。

もともとイエが、その構成員を実利性に包摂しつつも個別性を排除するという曖昧な関係を顕在化させない仕組みであったことからすれば、現在の若年層の価値の多様化や経済基盤の脆弱性は、高度経済成長期のような核家族化の方向へと向かうのではなく、むしろ経済的、心情的にゆるい関係を基盤とするイエ(家族)の細分化の方向へと進展していくのではないでしょうか。

このような形でイエを体現した若年層が、実際に独立してひとり暮らしを始めるようになった場合には、新たにイエという単身世帯である世間を顕在化させることになります。

また、同様に家族構成員の縮小による高齢者の単身者についてもイエ制度ではひとつの世間になります。

単身世帯の内部には関係性を持つ対象がないことから包摂や排除の機能が存在しないことはいうまでもありません。

しかしながら、これらの単身世帯が家族や地縁血縁という世間のつながりである包摂関係を離れて、新たな世間に入っていく場合には高いリスクが伴う可能性があるということです。

特に最近では共同体の持つ包摂の機能よりも排除の機能がより強く働くことからすると、新たな世間に入ったとしてもそこから排除されることも想定しておく必要があるのかもしれません。

この場合には重層的に別の世間にも入っておくというような自己防衛が必要になるのかもしれません。


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3章 「個人」の属性としての利他性


今までに述べてきたことから「個人」と世間の相違について整理することとします。

「個人」という言葉を使用する場合は、原則自律した「個人」を指すということについては先に説明したとおりです。

「個人」は、科学的で一元的な時間観や空間観を持った存在であり、自分の内面にまず自己を生成して、他者による自己の認証という「自己実現」を目指す存在でした。(自分と他者の間に共同で生成する自己が自己実現です。)

そして、その肉体は自分の皮膚の内部に閉ざされたものであり、内部と外部とは明確に区分されているということです。

欧米社会では、個人のパーソナルエリアは半径50センチ程とされており、他者がこの範囲に無断で侵入すれば追い払われても仕方ないとさえいわれています。

実際に街中でお互いが至近距離ですれ違うときには、必ず笑顔で「パードン(すみません)」と声をかけて譲り合うことがマナーとされています。

このような街中の光景は、日本の世間ではあまり見かけることはないようです。欧米人にとっては「個人」であることは自明なことであり、思考においても、肉体においても自他の区分が明確になっている状態が自然といえます。

これに対して、日本の世間では自他の区分が不明確な状態で境界を曖昧にしておくということでした。

このような感覚は、たとえ単身者(ひとり暮らし)であってもすでにイエを体現してきた人にとっては自明の感覚であるということが出来ます。

日本ではイエ制度が法制上所与のものであり世間の最小単位であることからすると、イエの特徴は世間の特徴であり、日本のイエを体現してきた単身者は世間を体現してきたということになるということになります。

日本では特に単身者が外部とのつながりを積極的に求めるという事例はよく見られます。

そして、つながりを求めるあまりに事件や犯罪に巻き込まれるというケースも耳にします。

単身者が外につながりを求める理由として孤独で寂しいなどが挙げられますが、確かに世間による包摂があれば単身者に精神的な安定をもたらすことは間違いないことです。

しかしながら、十分に相手を確かめないで信用してしまうことや安易に仲間であると判断してしまうことにはどのような背景があるといえるのでしょうか。

単身者がつながりを求める理由については世間の行動原理から説明できそうです。

つまり世間の基準は自分の外部にあり他者との相互参照がその行動様式であることから、単身者は外部との相互参照による同質化・均一化を安全で安心な状態と考えることが自然なことではないかということです。

さらに、イエの原理を体現した単身者はそもそも自他の区分が曖昧な状態のままで外部とのつながりを求めることになるため、自分の回りにいる他者の持つ危険性という差異に気づきにくいというリスクを抱えているのではないかということです。

つまり、自分の世間と他者の世間が同じであるという思い込みがどこかにあるのかもしれません。

このことは自分自身のアイデンティティが希薄になっていることを示しているのであり、そのために自分を取り巻く環境も希薄に見えることとは相関関係にあるのかもしれません。

