できちゃった結婚の功罪

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昨今、親による子どもへの虐待が社会問題になることがあります。

むろん、子どもは、親の所有物ではなく、親が主体的に選び取った共生すべき他者のひとりであるはずです。

しかしながら、2005年の国民生活白書によると、「できちゃった結婚」による第一子出生の割合は、全体の4人に1人にまでになっているようです。

2005年の国民生活白書によると、「できちゃった結婚」による第一子出生の割合は、この20年間で2倍近くに増加しており、10代カップルの約8割、20〜24歳の約6割が「できちゃった結婚」という結果に。
25~29歳となると大幅に減少して約2割、30~34歳では1割程度という結果ですが、全体で見ると、第一子の4人に1人は「できちゃった結婚」で産まれた子供となっています。
(2010年7月8日エキサイトニュースより)


もはや子どもは、SEXという運動の結果、不意に到来した愛着すべき愛玩物になってしまったのかもしれません。

なぜなら、他者と縁(関係性)を結ぶということは、必ずそこに変化(苦)がセットされることになるからです。

出生とは、生老病死という変化(苦)の中のひとつということになります。

そして、出生が変化(苦)であるのなら、他者である子どもを主体的(自己決定)に選び取る、つまり自分が親になるということもまた変化(苦)ということになります。

しかしながら、「できちゃった結婚」は、子どもを主体的に選び取るという意思が希薄なうえ、親になったという変化(苦)も十分に認識されていないのではないでしょうか。

つまり、他者を主体的に選択したという自覚がないため、突然の理解不能な他者(苦)の到来には、ただ困惑するだけになってしまいます。

また、親になったという変化(苦)の自覚がないため、違法とも思えるような受動的態度へと逃避(責任放棄)してしまうことになるのではないでしょうか。

さらに、日本の深層心理(古層)ともいえる、子どもは親の所有物(愛玩物、一方では中絶)という独特な旧来からの文化と重なることになれば、親による子どもへの虐待はいとも簡単に合理化されることになるのではないでしょうか。

妊娠したので婚姻するという結婚形態の変化は、確かに少子化対策に一石を投じる効果があるのかもしれません。

しかしながら、「できちゃった結婚」の一般化(通俗化)が、親の受動性や責任の放棄を合理化することになるのなら、現在進行している結婚形態の変化は、少子化対策とするには、あまりにもリスクの高い社会の進路変更になってしまうのではないでしょうか。

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by kokokara-message | 2011-01-10 10:42 | 我流日本論