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今回、ご紹介するかき氷は、奈良市西部の富雄にある旧鴻池邸表屋「みやけ」のいちごミルクです。

はじめに、「みやけ」には他の店にはない大きな特徴があります。

それは、「みやけ」が、かつて大阪市中央区今橋にあった旧鴻池邸表屋を現在の地に移築し、店舗として利用しているということです。

「みやけ」と鴻池家とのつながりは不明ですが、現在カフェとして利用されている店舗は、江戸時代末期の豪商の生活を今に伝える貴重な文化財になっているといえそうです。

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そして、店内には、鴻池家に伝わる貴重な文献も展示されていました。

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なお、江戸時代の豪商鴻池についての説明は、大阪美術倶楽部のホームページの鴻池家の歴史をご参照ください。

では、早速ですが、まずは、みやけ一日限定10食の「いちごミルク」(700円)をご紹介します。

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いちごシロップは、地元で採れたいちごをそのままミキサーでつぶし、シロップにしたもののようです。

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したがって、いちごのつぶつぶの種もそのままの形でシロップの中に残っています。

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かようにナチュラルないちごシロップが希少であることはいうまでもなく、一日限定10食もやむを得ないのではないでしょうか。

何としてもいちごミルクが食べたいという方は、営業時間(午前10~午後6時)の早いうちに店に出向かれることをお勧めします。

ナチュラルないちごシロップと濃厚練乳との相性がピッタリの、とても希少価値の高い、この夏一番の絶品いちごミルクをご賞味されるのはいかがでしょうか。

次に、宇治ミルク金時(730円)です。

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甘さ控えめの抹茶シロップに風味のある濃厚ミルクの組み合わせは、これまた絶品といえそうです。

また、「みやけ」はもともと製餡会社であるため、金時は専門の領域、まさに本業の強みというところでしょうか。

次は、マンゴミルク(750円)です。

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数量限定ということで食べてみたのですが、シロップはいちごほどナチュラルなものではなく、やや人工的な印象を受けます。

また、マンゴ果肉のトッピングもありません。

したがって、これは台湾マンゴーかき氷とは別物といえそうですが、奈良で食することを考えれば、やはり希少な一品といえるのかもしれません。

もし、「みやけ」に出向かれて、絶品いちごミルクが完売していたとしたら、宇治ミルク金時やマンゴミルクを注文してみるのはいかがでしょうか。

きっと、他の店のかき氷では味わえない、充実感、充足感を満喫できると思いますよ。

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また、「みやけ」には上記のカフェとは別に、ご覧のような和菓子販売の店舗が併設されています。

和三盆わらびもち(これは絶品です。)やフルーツ大福など人気商品も多いのですが、贈答にする菓子折りも数多くそろっています。

「みやけ」が製餡会社であることからすると、この旧鴻池邸表屋「みやけ」は、まさにあんこ(和菓子)の販路拡大を狙ったアンテナショップということになるのでしょうか。

今はまさに盛夏。

8月7日の立秋までの期間は、一年のうちで最も暑い時期になると思われます。

この夏一番の暑い時期に、この夏一番の絶品「いちごミルク」を食べて、暑気払いをするというのはいかがでしょうか。

なお、かき氷の販売は、ゴールデンウイークの頃から、通常の気候なら9月一杯頃までとのことです。

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住所:奈良市鳥見町1丁目5-1
電話:0742-51-3008

駐車場は比較的広くて21台可能となっています。

ただし、店舗は、とても分かりにくい住宅街の中にありますので、運転にはくれぐれもご注意ください。


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みやけの追加情報です。(平成24年8月25日)
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今回は、きなこ黒蜜ミルク金時と黒蜜ミルク金時を食べてきました。

まずは、きなこ黒蜜ミルク金時(700円)です。

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かき氷には、黒い色のシロップがかかっていますが、味は黒蜜というよりも、風味のあるきなこ味です。

ご覧のように、トッピングとして実際のきなこがかかっています。

きなこ味のするかき氷というのは、珍しいのではないでしょうか。

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甘すぎることなく、素朴で上品な和三盆わらびもちを彷彿させます。

