他者と秘密(6)

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また、自分の中の無意識は、自己コントロールができないことからすると、外部の他者と同様な存在ということになります。

従って、他者である無意識から攻撃を受けるということは、自分の中から湧き出てくるカオス(混沌)との暗闘ということになります。

そして、無意識からの攻撃にさらされていると、やがて個人の合理的な判断や行動は奪取されてしまうことになります。

つまり、実際の自分が置かれている文脈からは、到底説明がつかないような物語の中に投げ込まれてしまうことになってしまうわけです。

これが、自我(私)による自己コントロールを失った、幻聴や幻覚という無意識からの働きによって支配されてしまった状態といえるのではないでしょうか。

ところで、自分の秘密には、他者と同質化していることによる共感や安心感という側面と、秘密が漏洩してしまっているのではないかという恐怖の側面の両義性ということでした。

また、自分の中の他者である無意識の攻撃が強くなると、自分の自在感も喪失してしまうということでした。

つまり、自分の自在感がなくなった状態とは、自由に自己コントロールができない状態ということになります。

このような状態になると、自分は環境や他者に影響を及ぼすという主体ではなく、逆に環境や他者から操作される客体ということになってしまいます。

確かに、他者は、自他の曖昧性から同質化した癒合関係によって共感や安心感をもたらすことはありましす。

しかしながら、自我が弱体化し、他者から操作される客体になってしまうと、もはや他者は共感や安心感を与えてくれる存在ではなく、自分の秘密を聞き出し、自分の言動や行動を操作する存在になってしまうということです。

要するに、他者は、もはや自分とは同質な存在ではなく、自分を侵害する異質な存在ということになってしまうということです。

このような状態では、自分の秘密が他者から覗かれているという恐怖感は、ますます高じることになってしまうのではないでしょうか。

日本人は、自我(私)の希薄性が指摘されているところがあると思われます。

これは、個人のパーソナリティというよりも、日本の文化との関係から説明できるようにも思われます。

このため、自分の秘密が漏洩してしまうという恐怖は、日本人であるのなら、誰にでも起こりうる可能性のあることであり、必ずしも病的とまではいえないことであるのかもしれません。

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by kokokara-message | 2010-09-17 22:28 | 我流心理学