貨幣論/岩井克人(4)
2010年 04月 30日
もともとと富とは、自然発生的なものであったということができます。
産業資本主義の時代が終焉し、ポスト産業資本主義の時代では、商人資本主義の原理が全面に出てくるようになったと考えられます。
18世紀後半以降の国民国家の成立とは、国家内部において利潤を生み出すことができるシステムが成立したということに他なりません。
従って、国民国家が成立できるシステムとして、国家内に差異性を伴う価値体系が共存していないといけないことになります。
つまり農村と都市の関係ということです。
これは、アダムスミスが描いたような全面的に市場化された世界ではありません。
むしろ、国民国家の中に、市場的な部分と非市場的な部分とが共存しているということが、産業資本主義を可能にしていたということができます。
つまり中心(都市)と周縁(農村)の価値体系の差異性こそが、産業資本主義的な利潤の源泉であったということになります。
従って、中心と周縁という価値体系の差異性の結果に過ぎない利潤を、労働者の生産活動が生み出す剰余価値として実体化してしまったことに幻想があったといえそうです。
いわゆる、労働価値説です。
これは、差異性の物象化(フェティシズム)に他ならないことになります。
つまり、実体をもたない関係性に実体を見出してしまったということになります。
現代においては、資本家は差異性を意識的に作り出さないといけなくなったということがいえます。
従って、ポスト産業資本主義の時代は、新技術や新製品といった差異性をめぐる競争となることになります。
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