京都 北野天満宮 古の花のいちごミルク

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関西の夏は、日本の中でも一番暑いと言われています。

なかでも、京都の夏の暑さは、ひとしおではないでしょうか。

まるで、関西の気候分布が、温帯から亜熱帯に移行してしまったかのようです。

地球温暖化の影響なのでしょうか。

今回は、暑い、暑い京都の夏を少しだけ涼しくしてくれる、おいしいかき氷をご紹介します。

ほんの少しだけですが、清々しい「涼」を感じていただければと思います。

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早速ですが、今回ご紹介するのは、北野天満宮の門前の「いっぷく処 古の花(このはな)」のかき氷です。

「古の花」は、北野天満宮門前というローケーションからも分かるように、天神さんに参拝する人たちが食事や一服をする店といえます。

そして、「古の花」では、6月から9月の期間限定ながら、とてもリーズナブルな値段で、とても美味しいかき氷を提供しています。

ご覧のように、他店にはない、数多くのかき氷メニューが用意されています。

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「古の花」では、フルーツ系かき氷がお勧めということらしく、まずは、「もも氷」期間限定(700円)を注文してみました。

桃の味をしたかき氷というのは、珍しいのではないでしょうか。(私が知らないだけかもしれませんが・・)

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そして、「もも氷」にかかった薄淡色の桃シロップは、ほんのりと桃の香りがしています。

味は、みずみずしいほんものの桃を食べているかのような感じです。

甘すぎることもなく、すっぱくもなく、口の中は桃の清涼感でいっぱいになりました。

まさに、「もも氷」はフルーツ系かき氷というジャンルの希少な逸品といえそうです。

次は、いちごミルクです。

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いちごミルクは、「古の花」のメニューの中でも、一番人気があるようです。

いちごシロップは、いちごをつぶしたものをシロップにしているため、つぶつぶ種がそのまま入っています。

このようなシロップは、前回ご紹介した旧鴻池邸表屋「みやけ」のいちごミルクでも使用されていました。

ただ、いちごの密度では、前回よりも、今回の「古の花」の方がやや少な目という印象です。

また、ミルク(練乳)の量もやや控え目であることから、「古の花」のいちごミルクは、さっぱりとした清涼感の漂うフルーツ系のかき氷を狙ったものであるのかもしれません。

「古の花」のもも氷、いちごミルクは、この夏一度は食べてみたいフルーツ系かき氷といえるのではないでしょうか。

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ところで、ご存知のように、京都の祇園祭は、疫病退散(あるいはその起源となった御霊信仰)を祈祷する祭りとされています。

そして、京都の祇園祭に関わらず、全国で6月から8月に行われる夏祭(夏越し祓い)の多くが、何らかの形で疫病退散(あるいは御霊信仰)の祈祷に起源を持つ祭(祀り)といえるのかもしれません。

御霊信仰とは、御霊(疫病)を畏怖し、そして御霊(疫病)を丁重に敬い(祀り)、御霊(疫病)が早急に退散すること、つまり平穏(何事もないこと)に戻ることを切に願うということです。

疫病が蔓延する夏の時期に、その原因を悪霊(御霊)に見立てるという発想は、古代、中世を生きる人たちの災難に対する世界観そのものといえそうです。

つまり、御霊信仰は、科学的方法がなかった時代の、災難(疫病)に対する、世の中の鎮静化を狙った祭事(まつりごと)の一種といえるのではないでしょうか。

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ところで、現代を生きる私たちが、日常の中で何か災難に出くわした時、必ずと言っていいほど犯人探しをする(犯人を特定する)傾向があるように思われます。

犯人が特定されることで、不安定化した状態が安定化するという考えがあるように思われます。

現代人は御霊(夏祭の起源)に対して意識は払わなくとも、自分に降りかかる災難に対しては、その起源(犯人)を特定し、自分を取り巻く環境の鎮静化を図っているのかもしれません。

このことからすると、現代人は、古代や中世の人たちと同様、御霊信仰の世界観の中を生きているといえるのかもしれません。

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御霊信仰、つまり夏祭の持つ本質は、御霊を認識し、そして御霊を畏怖し、御霊を敬い、最後に御霊の退場(平常に戻ること)を切に願うということでした。

現代人が、古代や中世の人たちと同様に御霊信仰の世界を生きているとしたら、犯人を特定するだけではなく、特定した犯人を畏怖し、敬い、犯人の退散を切に願うこと、つまりそっとしておく(鎮めておく)という態度も必要になるのではないでしょうか。

そっとしておく(鎮めておく)ということは、一見何もしないことのように思われますが、実際には相手が退散するまでの間、お互いの間に強い緊張関係(ストレス)が生じていることになります。

仏教の四苦八苦に「怨憎会苦」があります。

会いたくない相手(話しが通じない相手)と出会わなければならない、会いたくない相手(話しが通じない相手)ともコミュニケーション(交易)を図らなければならないということ。

おそらく、「怨憎会苦」の場面では、相手と関わらないことが最善の解決方法になるように思われます。

しかしながら、会いたくない相手(話しが通じない相手)でも、最低限のコミュニケーションは必要とされることもあります。

「沈黙交易」というコミュニケーションの方法はご存知でしょうか。

「沈黙交易」とは、黙ったまま意味の分からないをものを相手から入手し、黙ったまま意味の分からないものをそっとこちらから相手に提供するというコミュニケーションの方法です。

おそらく、「沈黙交易」は、理解不能な他者とのコミュニケーションの原初の方法であると思われます。

例えば、供物を介した沈黙する神々(御霊)とのコミュニケーションなどが「沈黙交易」ではないでしょうか。

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京都祇園祭の御霊信仰(夏祭)も、かような「沈黙交易」の一種であると考えられます。

また、「沈黙交易」である御霊信仰(夏祭)は、「日常」としての緊張関係が強いられる側面と、その緊張関係から開放される「非日常」の側面(羽目を外す)の両面から構成されています。

そして、この御霊信仰(夏祭)の最大の特徴が、緊張関係が強いられる「日常」からその開放である「非日常」へ反転していくことにあると考えられます。

ただし、御霊信仰(夏祭)が終わると、「非日常」へと反転した状態は、再び元の「日常」へと戻っていくことになります。

このような閉じた繰り返し(往復運動)が、御霊信仰(夏祭)の伝統と言われるものであると考えられます。

「何も変わらない」ということが、日本の祭事(政事)の伝統なのかもしれませんね。

そもそも御霊とは、理解不能な他者のことでした。

古代、中世の人の災難(御霊)に対する知恵の表現に、「鬼神は敬してこれを遠ざく」という言葉があります。

「鬼神は敬してこれを遠ざく」は、過去も、現代も、変わらない、理解不能な他者に採るべき最良のコミュニケーションの方法であると考えているのですが、さていかがでしょうか。

かようなことを考えながらも、御霊信仰の本家本元ともいえる、怖い、怖い天神さまの門前にある「古の花」のいちごミルクをご賞味されるのはいかがでしょうか。

場所;京都市上京区御前通り今小路上ル馬喰町898 北野天満宮前
電話;075-461-6687

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by kokokara-message | 2012-08-05 10:45 | おいしいかき氷