きなこ黒蜜ミルク金時は、きなこを使用した和菓子の中の逸品といえそうです。

次は、黒蜜ミルク金時(700円)です。

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きなこ黒蜜ミルク金時と同じように見えますが、シロップの味はしっかりとした黒蜜です。

宇治とミルクの相性も良いのですが、こちらの黒蜜とミルクの相性も抜群です。

ミルクは練乳のように濃い味ではなく、やや淡白な牛乳の甘さという印象があります。

黒蜜の持つ濃い風味と甘く淡白なミルク味の組み合わせが楽しめる、かき氷という和菓子の逸品ではないでしょうか。

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# by kokokara-message | 2012-07-27 22:41 | おいしいかき氷 | Trackback | Comments(0)

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天王寺は、長らくパンケーキ文化不毛の地とも呼ばれてきました。

その中にあって、今回ご紹介するカフェブーケは、優れもののスフレパンケーキを提供する店といえます。

スフレとは、メレンゲに様々な材料を混ぜてオーブンで焼いて作る、軽くてふわふわとした料理のことです。

メレンゲとは、鶏卵の卵白を泡立てた食材、あるいはそれを用いたお菓子のことです。

つまり、スフレパンケーキとは、卵白で泡立てた、厚さ4センチくらいになる、軽くてふわふわしたパンケーキのことです。

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早速ですが、スフレパンケーキ(750円)を食するため、天王寺ミオ10Fにあるカフェブーケを訪れることにしました。

カフェブーケでは、メイプル、はちみつ、黒蜜の3種類の中から好みのシロップを選択することができます。

私は、メイプルシロップにしました。

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また、トッピングはどれでも100円です。

ご覧のメニュー(下の写真)から選べます。

私は、バニラアイスと生クリームを追加することにしました。

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オーダーしてから、スフレパンケーキが焼き上がるまで20分ほどかかります。

しばらく待っていると、ご覧のような二段重ねのふわふわのスフレパンケーキが運ばれてきました。

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左がバニラで、右が生クリームのトッピングです。

そしてメイプルシロップは、惜し気もなくたっぷりの量が用意されています。

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ふっくらとしていますが、ホットケーキのような外はぱりぱり、中はふわふわという食感とは違っています。

ふわふわで、なおかつ、しっとりとした、ぱさぱさ感のない弾力性のあるパンケーキは、これまでに経験したことのない食感といえます。

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スフレパンケーキは、まだまだ関西では馴染みの少ないパンケーキといえそうです。

神戸三ノ宮にある「星乃珈琲店」でもスフレパンケーキを食することができますが、こちらは「カフェブーケ」のスフレパンケーキと全く同じものであるようです。

なぜなら、いずれもが、日本レストランシステム株式会社が提供する人気メニューであるからです。

日本レストランシステム株式会社は、ドトールコーヒーなどの飲食チェーン店を展開する会社です。

日本レストランシステム株式会社は、ドトールコーヒー、星乃珈琲店、そして今回ご紹介したカフェブーケ以外にも、同じ天王寺ミオ10Fの「洋麺屋五右衛門」「卵と私」、またあべ地下の「赤とんぼ」などの店舗を傘下としています。

小規模(資本)であることから、個性的かつ多様な展開が可能に見える飲食業界にあっても、他の業界と同様、スクラップアンドビルドを繰り返しながら、いくつかの極(会社)に集約されていくことになるのかもしれません。

資本主義とは、差異を見つけては(多極的に)平準化していくシステムといえそうですね。

そんなことを考えながらも、ケーキ感覚で食することができる、大変優れもののスフレパンケーキを天王寺ミオで食してみるというのはいかがでしょうか。

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場所;大阪市天王寺区悲田院10-39天王寺ミオ10F
電話;06-6770-1165

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# by kokokara-message | 2012-07-16 09:38 | おいしいパンケーキ | Trackback | Comments(2)

