人気ブログランキング | 話題のタグを見る

先の見えない時代にあって、自分の求める生活や価値を明確にしておくことは大切なことです。自分と環境との関係性を考え、欲望をほどよく制御するための心と体の癒しのメッセージです。


by 逍遥
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

桂文治と桂文枝

桂文治と桂文枝_a0126310_22153597.jpg


「歌舞伎とは、襲名に追善と見つけたり」とは、故永山武臣松竹会長の言葉です。

古来より襲名や追善が大切な興行であるとともに、大きなビジネスチャンスでもあったということではないのでしょうか。

これは、歌舞伎だけのことではなく、落語についても同様といえそうです。

そして、襲名や追善の興行には、必ず「名跡」が取り上げられることになります。

ここでいう「名跡」とは止め名(留め名)のことで、その系統の最高の権威を持ち、それ以上の襲名を行わない名前のことです。

むろん、止め名(留め名)ではないけれども、人気のあった記憶に残る「名跡」の襲名や追善の興業もあります。

たとえば、江戸落語では、桂文治、古今亭志ん生、三笑亭可楽、三遊亭圓生、春風亭柳枝、林家正蔵、柳家小さんなどが、止め名とされています。

また、上方落語では、桂文枝、笑福亭松鶴、林家染丸などが、止め名とされています。

つい最近のことですが、上方落語の桂三枝さんが、六代桂文枝の襲名を発表いたしました。

また、それに先立ち、江戸落語の桂平治さんが、十一代目桂文治の襲名を発表しております。

現在では、桂文治と桂文枝が、それぞれ江戸(東京)と上方(大阪)における桂一門の止め名となっています。

「桂」という名前を持つ落語家が、大阪のみならず東京にも多数存在することについては、皆様もご存知のことと思われます。

そして、古今亭、三笑亭、三遊亭、春風亭、柳家が、江戸落語だけにある名前であり、また、笑福亭や月亭が、上方落語だけにある名前であることは、皆様もご存知のことと思われます。

では、どうして、「桂」だけが、江戸と上方にまたがった落語家の名前になっていて、桂文治と桂文枝がそれぞれの止め名になっているのか。

おそらく、「桂」の名跡が東西に残ることになった系譜をたどることが、そのまま上方落語の創成、いや落語そのものの創成にコミットすることになるといえそうです。

以下においては、上方落語がいつ頃、どのようにして生まれたのか。

また、いかにして「桂」の名跡(止め名)が生まれ、いかにして引き継がれてきたのか。

さらに、どのような経緯から、桂一門に文治と文枝という二つの止め名が存在することになったのか。

おそらく、これらのことを知ることが、冒頭の故永山武臣松竹会長の洞察に富んだ言葉の意味を理解することでもあると思われます。

なお、ご存知のとおり「林家」の名跡も東西に存在しています。

ただし、これを追っていくと上方落語の系譜からそれてしまいますので、ここではあえて割愛させていただきます。

「落語とは、襲名に追善と見つけたり」

以下の内容については、大阪春秋第99号「落語の創成~隆盛 露の五郎」(大阪春秋社)から主に引用させていただくことにしました。

***************

落語の祖は、安楽庵策伝(あんらくあん さくでん)といわれる一山の住職とされています。

安楽庵策伝は、慶長元年(1596)に住職として、説教強化につとめたあと、慶長18年(1614)、60歳で、京都の大本山誓願寺、五十五世住職となり、そのユーモアに富んだ話術と落とし噺を取り入れた説教は、大変評判になったということです。

ただし、安楽庵策伝は、あくまでも一山の住職であり、説教師であることから、ほんとうの落語のはじまり(祖)としないという見方も存在するようです。

従って、落語のはじまり、つまり落語家の第一号は、延宝・天和(1673~84)の頃に北野天満宮内や祇園真葛ヶ原で「辻ばなし」を行った、露の五郎兵衛(つゆの ごろべえ)ではないかとされているようです。

また、京都で露の五郎兵衛が活躍していた頃、江戸では鹿野武左衛門(しかの ぶざえいもん)という人が、座敷仕型ばなしを始めます。

鹿野武左衛門とは、慶安2年(1649)摂津の国難波の生まれで、そのまま大坂で育てば、大坂落語の祖になっていたともいわれる人です。

鹿野武左衛門は、貞享(1684~88)の頃、中橋広小路に、むしろ張りの小屋を作り、木戸銭六文、晴天八日の興行をして、江戸中の評判となり、これが寄席興行の草分けともいわれています。

このように、京都では露の五郎兵衛、江戸では鹿野武左衛門が活躍していた頃、大坂には、米沢彦八(よねざわ ひこはち)という人が現れます。

米沢彦八は、貞享から正徳(1684~1715)にかけて活躍していた人物とされており、はじめは、新町(大阪市中央区)の西口で「辻ばなし」をしていたようですが、後に生玉神社(大阪市中央区)境内のよしず掛の小屋ではなしをし、たいへん名物になったとのことです。

