京都 鳥居形松明送り火

京都五山送り火です。

五山の中でも、今回は、京都市右京区嵯峨鳥居本にある鳥居形松明送り火を、点火からご紹介させていただきます。

8時20分に点火されました。
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火床が徐々に広がっていきます。
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約5分ほどで、漆黒の闇に鳥居形が浮かび上がりました。
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火床の火勢はすさまじく、よくみると人影が見えています。
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鳥居形松明送り火は、このまま9時頃まで京都の夜空をこがしていました。
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以下は、鳥居形松明(たいまつ)送り火についての説明になっております。

内容は、(株)リラックス・コミュニケーション発行の説明資料から抜粋させていただきました。

1 起源と歴史

鳥居形松明は京都の西、東山あたりに位置する嵯峨の曼荼羅山に灯されます。

送り火の起源については諸説あり、確かなところは現在もわかっていません。

ここでは数ある諸説と言い伝えをご紹介します。

鳥居形の起源については、三説伝えられており、まず一つは、弘法大師が石仏千体をきざんでその開眼供養を営んだときに点火したことが始まりと伝えられています。

二つ目に、伏見稲荷大社から見える事から、稲荷大社のお灯明として焚かれたという説。

そして、三つ目には、鳥居本が愛宕神社の参道であり、一の鳥居が建っていることから愛宕神社との関係を重視すべきではないかと考えられています。

しかしながら、創始を1100年以前(弘法大師起源説なら9世紀初めになります。)まで遡ることは困難であり、鳥居形に関しては愛宕神社との関係が有力ではないかと考えられています。

愛宕神社の標高が非常に高く、多湿な場所であり、明治期に多くの文献が焼失していることから、明確な証拠は得られていません。

鳥居形松明が文献上、初めて登場するのは、安永元年(1772)『翁草』で、絵画に登場するのは『洛外図』(1660)です。

『洛外図』(個人蔵)には、「大文字」「妙法」「舟形」「鳥居形」の4つ(ここでは、左大文字は見当たらない)が「七月十六日山火」という記述と共にはっきりと記載されています。(1660頃は今で言う旧暦七月十六日が送り火であったということが分かります。)

2 火床儀式

16日午前8時ごろ、山の麓から山上の親火床(7箇所)へ松明が運ばれます。

午後4時ごろ、再び山上へ上り親火床に使う薪を作り準備が行われます。

午後6時ごろ、親火に点火し、松明をあぶってジン(松の根の部分)をふかしながら燃えないように監視し、午後8時20分の点火合図の太鼓の音を待ちます。

合図があるとあらかじめ燃やしている親火のところで松明の火を移し、一斉に松明をもって走り、各火床に突き立てられます。(つまり、松明を点火用として使用するのではなく、直接火床に使用することになります。)

あらかじめ各火床に点火資材が準備されていないところは、ほかの四山と違う得意な部分です。

ただ、以前は地面にくいを打ち込んでこれに青竹を結びつけて立てていたが、現在は、鉄製受け皿火床を山の斜面に埋め込んだものを使用。(上記の写真で確認できます。)

鉄製受け皿の高さは約1m、薪は松明(松の根の部分(ジン))を小割にして束にしたものを使用。(松ヤニが入った松(ジン)を使うため、火の色はオレンジに近い色になっています。)

鳥居形の横の長さは72m、縦の長さは76mとされています。

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by kokokara-message | 2011-08-19 21:21 | 京都