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四天王寺参詣道の4回目です。

四天王寺南大門から南へと続く四天王寺参詣道を探索してきました。

そして、現代にまで残る古代の痕跡をたどることで、四天王寺から阿倍野までのほぼ一直線の四天王寺参詣道が確認できました。

ところで、少し話しは変わるのですが、阿倍野という地名の由来はご存知でしょうか。

阿倍野(あべの)は、古代の豪族「阿倍氏(あべし)」の居住した土地であったとするのが通説となっているようです。

古代豪族の阿倍氏は、飛鳥時代から奈良時代初めにかけて興隆を極めた氏族であり、大化の改新の時に左大臣に登用された阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ、~649)を実質的な氏祖とする氏族です。

その子阿倍御主人(あべのみうし635-703)は右大臣にまで登用されますが、その孫の阿倍広庭(あべのひろにわ659-732)は中納言までであり、さらにその後は藤原氏の台頭により阿倍氏の登用機会は少なくなっていきます。

やや時代が下って平安時代になると、陰陽師の安倍清明が現れ、従四位下・播磨守に登用されます。

さらに時代が下れば、幕末に老中首座にあった阿部正弘が阿倍一族とされているようです。

ちなみに、「阿倍」「安倍」「阿部」とみな表記が違っていることにご注意ください。

現在でも、区名や市営地下鉄、阪堺電気軌道の駅名は「阿倍野」となっていますが、近鉄電車は「大阪阿部野橋駅」と表記が異なっています。

「倍」と「部」の違いですね。

以下、表記の相違について、ウイッキペディアに説明記事がありましたので、引用をさせていただきます。

阿倍野橋や阿倍野区など、現在見られる表記の大半は「阿倍野」であるが、近鉄阿部野橋駅は「阿部野」と異なる。

他には阿部野神社などがある。

「阿部野」は、中近世において主流であった表記で、当地の前身にあたる東成郡阿部野村もこちらの表記である。

阿部野村は1663年に同郡天王寺村から分村。

1889年に天王寺村と合併し、天王寺村大字阿部野となった。

近鉄電車は、1923年の開業当初は大阪天王寺駅と称していたが、翌1924年には大阪阿部野橋駅に改称されている。

改称および「阿部野」を採用した理由は大字阿部野への配慮からとも言われるが真相は不明である。

なお、翌1925年に天王寺村(1897年に南区へ編入された地域を除く)は住吉区へ編入され、この時に「阿部野」から「阿倍野」(住吉区阿倍野町)へ表記が変更されている。

以上のような経緯から近現代において主流となった「阿倍野」ではあるが、地名の由来として最も有力な説とされる阿倍寺やその建立者である阿倍氏に基く表記であり、正誤・新旧の分別があるわけではない


以上のように、少しややこしい経過があったようですが、ひとつ確かなことは、阿倍野の地名の由来は、阿倍氏の創建した阿倍寺にあったということのようです。

では、今は現存しない阿倍寺という寺院は、いったいどこにあったのでしょうか。

この疑問に答える前に、もう少しだけ逸脱することをお許しください。

阿倍氏ゆかりの寺院で最も有名な処は、奈良県桜井市にある安倍文殊院(あべのもんじゅいん)ではないでしょうか。

安倍文殊院は日本三大文殊としても、また陰陽師安倍清明の生誕の地(異説もあるようですが。)としても、全国的に名の知れた寺院です。

そして、この安倍文殊院の境内には、精巧かつ高度な石工技術により造られた石室と羨道を持つ文殊院西古墳と文殊院東古墳があります。

なかでも、文殊院西古墳は、国の特別史跡に指定されていて、その被葬者は、大化の改新の時に左大臣に登用され、阿倍氏の実質的な氏祖の阿倍倉梯麻呂であることが確実視されているようです。
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現在では安倍文殊院が阿倍氏ゆかりの寺になっていますが、おそらく文殊院西古墳と文殊院東古墳のロケーションから、飛鳥時代におけるこの境内は阿倍氏の墓域であったと考えられます。