思考的にも、肉体的にも自他の区分が曖昧となっている状態が自然であるといえそうです。

このようなアイデンティティの希薄性や脆弱性は単身者だけの問題ではなく、世間一般にも通じる日本人の本質的な問題といえそうです。

少し論旨は変わりますが、日本では「個人」や個人主義という言葉に対して利己的という否定的なイメージを抱くことが多いように思われます。

マックス・ウェーバーによると、欧米でもイギリスやドイツの中産的生産者層の資本家である「個人」は、経済活動を天職とみなして合理的かつ組織的な経済活動を展開する「資本主義の精神」を持った存在であるとします。

「資本主義の精神」とは、プロテスタンティズムの教義である予定調和説(「個人」が救済されるかどうかはあらかじめ決まっているという説)の無情に耐えられない「個人」が、自分の救済の確証(ただしあくまでも主観的な確証ですが)を得るべく、隣人愛と働くことが天職(神から与えられた使命)とする教義を実践する一方で、「世俗内禁欲」である世俗の諸活動にたずさわることを禁欲することとされたため、ただひたすら宗教活動としての経済活動に励んだというものです。

このような「個人」は、合理的かつ効率的な「資本主義の精神」を自分の内面に生成するとともに、外部に対しては勤勉や倹約というプロテスタンティズムの倫理を実践し、また結果として隣人愛の実践である経済活動による社会的利益をもたらすことになりました。

このことからすると「個人」は、自己中心的で利己的な存在ではなく、社会的関心や隣人愛の実践という利他的な心性を持ち合わせた存在であるといえます。

一方アダム・スミスによると、個人は「利己心」という属性をもち、自分の利益を最大にするべく利己的に行動するものであるが、人間には、他者の境遇におかれたと仮定して、そうなったら自分はどう感じるだろうかと想像するという「同感」があるとします。

つまり、人間が利己心から悪事をしないというのは、同感にもとづいて「自分もそうしてほしくない、だから、復讐として同じことをされたら困る」と考えて、そのうえで利己心に基づいて判断するという立場可換性に配慮した行動をするということです。

従って、人間は利己心と同感に基づくだけで社会的関心を持つ存在ということになり、強制力や利他心のような無理のある属性まで仮定しなくても、他者の存在や境遇に配慮することができるということです。

これらの考察からするとは、「個人」や個人主義は決して利己的という否定的なイメージをもつ存在ではなく、むしろ利他的な存在ということができそうです。

「個人」とは社会的関心や他者の存在や境遇への思いやりや配慮を行うことができるような属性を持った存在であるということができるのではないでしょうか。

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第4章 個人の「寛容」と世間の「寛容」

多文化共生に対する重要なキーワードとして「寛容」が挙げられることがあります。

そして、私たちが日常で使用している「寛容」という言葉の意味が、欧米の社会と日本の社会では相違している現実があるようです。

多文化共生における基本的人権の尊重を目指しながらも、なぜ欧米と日本では「寛容」の意味が相違しているのかについて考察してみたいと思います。

まず、広辞苑によると「寛容」の意味としては、①寛大で人を許し受け入れること。咎めだてしないこと。②他人の罪を厳しく責めないというキリスト教の重要な徳目。③異端的な少数意見発表の自由を認め、そうした意見の人を差別待遇しないこと、が挙げられています。

①と② は相手に罪があることを前提としながらも罪を許して咎めない態度をいうのに対して、③の異端的という言葉にあえて踏み込まないとすれば、少数者の意見の自由を認めて差別しない態度であるということになります。

 

また、新明解国語辞典によると、人の失敗などを咎めだてしないで、いい面を積極的に認めようとする様子、とされています。

これらの辞書の意味からすると、基本的には相手の罪や失敗を前提としながらもそれを許し咎めない態度が「寛容」ということになるようです。

また、「寛容」という言葉はキリスト教以前のローマ帝国で金貨などに印字された重要な言葉としても残っており、「寛容」は欧米の社会と時代を通底する精神を表現するような言葉であるのかもしれません。

では、実際に「寛容」という言葉はどのような使われ方をしているのでしょうか。

欧米人のそれも比較的リベラル(自由)な考え方では、異文化や他者に対する「寛容」な態度とは、必ずしも多様性を理解して受容するということではないということです。

むしろお互いの自由の確保が重要とされ、「放っておいて欲しい」という個人主義な態度が自由の基本となるようです。

なぜ、これが「寛容」な態度になるのかというと、自分の自由を尊重して欲しい(私を放っておいてくれ)、そのかわりあなたの自由も尊重しましょう(あなたを放っておきましょう)というお互いの自由を尊重する立場が「寛容」な態度ということになります。

