他者と秘密(5)

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自分と他者の境界が曖昧となってしまっているという感覚は、おそらく自我が弱体化し始めていているという兆しであるかもしれません。

つまり、自我が自分の中の他者である無意識からの攻撃を受けて、疲れきった状態になっているということです。

このように自我が弱体化すると、実在する他者に、自分の秘密が漏洩してしまっているという感覚が生じ、その恐怖にさらされるということになるようです。

自我の弱体化とは、自己コントロールをする自我(私)の弱体化ということであり、つまり私の希薄化ということになります。

従って、私が希薄化するということは、アイデンティティ(自己同一性)が脆弱になるということであり、自他の区分が不明瞭なものになっていくということになるようです。

そして、自他の区分が不明瞭になると、聞こえてくる他者の声が、自分の中の無意識からのものなのか、外部に実在する他者の声であるのかさえ、分別することができなくなってしまうということにもなりかねません。

つまり、自分の秘密が他者に漏洩するという恐怖は、自分と他者の区別が曖昧になってしまっているということが原因であり、これは弱体化した自我(私)によって引き起こされた症状(現象)ということになるようです。

このことは、曖昧性を自然とする文化圏の持つ特徴といえるものであるのかもしれません。

このため、逆に他者と共感意識があるように感じられて、愛情や親近感を感じてしまうということもあるようです。

本来自分だけにあるはずの秘密が、他者との間でも共有できているものと感じてしまうことにもなってしまうということです。

「阿吽の呼吸」と呼ばれる感覚がありますが、この場合も特定の根拠はなく、同調できていると感じることが自然になってしまっているということになるのかもしれません。

要するに、同質な他者として感じることができる共感と、異質な他者から侵害されているという感覚は、一見正反対のようにも思えますが、ともに秘匿している秘密が他者に対して開かれている(知られている)ということでは共通の感覚ということができるのかもしれません。

つまり、安心安全の感覚と危機の感覚はいつも隣り合わせということであり、コインの表裏の関係にあるといえるのかもしれませんね。

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by kokokara-message | 2010-08-21 05:59 | 我流心理学