四天王寺参詣道(1) 庚申堂

大阪のディープサウス、天王寺といえば聖徳太子が建立した四天王寺ではないでしょうか。

四天王寺への参詣経路は、六代目笑福亭松鶴の「天王寺詣り」にもあるように、一心寺のある逢坂方面からアプローチをする、つまりは西門から参詣するという方法が一般的とされてきたようです。
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しかしながら、四天王寺は古代の仏教寺院の典型的な伽藍配置で建立されているように、南側の南大門が正面とされることになります。

つまり、四天王寺には西門から参詣する経路と南大門から参詣する二つの主要な経路が存在していたことになります。

そして、落語の「天王寺詣り」にもあるとおり、近世以降の庶民は西門からのアプローチするという参詣経路が主流になっていたのではないでしょうか。

このため、どちらかといえば南からのアプローチは、忘れ去られた感があるように思われます。

現在の南大門に向かう参詣路はどのようになっているのか、四天王寺界隈を歩いてみることにします。

まずは、四天王寺の南大門を出て、南側に下っていくと、すぐ右側には庚申堂(下の写真の右側の土塀)が見えてきます。

庚申堂の東側の道は、かっては庚申街道(こうしんかいどう)と呼ばれていたらしく、四天王寺南大門前を起点として、平野区長吉川辺町の方に南下し、古市街道(大阪府羽曳野市)へと合流していた模様です。

かってはにぎわったとされる四天王寺南大門からのこの参道も、今では多くの参詣者から忘れ去られてしまっているのかもしれません。
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庚申堂は古来より四天王寺の主要な寺院のひとつとされきた歴史があるようです。

これは仏教寺院である四天王寺と道教と深い関わりを持つ庚申堂が原初においてつながっていたことを伺わせる痕跡のひとつといえるのではないでしょうか。

さらに、庚申信仰の石像(上の写真)と聖徳太子が生まれた明日香に現存する石像群(下の写真、猿石など)は、その造形からの類似性が十分に指摘ができるところであると思われます。
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庚申堂の見ざる、聞かざる、言わざる。
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明日香村の吉備姫王墓に置かれている猿石。

そして、庚申堂を南下していくと、やがて参詣道は途絶え、JR天王寺駅の軌道敷地に突き当たることになります。

下の地図でも分かるように、四天王寺南大門から南下する参詣道は、JRの軌道敷地により南北に分断される形になっています。

ただし、参詣道の南端にあたるJRの軌道敷地の手前(東映ホテル裏側)は、ご覧のような古びた地下道への入口が設けられています。

この地下道は、JR軌道敷地により中断された参詣道を現代に作り直したものと推察され、もしそうであるなら古代の参詣道の面影を現代に伝える痕跡といえるのかもしれません。
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地下道の中は、ご覧のような様子です。
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そして、30メートルほどの地下道を通り抜けると、今後はJR軌道敷地の地上に架かる歩道橋に出ることになります。

わざわざこの位置に歩道橋が計画される意図を推察すれば、先の地下道と同様、この歩道橋が四天王寺参詣道の一部として利用されることを念頭に架橋されたと考えるのが自然ではないでしょうか。
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歩道橋を渡り終えると、その先(南側)には都ホテルに設置された地下入口が見えてきます。

そして、ここで再び、近鉄の軌道敷地によって参詣道が南北に分断される形になってしまいます。
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天王寺周辺は近代以降繁華街として発展してきましたが、この四天王寺参詣道のような古代の痕跡は、今でもところどころにその面影を残しているといえそうです。

四天王寺の建立時期(6世紀末)が、仏教思想が日本古来の思想の中に取り入れられ、政治的にも中央集権化が図られていく時機と重なっています。

このようなことから、四天王寺研究は日本の原型を知るための格好の手掛かりにもなるものと考えるのですが、さていかがでしょうか。

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by kokokara-message | 2012-02-11 11:46 | 我流古代史(四天王寺編)