やや冷徹な言い方をするなら、他者に同じ権利を認めるが、他者への関心や共感までは必要としないし、他者にも関心や共感までは求めないということになります。

これに対して、日本人の考える「寛容」という態度は、自分に対して求めるが、相手に対しても求めるということが「寛容」な態度とされるようです。

日本では、異文化や他者に対しては「相手を理解して受け入れる(受容する)」というような表現がされることがあります。

これは先の欧米人の「寛容」の考え方とは正反対ということができそうです。

つまり、欧米人は「放っておいてもらう」ことをお互いの自由として尊重しますが、日本人はお互いが干渉しあうことでの平等(相互参照による均一化)へと向かうことを「寛容」な態度とするということです。

欧米社会は「個人」が存在し、他者との差異を前提とした自他の区分が明確な個人主義社会です。

このため欧米社会の「寛容」は、同一ではない相違した「個人」の自由の確保という論点から考えられます。

つまり、異文化や他者との出会いに対する「寛容」は、まず利他的な態度として相手の自由を尊重するということが基本となって、同時に相手から自分の自由も尊重してもらうというお互いの「自由の棲み分け」が原則とされるといえます。

しかしながら、9.11以降の欧米でもイスラム教徒との間には自由の棲み分けだけでは解決できないような問題が発生していることも事実です。


これに対して、日本は他者との差異を前提としない、自他の区分が未分化で境界が曖昧な世間を前提としているため、「寛容」な態度も差異の伴わない均一化・同質化が基本となります。

従って、異文化や他者に対する態度としては、日本人からの「同化」が働きかけられることにもなります。

つまり、日本人が相手を理解して受容するという本当のところは、相手が日本人を理解して受容してくれる(同化している)ことが前提となってはじめて成立するような平等関係とは言えないでしょうか。

これが日本人の「寛容」の意味のようです。

先の広辞苑や新明解国語辞典からすると「寛容」の意味は、①寛大で人の罪を許し咎めだてしないこと、②少数の異なった意見発表の自由などを認めて差別待遇せずにいい面を積極的に認めようとすること、の二つに区分できそうです。

多文化共生社会の観点からは、マイノリティであることや異なった言語や文化や思考パターンを持っていることが、本人の罪であるというような発想は決して許されないものです。

また同様に無理に差異を矯正することも排除することもあってはならないことといえます。

従って、「寛容」の意味としては、①の寛大で人の罪を許し咎めだてしないことということよりも、むしろ②の少数(マイノリティ)の異なった意見発表の自由などを認めて差別待遇をせずにいい面を積極的に認めようとすることの方が、現代社会においてはより重要な意味として認識されることになるのではないでしょうか。

しかしながら、少数のマイノリティの意見を尊重して差別待遇をしないという態度をとる場合であっても、それが「自由の棲み分け」に基づくものであるのか、それとも「同化された結果の平等」に基づく処遇にすぎないのかということで「寛容」の志向性が大きく変わってくることに注意する必要があります。


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第5章 結論

最後になりましたが、今までに述べてきたような日本の世間というものは、決して普遍的なものではなく、むしろ特殊なものであるということです。

明治維新からの日本の近代史は異文化や他者との出会いの歴史であったということができます。

そして、現在進展している国際化や情報化というグローバリゼーションが、近代化の一形態であるとともに国際秩序の再編による流動化として見た場合には、これらの現象は今後もとどまることはなくむしろ増え続けていくことになるでしょう。

私たちが、異文化や他者と出会う機会が増えることは避けて通ることができない問題ということになります。

明治維新から戦前までの近代史は、日本が海外に進出して台湾や朝鮮の植民地支配を行うとともにそれらが破綻した歴史でした。

そもそも日本の海外への進出は、欧米や東アジアという異文化や他者に対する日本の心理的な脅威や自信不足が原因となって生じた現象と言われています。

日本の国防目的としての海外進出と新たな歴史観の創作であるナショナリズムは同時に起こった現象であり、日本の外向化と内向化は同根でありコインの表裏の関係にあるといえます。

日本の海外への進出を正当化した学説としては、混合民族論や家族国家論などが挙げられます。混合民族論とは、日本人は混合民族であって日本人と台湾人や朝鮮人は古来より同祖(日鮮同祖論)であったする民族論です。