つまり、阿倍氏の寺院ではなく、お墓ということです。

では、安倍文殊院が墓域であったのなら、当時阿倍氏が建立した阿倍氏ゆかりの寺院はどこにあったのでしょうか。

これについては、現在の安倍文殊院から西南300メートルのところにある国史跡「安倍寺跡」が、阿倍氏創建の寺院とされています。
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以下は、国史跡・安倍寺跡に係る桜井市教育委員会の説明資料の引用です。

国史跡・安倍寺跡
この地域一帯は、阿倍氏一族の本拠地であったといわれ、氏寺である安倍寺(祟敬寺)のこんりゅうは山田寺の創建時代(641年~685年)とほぼ同じ頃で「東大寺要録」では阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)の建立であると伝えています。

ほぼ伽藍が整備されたのは阿倍朝臣御主人(あそんみうし)の時代だということもわかってきました。

また、寺の範囲は約200メートル四方で、伽藍は南面し、東に金堂、西に塔を配し、北に講堂という法隆寺式、あるいは川原寺式に近いようです。


つまり、安倍寺(飛鳥時代の表記では阿倍寺になるのかもしれません。)は、左大臣阿倍倉梯麻呂が建立した寺院であり、その伽藍配置は塔と金堂が左右に並ぶ法隆寺式、あるいは川原寺式ということになるようです。

一方、大化の改新の功労者である右大臣蘇我倉山田石川麻呂が山田寺を創建するのは、大化の改新より数年前の641年のことであり、その伽藍配置も日本の仏教寺院としては古い様式の四天王寺式とされています。
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伽藍配置だけ見ると、四天王寺式である山田寺が、法隆寺式、あるいは川原寺式の安倍寺(阿倍寺)よりも古いということが言えそうです。

従って、安倍寺(阿倍寺)は、山田寺(641年創建)よりも、後から創建されたと推定できるのではないでしょうか。

また、大化の改新の功労者である蘇我倉山田石川麻呂が、朝廷NO.3の右大臣にしか登用されなかったことに比べ、大化の改新で表立った活躍のない阿倍倉梯麻呂が、朝廷NO.2の左大臣に抜擢されたのは異例といえます。

その内実は定かでありませんが、おそらく阿倍倉梯麻呂が権勢を誇るようになるのは左大臣に抜擢された大化の改新以後のことであり、従って安倍寺(阿倍寺)の創建もそれ以後と考えるのが自然ではないでしょうか。

そして、大化の改新から4年しか経過していない649年には、右大臣の蘇我倉山田石川麻呂が自害に追い込まれ、左大臣の阿倍倉梯麻呂も逝去してしまうことになります。

急逝した阿倍倉梯麻呂の後継には、その子阿倍御主人(あべのみうし635-703)がつくことになります。

阿倍御主人は、やがて672年の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)方の功臣となり、従二位・右大臣にまで登りつめていく人物です。

先の説明にもありましたように、安倍寺(阿倍寺)の伽藍が完成するのは、阿倍御主人が重用されていた天武・持統天皇の時代ということになります。

安倍寺(阿倍寺)が完成するのが、飛鳥・藤原京の時代であるのなら、安倍寺(阿倍寺)が創建されたのはいつでしょうか。

ご存知のように、日本書紀巻27には、法隆寺の焼失についての記事が存在します。

「夏四月癸卯朔壬申 夜半之後 災法隆寺 一屋無餘」、つまり、天智天皇9年(670年)に法隆寺(若草伽藍)が一屋余すところなく焼失したという記事です。

そして、670年に焼失した法隆寺、いわゆる若草伽藍は、塔と金堂が南北一直線に並ぶ四天王寺式であったことが分かっています。

法隆寺再建の時期に通説はありませんが、少なくとも今ある法隆寺が焼失後に再建されたことだけは間違いなく、西に塔、東に金堂が並ぶ特異な法隆寺式は、再建後完成した伽藍配置ということにになりそうです。

