想い出がいっぱい(1)
2010年 08月 06日
あだち充原作のTVアニメ「みゆき」のストーリーの詳細については、残念ながら忘れてしまったのですが、エンディングテーマソングに「思い出がいっぱい」が流れていたことだけは鮮明に覚えています。
その素敵なメロディーと繊細な心理描写がされた歌詞はとても印象深く、私の感受性に伝わるものがあるのか、今でもこの曲をウォークマンで何度も何度も繰り返し聞いています。
そして、この曲の作詞が阿木燿子さんであることは、最近知ったことです。
その素晴らしい才能には、あらためて敬服することになりました。
1983年の頃は、いまだ日本経済が上り坂にあったときで、今思えば日本人が冷戦の終結を願いつつも、その実は冷戦体制からの大きな恩恵を受けていた最後の時代ということではなかったでしょうか。
日本人は、まさに無垢であったということになりそうです。
バブル経済が訪れる少し前の日本が一番輝いていた時代、つまり坂の上の大きな雲を目指していた時代には、社会のコンプレックス状態はいまだ少なく、未熟であることも許されていたのではないでしょうか。
この曲は少女が大人になっていくプロセスを、少女の繊細な心理面から、シンデレラという誰もが共有できる物語を持ち出すことで描こうとしたものと思われます。
そして、この少女(みゆき)を見つめる視点は、私は勝手に男性の視線とばかり思っていたのですが、どうも違うような気がします。
おそらく、これは未来の大人に成長した自分(少女)から、まだ未熟であった頃の自分(少女)を振り返るという視点で描かれたものではないでしょうか。
蛇足ながら申し上げるとすれば、この少女(みゆき)のあどけなさと純真さは、おそらく阿木燿子さんの危なかしくも精一杯であった、想い出の中の少女像といえるのかもしれません。
まさに日本経済が成熟をむかえようとしていた時代に、日本人が目指した未来から、まだ未熟な状態にあった日本人に届いた、未来完了形のメッセージということではなかったのでしょうか。
しかしながら、その後日本経済はバブル経済という最後の高揚を終えると、長い長い停滞期に入っていくことになります。
日本人が信じていた未来像は大きく様変わりしていくことになるのですが、「思い出がいっぱい」という曲だけは、この時代の虚脱感ともいえる低迷路線とは一線を画して、大切に守られてきたという印象を受けます。
そして、今では教科書の教材として取り上げられるようにもなり、日本のポップスを代表する曲として知られるようになっています。
古いアルバムの中に
隠れて 想い出がいっぱい
無邪気な笑顔の下の 日付は
遥かなメモリー
時は無限のつながりで
終わりを 思いもしないね
手に届く宇宙は 限りなく澄んで
君を包んでいた
おとなの階段上る 君はまだシンデレラさ
幸せは誰かがきっと 運んでくれると信じてるね
少女だったと いつの日か 思う時がくるのさ
少女だったと 懐かしく 振り向く日があるのさ
H2Oの「想い出がいっぱい」(作詞 阿木燿子)より抜粋
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