また、家族国家論とは天皇が家長で日本は兄、朝鮮や台湾を弟とする日本のイエ制度を原理としたもので、イエ制度に内在する包摂と排除の関係を曖昧とさせる擬似普遍論と言えます。

これらの学説には日本の世間の特徴がとてもよく現れており、これらは新たに創造された学説というよりも日本の世間に内在した原理を焼きなおしただけのレディメイド(既製品)な学説でしかなかったということです。


では、なぜこのようなレディメイド(既製品)の学説が多くの人たちに支持されたのでしょうか。

人は強い恐怖や不安に陥った場合に自己防衛のため内向化するといわれていますが、日本人にとっての内向化とは、未分化で中心のない「みんな」=世間の中に溶解して安定し安心することではなかったかということです。

つまり、多くの日本人がアイデンティティに危機を感じたため、ロマン主義的な逃避現象として既存の類型である伝統的なものにナショナル・アイデンティティを求めたのではなかったかということです。

このようなナショナリズムは、日本人が慣れ親しんでいる世間の中から類型(カテゴリー)として伝統的なものを借り受けたうえで、自分たちにとって都合のよく解釈した歴史観や国際関係論を主張することによって成り立っているといえます。

従って、多くの日本人が主張し、また支持した歴史観や国際関係論は、都合よく創作されたナショナル・アイデンティティということになり、その時代の日本人の自画像そのものであったということになります。

植民地支配において被支配者であった台湾人や朝鮮人は、支配者である日本人の自画像を強要されることになります。

このように日本の採った民族政策が同化政策といわれるもので、ナショナル・アイデンティティが空疎に肥大化したものであったということができます。

現在ではグローバリゼーションが進展する一方で、世界的には文化の保守化傾向が進展しているといわれています。

何が保守でいつの時代を保守するのかについては、時点の採り方の問題によって変わってきますが、近代国民国家を考えた場合には、近代社会が形成される以前にあった社会のあり方を守ろうとする態度を保守とする考えが一般的といえそうです。

保守とは実際に存在したことがあるのかどうかは定かではない過去に対するロマン主義ということであって、それは近代化によって理想化されることになった失われた過去に対する郷愁と言い換えることができるのかもしれません。


たとえば、日本の失われた前近代である武家社会に対する郷愁があるとするならば、それはロマン主義といえます。

武士道は、武士階級における儒教を中心とした支配者の行動規範のことであり、これは封建社会という固定化した階層社会を前提とする特権的な武士の行動様式のことをさします。

武家社会がイエを基本単位としていたことは周知のことですが、このようなイエ制度が近代化以降においては国民全体を対象とするように法制化され、このことが現在まで世間を残存させることになった理由のひとつと考えることもできます。

現在においては、自律した「個人」による自由で平等な思想や行動が、世間によって阻害されている状況は今までの論考で見てきたとおりです。

また、保守とは今あるものをただ守ることだけではないということについては以上のことからも明白です。

先に近代国家が前近代を理想とすることを保守の一例としましたが、現在においては戦前までの近代をロマン主義的に理想の過去とするような保守も存在しています。

現在のように自分のアイデンティティが希薄となり自信が持てない時代にあっては、ナショナル・アイデンティティとしての近代史や国際関係論に依拠することで自分のアイデンティティを補強したいと考える傾向は強くなっていることは確かのようです。

保守が過去を理想化するように、革新は未来を理想化するということになりますが、現在のように価値が多様化した時代にあっては、多様な価値の共同性から理想像が主張されることになり、価値の多様化という方向性は今後も続くのではないでしょうか。

アイデンティティに関する問題としては、現代の社会システムからは人と人がコミュニケーションを持つ機会が加速度的に減少する傾向がみられます。

アイデンティティを自分の内面ではなく外部に求めるという日本人の行動様式からすると、外部と相互参照できないことを原因とするアイデンティティの希薄化や脆弱化という問題が深まっていくことになるでしょう。

また、日本人は自分たちとの差異が小さくて、近いと思えるような異文化や他者であればその脅威や不安も比較的小さく、アイデンティティに危機をもたらすことは少ないのかもしれません。