安倍寺(阿倍寺)が、塔と金堂が左右に並ぶ法隆寺式(あるいは、天智期に創建とされた川原寺式)ということになれば、安倍寺(阿倍寺)の創建は、おそらく若草伽藍の焼失(670)時期とも大いに関係してくると思われます。

また、阿倍御主人は、壬申の乱(672年)の功績によって朝廷から重用されたことを考えると、阿倍御主人が実質的に安倍寺(阿倍寺)の建立を進めることができたのは、おそらく壬申の乱(672年)以後のことではないでしょうか。

氏寺としての安倍寺((阿倍寺)の構想はあったとしても、実質的にその建立が一気に進むのは、孝徳・斉明・天智天皇の時代ではなく、壬申の乱(672年)以後の天武・持統天皇の時代になってからではないでしょうか。
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飛鳥京には、その北東の方向(現代の桜井市)に向かって、磐余道(いわれみち)と呼ばれる古代の官道が整備されています。(下の地図を参照してください。)

その磐余道の途上には、大化の改新で右大臣になった蘇我倉山田石川麻呂が創建した山田寺があり、その数キロ先には同じく大化の改新で左大臣になった阿倍倉梯麻呂が創建したとされる安倍寺(阿倍寺)があります。

先の記事でふれたように、桜井市の安倍寺跡にあった阿倍寺(ややこしいですね。)の実質的な建立は、その伽藍配置からすると、天武朝以後に、阿倍御主人によって行われたのではないかということでした。

古代豪族が氏寺を創建したり、あるいは氏族の墳墓を造営できたのは、おそらくはその地域が権力者の権力基盤であったからであると考えられます。

阿倍倉梯麻呂の墳墓とされる文殊院西古墳やそれに変わる安倍寺跡(阿倍寺)が桜井市の安倍文殊院周辺に造営されていることからすると、少なくとも、このあたり一体が阿倍氏の本拠地であったことについては間違いがないと思われます。

次回は、阿倍氏のもうひとつの本拠地と考えられる、大阪市阿倍野区の阿倍寺について考察してみたいと思います。

(つづく)

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# by kokokara-message | 2012-07-07 09:47 | 我流古代史(四天王寺編) | Trackback | Comments(0)

天平庵のミルク金時

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今回は、「天平庵」大和郡山店のかき氷3種をご紹介します。

「天平庵」大和郡山店のすぐ近くには、秋篠川が流れています。

また、世界遺産、薬師寺や唐招提寺にも歩いていくことができます。

ご覧のように西ノ京を借景とする秋篠川は、まさに古都奈良の原風景といえるのではないでしょうか。
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ところで、この秋篠川ですが、自然の川のようにも見えますが、実は自然の川ではありません。

秋篠川は、8世紀の初め、平城京九条に設けられた西の市(今の天平庵のあたりです。)に都の物資を集積するため造営された人工の水路です。

そして、今の秋篠川は、九条あたりでほぼ直角に東方向へと曲がり、やがて佐保川に合流することになります。(下の地図を参照)

川の流れを地図で俯瞰すれば、秋篠川が人工的な水路であるということも納得できるのではないでしょうか。

秋篠川は、まさに平城京の高度な土木技術を今に伝える、数少ない痕跡のひとつといえそうです。

かような枕をふりながら、では、本題のかき氷に入りたいと思います。

はじめに、ミルク金時です。
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ミルク金時には甘いみぞれシロップと濃厚な練乳がたっぷりとかかっています。

粒がそろった金時は、やや甘さ控えめといった感じでしょうか。

オーソドックスな組み合わせですが、とても完成度の高い美味なミルク金時といえそうです。

次は、宇治金時です。
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抹茶は宇治の「堀井七銘園」を使用しているとのことですが、あらかじめ抹茶には甘味がつけられています。

勝手ながら、宇治金時の味を決めるのは、抹茶の渋みとその対極にあるシロップの甘さの微妙なバランスではないでしょうか。

つまり、その日の喉の乾き具合によって渋みと甘みの調整をすることで、より抹茶の旨みを引き出すことができるというわけです。

あらかじめ甘さが決まったアイスコーヒーに味気なさを感じるのは、私だけではないと思うのですが・・・。

最後は、トロピカルです。
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マンゴーやパッションの酸味のきいたシロップは、とても後味が良く、さっぱりとしています。