現在、上方落語の祖、米沢彦八を顕彰する碑が上方落語発祥の地とされる生国魂神社境内に建立されています。

その後、初代米沢彦八が亡くなると、弟子である沢谷儀八が二代目を襲名し、大坂から京都へ上ります。

米沢彦八の名は、その後四代目まで、大坂ではなく京都で続くことになりました。

初代米沢彦八が亡くなった後の大坂は、パッとしなかったようですが、やがて、京都から、松田弥助(まつだ やすけ)という人物が大坂へ下ってきます。

そして、寛政(1764~89)の頃には、松田弥助のはなしは浮世噺と呼ばれるようになり、諸人のたいへんな喝采をあびたということです。

一説によれば、松田弥助は、四代目米沢彦八の弟子であったともされており、そしてこの松田弥助の一門から出た逸材とされるのが、現在の「桂」の祖とされている桂文治(かつら ぶんじ)です。

ちょうど、天明から寛政にかけてのこと(1780~1800)のようです。

松田弥助は、御霊社(御霊神社=大阪市中央区)の境内、桂文治は坐摩社(坐摩神社=大阪市中央区)の境内に、それぞれ定席をもって口演したとされています。
桂文治と桂文枝_a0126310_8364125.jpg

そして、この頃には、高い台に乗り、前に台を置いて、鳴物、拍子木をならすという現在にまで伝わる落語の演出スタイルが、概ね出揃うということになりました。

桂文治は、上方落語の祖である米沢彦八の系譜につながる、大坂で活躍した落語家ということになり、東西の「桂」の祖でもあることから、関東、関西ひっくるめて、桂なにがしを名乗る落語家は、みな、さかのぼると、この桂文治に帰することになります。

初代桂文治は、文化13年(1816)に亡くなったとされています。

その息子の桂文吉が、大坂で二代目桂文治を襲名します。

そして、二代目桂文治が没するのは文政八年か九年(1826)と推定されていますが、二代目の没後、三代目桂文治が襲名するのは、なんと上方ではなく江戸においてでした。

これは、三代目桂文治が初代桂文治の娘であり、二代目桂文治の妹の婿でもあった江戸の船遊亭扇勇が、その名跡を継いだためでした。

つまり、上方落語の系譜に遡る三代目桂文治の名跡が、大坂から江戸へと移ってしまったことになります。

このことから、上方の桂文治門下においては、二代目桂文治の弟子にはあたらないものの、孫弟子にあたる桂九鳥が、三代目桂文治を襲名するということになります。

これにより、江戸と上方において、二人の三代目桂文治が誕生することになったわけです。

これが、今日においても、東京と大阪で「桂」と名乗る落語家が、それぞれの系譜を持ち存在している所以といえます。

上方では、三代目桂文治のあとに、三代目門下の桂慶枝(その前名は桂文枝でした)が四代目桂文治を継ぎます。

一方、江戸においても、三代目のあと四代目桂文治が誕生し、三代目のみならず、四代目についても、江戸と上方で二人の桂文治が存在することになったわけです。

そして、大坂では、上方四代目桂文治の門下に、上方落語の中興の祖といわれる初代桂文枝(かつら ぶんし)が現れることになります。

初代桂文枝は、はじめは桂梅花、そして桂梅香を経て、桂文枝となります。

桂文枝という名前は、その師である上方四代目桂文治の前名を継いだものですが、四代目の前名は桂文枝の代数にはいれないとされることから、初代桂文枝が一代目にあたることになります。

初代桂文枝は、結局上方五代目桂文治を継ぐことはなく、本名も明治の戸籍の編成(壬申戸籍)で桂文枝と改名します。

それ以降、上方桂一門の止め名は、事実上桂文枝になったというわけです。

初代桂文枝が活躍したのは、幕末から明治にかけての頃で、大坂がちょうど上方落語の黄金期を迎えようとしていた時代といわれています。

初代桂文枝は、当時の大坂の最高名人といわれており、明治初年に十八番の落語「三十石」を質入れしたことは、つとに有名な話として残っています。

江戸に移った桂文治の名跡は、昭和になって一時期上方に戻ることはあったものの、今でも江戸桂一門の止め名になっていることから、初代桂文枝は、まさに上方桂一門の中興の祖であるとともに、上方落語の中興の祖ということになるのではないでしょうか。

大阪春秋第99号「落語の創成~隆盛 露の五郎」(大阪春秋社)より

桂文治と桂文枝_a0126310_22203838.jpg

アテンションをいただきありがとうございます。ポチィと応援お願いします。
  ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村


by kokokara-message | 2011-07-28 22:24 | 大阪