しかしながら、国際秩序の再編を起因とする流動化はより差異の大きな異文化や他者と接触する機会を日本人にもたらすことになります。

これは、日本人が人種や言語や習慣という他者の外観の相違に脅威や不安を抱くというレベルの問題だけではなく、自他の区分が明確な「個人」である他者の思考法に対して、コミュニケーションが上手くとれないという関係性の欠如の問題に発展することが考えられます。

日本人は他者と関係性を構築するためのコミュニケーションという、より本質的な問題に向き合わなければならないということです。

このような内外からの変化が、日本人にアイデンティティの危機をもたらすということは予想されることです。

このようなとき、日本人が自己防衛のための内向化現象を起こすことになれば、近代史で見たようにナショナル・アイデンティティを求めて再びロマン主義的な理想像である保守に向かうことになるかもしれないということです。

そして、現在においては保守や革新を問わず多様な価値の共同性が多数存在していますが、現在のポピュリズムの風潮からは民主主義がそれら全体を結びつけてしまう可能性がないとはいえないということです。

もし、そのようになれば異文化や他者を強制的に同化することや同化しない他者を排除するという法律を合法的に成立させることも可能になるということになります。

民主主義の陥穽といえます。

多文化共生社会においての重要なキーワードが「寛容」であることについては今までに見てきました。

欧米社会における「寛容」の意味は、個人主義による利他的な態度を基本とした自由の棲み分けでした。

また、日本の世間における「寛容」の意味は、差異の伴わない均一化・同質化に向かうことであり、それはまず相手に「同化」を求めることでした。

このように「寛容」という言葉の意味には多元性がありますが、日本人にとっての「寛容」と「同化」は、日本人自身が相対化できないほど感覚的に結びついてしまった心性であることに注意しなければならないでしょう。

このような意味の多元性は、普遍的な言葉とされている「人権」にもあてはまることを予測させます。

国家ごとに憲法があるように、国家ごとに「人権」という言葉の意味や使われ方の独自性があるのかもしれません。

従って、私たちは「人権」について考えるときにも、自分自身の知っている「人権」の意味を絶対視することなく、懐疑するという態度で臨むことが必要とされるといえます。


これまでの論考では、「寛容」という言葉をキーワードとして日本社会と日本人について考えてきました。

多文化共生という論点から改めて整理してみますと、私たち日本人は異文化や他者との出会いによって自分自身のアイデンティティに危機を覚えるような機会が確実に増えていくということです。

しかしながら、このようなアイデンティティの危機に対して、類型化(カテゴリー化)である伝統のようなものに頼り、しかも現在の自分たちにとって都合の良い歴史や神話を創作するような「癒しのナショナリズム」では、本当の意味で自分のアイデンティティの危機を乗り越えたことにはならないということです。

では、このようなアイデンティティの危機を越えていくためには何が必要とされるでしょうか。

ひとつは、異文化や他者を怖れずに直接向かい合ってみること、つまり異文化や他者と直接コミュニケーションをとるという勇気です。

内向化するのではなく、相手と向き合って少しずつ新たな伝統を積み上げていくという努力が必要であるということです。

もうひとつは、日本人は決して普遍的な存在ではないということ、つまり、日本人である自分の考えや認識や今ある日本の制度というものは絶対的なものではなく、常に懐疑の対象になることを知っておく必要があります。

このような相対化できた視点から改めて日本社会や日本人をとらえなおすという叡智が必要とされるのではないかということです。

グローバリゼーションとは、近代化のさらなる進展という側面よりも、むしろ東西冷戦の終結がもたらした国際秩序の再編という流動化の側面が大きいと思われます。

そして、このグローバリゼーションという流動化は、政治的、経済的、社会的な各方向から日本の既存の制度や仕組みや枠組みなどを再構築することを迫ってきていると考えられます。

日本における異文化・多文化社会はすでに始まっているということです。

日本人は自分たちの自画像を知ったうえで、異文化・多文化共生社会にどのような戦略を持って臨むかについて考えなければならないといえます。

<参考文献>
・日本人の境界     小熊英二      新曜社
・単一民族神話の起源  小熊英二      新曜社
・癒しのナショナリズム 小熊英二・上野陽子 慶応義塾大学出版会 
・対話の回路      小熊英二      新曜社
・近代化と世間     阿部謹也      朝日新書
・日本の個人主義    小田中直樹     ちくま新書
・ヨーロッパとイスラーム内藤正典      岩波新書
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by kokokara-message | 2014-03-25 22:34 | 我流日本論(寛容とは何か)