台湾風かき氷を彷彿させるキュービックシャーベットのトッピングは、食感の微妙な違いを楽しむことができます。
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店内は3面がガラス張りでとても明るく、高い天井と広々とした空間はとてもくつろいだ雰囲気です。

真夏の西ノ京を訪れた折りには、避暑に「天平庵」を利用されて、ミルク金時を摂取されるというのはいかがでしょうか。
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〒639-1001
大和郡山市九条町156番1
電話番号 0743-58-5566

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# by kokokara-message | 2012-07-01 16:48 | おいしいかき氷 | Trackback | Comments(0)

高安山に登る

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今回から、数回にわたって、「高安散策」を掲載します。

高安山は、標高488メートルの比較的低い山で、俗に鉢伏山とも呼ばれています。

高安山は、大阪府八尾市と奈良県生駒郡平群町の県境に位置し、登山の容易さゆえ峠越えの越境ルートとして古代から利用されてきた模様です。

現在でも、峠越えのルートは、北側から、十三峠越え、おと越え、立石峠越え、おお道越え、信貴越え、恩智越えと、多くの古代の道が現存しています。

また、飛鳥時代には、天智天皇が白村江の戦いで唐の大軍に敗れたことから、その防衛の拠点として高安山山頂に高安城(たかやすのき)を築いたことが日本書紀に記されています。

そして、戦国時代になると、松永弾正久秀が、大和支配の拠点として信貴山山頂(現在の朝護孫子寺)に信貴山城を築き、その北西に近接する高安山山頂には出城を築きました。

以上のように、高安山は、大和と河内、さらに西方向の摂津を結ぶ交通の要衝であり、また地政学的には、大和、河内を支配するための重要な軍事拠点であったといえるのではないでしょうか。

現在の高安山は、気象レーダー以外に目印となるものはなく、生駒連山の中に埋もれてしまっているかのようにも見えます。

今回の試みは、高安山を複眼的に検証し、そこに埋もれてしまっている意味や価値を掘り起こすということです。

(私自身は)高安山には十数年前に登ったきりであるため、今回はまずは高安山に登ることから始めてみることにしました。

今回の高安山へのアプローチは、大阪府八尾市から近鉄西信貴ケーブルを利用して登ることにしました。

近鉄西信貴ケーブルを利用するため、高安山登山の起点は近鉄信貴山口駅になります。

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近鉄西信貴ケーブルは、ご覧のようなケーブルカーです。

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ケーブルカーのダイヤは、2時間に3本しかないため、30分間待ってからいよいよ出発となります。

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出発から10分ほどで、終点(山上)の高安山駅に到着しました。

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そして、終点(山上)の高安山駅すぐそばには、大阪平野を一望する展望台が設置されています。

ハイキング道に入ると見晴らしが悪くなるため、この展望台から眺望されることをお勧めします。

写真でちょうど正面に見えている小さな黒い影が、JR久宝寺駅前のツインタワービルです。

高安山からすると、ちょうど真西の方向(大阪湾)を見ていることになりそうです。

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高安山駅のすぐわきにあるハイキング道の入り口から、高安山登山を開始します。

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ハイキング道をしばらく登っていくと、先ほど高安の里から仰ぎ見ていた、球形の天井を持つ白色の建造物が見えてきます。

高安山のランドマークともいえる建造物ですが、これは、1968年に建てられた気象庁、大阪管区気象台の高安山気象レーダーです。

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さらにハイキング道を歩いていると、電柱にご覧のような「すぐ山頂」と殴り書きされた表示が見えてきました。

この表示に従い、電柱の背後から数十メートルほど登ると、今回の目的である高安山山頂488メートルに到着しました。

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高安山山頂は、思いのほか樹木がうっそうとしていたため、残念ながら周りの景色を見渡すことは出来ません。

