貨幣論/岩井克人(1)
2010年 02月 27日
資本主義から市民主義へ
岩井克人氏の著書「資本主義から市民主義へ」では、氏の「貨幣論」が簡潔に紹介されています。
現在私のブログに連載中の「不都合な資本主義の真実」の記事の中でもふれていますが、その中にある学説のうち貨幣論だけを取り上げたものです。
以下では、「貨幣論」のエッセンスについてご紹介させていただくこととします。
もちろん、私自身が岩井経済学を理解するということが主たる目的なのですが、その整理整頓の手段としてブログをお借りして記述しているということになります。
つまり、ブログを更新するのは自分が何を考えているかを知るためという基本スタンスは全く同じと思われます。
マネタリストと呼ばれた新古典派経済学が明言していたことは、世界は資本主義的な市場が拡大すればするほど、理想的な社会に近づいていくということでした。
つまり、このような調和的な世界観というものを、古典派経済学者やマネタリストである新古典派経済学者は所持していたということになります。
しかしながら、実際には金融危機にみられるように、世界経済が崩壊するという不均衡状態が発生しても、市場における価格の調整機能によって事態の安定化は図られることはありませんでした。
つまり、見えざる手は機能せず、見えざる手を信頼するという新古典派経済学の考え方に、現実がノーといったということになります。
では、金融危機でいうところの「金融」とは一体何でしょうか。
簡単に言うと、金融とはお金を融通することとされます。
つまり、金融とは、実体的な経済活動を行うために資金を貸し借りすることとなります。
従って、資金の貸し借りを行う金融機関は、金融活動のリスクを分散したり、取引費用を節約したりするために存在するということになります。
さらに先物とかオプションとかスワップとかいった金融派生商品、すなわちデリバティブを取引するという金融市場も存在することになります。
ところで、金融は、実体経済のデリバティブ(派生)であって、本源的ではない、という見方があります。
しかしながら、実体経済が、資金の貸し借り(金融)によって支えられていることからすれば、実体経済の根源にこそ、元祖デリバティブである貨幣(金融)が存在するといえるのではないでしょうか。
そして、実体経済が貨幣(金融)によって支えられているということであれば、実体経済がデリバティブ(派生)によって支えられているということになります。
従って、実体経済こそが、貨幣交換というもっとも本源的な金融活動の派生にすぎないということになってしまいます。
つまり、実体経済の根源に貨幣が存在する以上、貨幣は実体経済の派生として存在しているのではなく、貨幣交換こそが本源であって、その金融活動の派生として実体経済があるという逆さまからの見方になるということです。
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