想い出がいっぱい(4)

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日本人の死生観には、仏教の輪廻転生があると思われているところがあるようです。

しかしながら、現代の日本人が強いリアリティを持って輪廻転生を信じるということは、もはや少数となっているのではないでしょうか。

ただ、自分の人生の(80年程度しかない)期間の有限性については、生きてるうちに楽しむという志向を見れば、比較的多く受け入れられているといえるのかもしれません。

つまり、死後の世界観についてのリアリティはなくても、現世における余命を計算をしながら貪欲に生きることについてのリアリティはあるということになります。

もちろん、計算上の余命が短くなれば、自分ができることは限られてくることになります。

従って、できる時にやれることはやっておくという生き方は、人生を逆算した積極的な生き方として受け取られることになるのかもしれません。

しかしながら、与えられていた現実を精一杯生きるという姿勢は、自分の唯一無二性がやがて失われてしまうことへの焦燥感(あせり)やいとおしみという感情から説明ができるものではないでしょうか。

つまり、眼前の現実を精一杯生きることは、前向きな積極性という単純な動機からではなく、むしろ無常感がもたらす感情(いとかなし)から理解する方がより根源に近づくことになるのかもしれません。

唯一無二性は、茶の湯における一期一会と近い感覚にあるもののように思われます。

幕末の大老井伊直弼は、その著書「茶湯一会集」の冒頭で、茶の湯における大切な言葉として一期一会を選んでいます。

「茶湯一会集」によれば、一期一会は「本日の出会いは、再び同じ出会いではないと考え、主人は全てのことに気を配り、客も亭主の趣向を何一つおろそかにせず、心に留めて、双方が誠意をもって交わるべきである」というものです。

そして、「茶湯一会集」の完成は安政5年(1858)とされており、同年は、井伊直弼が大老に就任するとともに、孝明天皇の勅許が得られないまま日米修好通商条約を強行調印した年でもありました。

まもなく、大老井伊直弼は、条約反対派を封じ込めるために、多くの公家や大名、藩士らを処罰することになります。

安政の大獄と呼ばれる事件ですが、安政の時代は、思想的には開国よりもむしろ尊王攘夷の嵐が強く吹き荒れていたということができそうです。

また、国家存亡の危機にあったとはいえ、政府(幕府)の事実上の最高責任者(大老)が、律令制度の頂点にある天皇の勅許(許し)を得ぬままに、外国との条約を締結することは、おそらく法制上、明白な服務違反になるのではないでしょうか。

つまり、条約の調印という時代背景からの突出と天皇を頂点とする律令制度からの逸脱は、大老井伊直弼が自らの死を覚悟することなしには決することができない、高度な政治判断といえるものではなかったのでしょうか。

その2年後の万延元年(1860)には、大老井伊直弼は桜田門外で急襲され、その生涯を閉じることになります。

享年、44歳という若さでした。

大老井伊直弼に限らず、人が自分の唯一無二性(天命)について、考え始めることになるのは、おそらく年齢の老若とは関係なく、自らが投げ出された社会的文脈から、自らの死を覚悟しなければならなくなった時ではないかと考えるのですが、さて皆様はいかがお考えでしょうか。

ところで、孔子の論語によれば、50歳で天命を知り、60歳で耳順するということになるようです。

耳順とは、その字の通り、我を張らずに、人の話に素直に耳を傾けることができるようになることです。

順番からすると、自分の唯一無二性(天命)を知ったうえで、やっと人の話に耳を傾けること(耳順)ができるようになるということのようです。

しかしながら、現代社会では、自分の唯一無二性(天命)を知ることがないまま、従って耳順することもないままに、老いていく人が多いように思われます。

このことは、自分の有限性(無常感)に気づかなくても、永遠の命と変化のない同質性を信じるだけで、生きることができるということではないでしょうか。

このことからすると、現代人には、もはや唯一無二性(天命)は必要ではないということになっていまうのかもしれません。

そして、現代人が、自らの役割でもある唯一無視性(天命)をなくしてしまったのは、自らの死に対するリアリティを抱くというチャンスを失ってしまったからではないでしょうか。

以上のことをまとめると、人の死そのものが社会の背景に押しやられてしまった結果、他人の死のみならず自分の死についても自覚するというチャンスがなくなってしまい、このため、自らの有限性(無常感)に気づくどころか、永遠の命と若さという幻想の中で生きることとなってしまい、自らの唯一無二性(天命)さえも手放すことになったというのが、現代人の自然(死生観)ということになるのではないでしょうか。

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by kokokara-message | 2010-10-02 21:43 | 我流ポップス論(80')