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やむなく、高安山山頂ではご覧のような測量基準となる三角点の標識を確認することにとどまりました。

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高安山山頂からの帰路は、尾根沿いの信貴生駒スカイラインを少し北に移動した立石峠からハイキング道に入り、麓の服部川まで下山することにしました。

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このハイキング道は、古くから立石峠越えとも呼ばれている峠越えの越境ルートのひとつです。

立石峠から少し下ると、ご覧のような江戸時代に建立されたという「峠の地蔵尊」がありました。

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さらに下っていくと、やがて視界が広がり、再び山上で見たJR久宝寺駅前のツインタワービルが正面(真西)に見えていきました。

これで、今回の「高安山に登る」は、終了となります。

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現在の高安山は、高安山気象レーダー以外には特に目立ったものはなく、一見すると何の変哲もない、どこにでもある山の頂のひとつとして見えてしまいそうです。

しかしながら、高安山は、古代から地政学的な要衝に位置づけられていたこと以外にも、生駒山や信貴山という霊山と同様、信仰の山とされてきたという側面もあったようです。

また、高安山の麓や山麓に現在も残っている多くの古墳群は、おそらく古代にこの地域を支配した氏族が残した痕跡と考えるのが自然ではないでしょうか。

さて、今回の高安山登山は、山上から西方向(大阪平野)を一望するということがメインになってしまったような気がします。

果たして、この先「高安散策」の旅は、どこにたどり着くということになるのでしょうか。


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# by kokokara-message | 2012-06-16 22:17 | 我流古代史(高安散策編) | Trackback | Comments(0)

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本日、6月11日に、エキサイトブログ・ユニークユーザー数が、40,000人を超えました。

2011年11月28日に30,000人を達成してから、6ヶ月間強での達成となります。

また、このブログ「心と体の癒しのメッセージ」を書き始めたのが2009年6月12日のことであり、こちらも今日でちょうどまる3年ということになります。

今思えば、このブログを始めた3年前は、とてもストレスフルな状況にあったといえます。

匿名でもいいから、自分の言葉で自分の考えを語りたい、と始めたのがこのブログということです。

それ以後もいろいろと苦渋の選択が続き、まるでジェットコースターに乗ってるような日々が続きました。

先が見えない浮き沈みの激しい日々を過ごしていると、自分の価値観が泡沫であるかのように思えてくることもしばしばあります。

あらかじめ決まった答えはなく、決まった生き方も存在しない。

あるのは、局面においていかに適切な選択をするかという結果から見た倒錯したものの見方であって、この局面はあらかじめ答えを知っているので乗り切れるという陰謀史観めいたものの見方とは真逆であったように思われます。

ただ、素直に局面で本当に適切な判断が下せているとしたら、つまり今を生き延びることができているとしたら、それは自分の中の価値観が適切な判断を下すに足りるだけのデータベースの整理整頓がなされているということになるのかもしれません。

つまり、あらかじめ答えは知らされず、神がかり的な運の良さも持たないで、今を生き延びることができているとしたら、おそらくそれは自分の中の価値観が明確に整序されて、合理的に判断できる優先順位がつけられているからではないでしょうか。

少なくとも、私はそのように考えています。

私を取り巻くストレスフルな状況は、3年前も現在もあまり変わっていないように思われます。

おそらく、これからもこのような状況が、だらだらと続いていくのではないでしょうか。

まさに、「終わりなき日常」を生きているということなのかもしれません。

「終わりなき日常」が所与のものであるのなら、もはや私たちを取り巻く環境は制御できる対象ではないということになります。

取り巻く「終わりなき日常」とは、意識的に距離を採って、適当に付き合いをしていくしかないということになるのかもしれません。

一方、自分という存在も、あらかじめ自分の意思が織り込まれて生まれてきていないことからすると、自分という存在もまた「所与」ということになります。

しかしながら、自分という存在は、自分自身をどこかで自己コントロールできるものと、どこかで知っているのもまた事実ではないでしょうか。

つまり、自分は、自分自身にただ振り回されるのではなく、自分を一望俯瞰できる視点(自己意識)を持って自己コントロールできる存在であるということです。

そうであるのなら、自分が何がしたくて、何がしたくないのか、あるいは、何が言いたくて、何を言われたくないのかくらいのことは、常日頃から整理整頓しておくことは必要になってくるのではないでしょうか。

