日本と沖縄(17)

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かつての古代のローマ帝国のような多民族国家では、せまい共同体の世界観は打破されて、民族をこえた普遍妥当的な理念が生まれることになるといわれていました。

日本においては、「混合民族論」とイエ制度による「家族国家論」という擬似普遍性が、その代用になったということになるのかもしれません。

ただ、「家族国家論」が擬似普遍性でしかないというのは、日本の家族制度が特殊性ということからも分かるように、民族を超えた普遍的妥当的な理念にはなっていないということです。

日本が採用した民族政策は、同化政策論ということでした。

日本の同化政策論については、このように「混合民族論」だけではなく「家族国家論」からも、その正当性の説明ができることになるということです。

以上が「家族国家論」といわれるものですが、法制面での夫婦の名字の統一は、1898年の民法で決定されたものであり、それまで夫婦は別々の名字を名乗ることも珍しくはなかったようです。

従って、日本のイエを中心とした家族制度といっても、その確定については、歴史的にそれほど古いことではないということもできそうです。

つまり、日本の家族制度が「日本の本質」を現しているというよりも、むしろ「法制度」によってつくられた側面が大きいのではないかということも考えられます。

従って、小熊英二氏によれば、「家族国家論」とは、あくまでも「混合民族論」や「同化政策論」を理解するためのレトリック(修辞)ということであり、かように理解するのがいいということになるのかもしれません。

要するに、家族制度によって、日本の社会が、全て決定されるということまではいえないということです。

あくまで、日本の家族制度というフィルターを通して見ることで、戦前の沖縄や台湾や朝鮮などの支配のあり方を検証することができれば、日本が採用した「混合民族論」や「同化政策論」についても理解するのに役立つことになるのではないかということではないでしょうか。

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by kokokara-message | 2010-10-05 21:40 | 我流近代史(日本と沖縄)