会いたい/沢田知可子(1)

本日もホノルル・シティ・ライツの紹介です。
12月初旬からの約1ヶ月間、ホノルル・シティ・ホール(ホノルル市役所)周辺をクリスマス・イルミネーションが飾ります。
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「会いたい」

作詞;沢ちひろ 
作曲;財津和夫 
編曲;芳野藤丸 
歌 ;沢田 知可子

ビルが見える教室で 
ふたりは机 並べて
同じ月日を過ごした
すこしの英語と
バスケット そして
私はあなたと恋を覚えた

卒業しても私を
子供扱いしたよね
「遠くへ行くなよ」と
半分笑って 半分 真顔で
抱き寄せた

低い雲を広げた 冬の夜
あなた 夢のように 
死んでしまったの

今年も海へ行くって 
いっぱい映画も観るって
約束したじゃない 
あなた 約束したじゃない
会いたい・・・

 
波打ち際 すすんでは 
不意にあきらめて戻る
海辺をただ独り
怒りたいのか 泣きたいのか
わからずに 歩いてる

声をかける人を つい見つめる
彼があなただったら
あなただったなら

強がる肩をつかんで
バカだなって叱って
優しくKISSをして 
嘘だよって 抱きしめていて
会いたい・・・

遠くへ行くなっと言って 
お願い一人にしないで
強く 抱き締めて
私のそばで生きていて

今年も海へ行くって 
いっぱい映画も見るって
約束したじゃない 
あなた 約束したじゃない
会いたい・・・


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自分の過去を振り返ると、数年の間記憶が飛んでしまっている時期があるようです。

私にとっては、1990年前後が、自分の記憶からどうも飛んでしまっているように思われます。

もちろん、すべての記憶が喪失状態になっているわけではなく、当時の事件や流行などの断片的な情報が飛んでしまっているということです。

もともと、当時からそれらの情報にアクセスしていなかったということも考えられます。

しかしながら、今振り返れると1990年前後は、仕事だけではなく、仕事以外においても大変忙しい時期であったため、多くの情報が私の記憶のネットからもれてしまっていたのかもしれません。

当時は、まだインターネットが普及していなかったことから、ニュースソースは新聞やテレビという従来型のメディアでした。

いずれのメディアでも、現在のiPhoneを使用するようには簡単に情報収集をすることはできません。

おそらく、当時の新聞やテレビにじっくりとアクセスできなかったことが、私の多くの記憶が飛んでしまっている原因といえるのではないでしょうか。

原因の究明はこれくらいにして、確かに不思議な気はしますが、人生の内で記憶が喪失している時期があったことは紛れもない事実のようです。

そして、ちょうどこの時期(90年頃)に流行していた曲が、沢田知可子さんの「会いたい」でした。

繰り返しになりますが、当時の記憶が飛んでしまっているため、この曲が巷に流れていたことも、マスコミで話題になっていたことも、沢田知可子さんのことも、私の記憶にはまったく残っておりません。

私が「会いたい」という曲が存在していることを知ったのは、つい最近のことです。

つまり、私は「会いたい」がリリースされてから20年近く経過して、やっとこの曲を聴くことになったというわけです。

そして、「会いたい」を初めて聴いた時のインパクトは、大変衝撃的なものでした。

それは、歌詞の内容が、いままでにない新鮮な感受性と、これとは矛盾する、昔観た映画のワンシーンを思い出させるような懐かしさ(既視感)を、同時に想起させるものでした。

斬新なまでの感受性(特殊性)と懐かしいまでの既視感(一般性)が、入れ子状態になった感動といえます。

例えば1990年以降に生まれた人なら、最近になってからこの曲を初めて聴いたという人もいるのかもしれません。

では、この曲を初めて聴いた人が、私と同じような新鮮さ(特殊性)と既視感(一般性)を同時に覚えるということはあるのでしょうか。

もちろん、90年前後のバブルの時代を経験した人とそれを知らない人では、この曲から受ける印象が違うのは当然のことです。

また、歌謡曲のみならず、映画などのポップカルチャーが、それらの創られた時代を反映していることは自然なことといえます。

もちろん、沢田知可子さんの「会いたい」も、このような時代という文脈の中で創作されたポップカルチャーのひとつということになります。

しかしながら、この「会いたい」という曲には、他の曲に見られない、時代の経過や変化を感じさせることのない、どこか普遍的ともいえるような感覚が備わっている気がしてなりません。

ここでいう普遍的な感覚とは、時代や場所を超えて、誰もが同じように共感できる感覚ということです。

ここでは、沢ちひろさんの歌詞がその感覚を表現しているのではないでしょうか。

つまり、誰もがどこかで知っているけれども、いまだ誰も言語化することができなかった感覚を、作詞という手法によって普遍的に表現したのがこの「会いたい」という曲ではないでしょうか。

沢ちひろさんの「会いたい」の歌詞には、かような普遍性が含まれているということです。

茂木健一郎氏によれば、創造性とは思い出すことと似ている、ということになるようです。

つまり、この「会いたい」という曲は、誰もがどこかで知っているけれども、言葉にできなかった女性のせつなさや心細さ、そして繊細さを、波打ち際の女性のしぐさや女性の両義的な感受性によって言語化することで、見事なまでに表現しているといえるのではないでしょうか。

おそらく、私たちがどこかに置き忘れて来た感覚を思い出させてくれるものが、この「会いたい」という曲であり、この新鮮さと懐かしさが入り混じった感受性を多くの人が受け取って、普遍性へとつながる感動と共感を享受することになるのではないでしょうか。

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by kokokara-message | 2010-11-14 10:02 | 我流ポップス論(80')