そして、その結果としての自分の価値観の整序こそが、自分の求める生活を明確化(具体化)したものということになり、やがて自分の夢を構築する上での現実的な足場になると考えます。

「先の見えない時代にあって、自分の求める生活や価値を明確にしておくことは大切なことです。自分と環境との関係性を考え、欲望をほどよく制御するための心と体の癒しのメッセージです。」

これは、3年前に書いた私のブログのテーマでした。

あらためて読み返してみると、3年たった今でもそのテーマは変わっていないように思われます。

先の見えない今の時代であるからこそ、自分の欲望を全開にするのではなく、自分の欲望のブレーキペダルに足をかけて、ほどよく自己コントロールすることが、おそらく自分の求める生活や価値を現実的の中で具体的に実現する一番の近道になるのではないかと考えているのですが、さていかがでしょうか。

何はともあれ、本日は、40,000人達成とまる3年という日が重なる、まるで金環日食のようなとても有難い日になりました。

ただの偶然とは思えない不思議な縁を感じています。

ご縁を賜った、皆様のご厚情とご好意、そして暖かいアテンションに心から感謝いたしております。

次は、50,000人を目指すことになります。

引き続き、「心と体の癒しのメッセージ」を皆様に送ってまいりたいと思っております。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。
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# by kokokara-message | 2012-06-11 22:11 | 夢とは何でしょうか? | Trackback | Comments(2)

四天王寺参詣道は、現代では庚申街道と呼称され、ひっそりと古代の痕跡をとどめています。

そして、前回の記事では、近鉄阿部野駅北側の都ホテルに設置された庚申口が庚申街道の一部であるということでした。

今回は、その続きとなります。

近鉄阿倍野駅北側の庚申口からほぼまっすぐに地下街を南側へと抜けていくと、ちょうど正面にマツモトキヨシが見えてきます。

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そして、マツモトキヨシのすぐ左側には、地下街から地上へと向かう通路が見えてきます。

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これが松崎口と呼ばれる通路です。

近鉄阿倍野駅北側にあった庚申口と同様に、庚申街道の一部を構成することになります。

そして、この松崎口は、四天王寺南大門からまっすぐに延びた参詣道の延長でもあるということです。

松崎口から地上に出ると小さな広場があり、そこには以下のような歴碑が設けられていました。

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庚申街道歴碑

大阪府誌(明治三十六年刊)によれば、この道路には一貫した道路名はないが、明治三十一年頃に「庚申街道」の名称が成立するまでは、「葛井寺道」など様々な名称を持っていたといわれ庚申堂参りの道でもあった。

その代表的な経路は、起点を四天王寺南大門前から南へ庚申堂を過ぎ、現JR天王寺駅と近鉄阿部野橋駅を横断して終点の現平野区長吉川辺町で古市街道と合流して終わっていた。

現在「庚申街道」の名称が生きているのは、途中の桃ヶ池当たりまでのもので、それ以降は、区画整理事業、道路拡幅もあってときの移り変わりとともに「庚申街道」と称したという記憶をもつ人も少なくなってきたようである。

昭和五十二年、大阪都市計画事業近鉄南大阪線連続立体交差事業により、踏み切りでの交通事故や交通渋滞といった交通問題を解決することを目的として、新しく都市計画道路阿倍野松崎線が設けられ、踏み切り道は廃止された。

また、庚申街道は、東地下駅コンコース広場として生まれ変わり、南北連絡の地下道路として線路をまたぐ南と北の両地域を結ぶことになった。

一方、大阪市・近畿日本鉄道株式会社・庚申街道を守る会など関係者の間で地域将来の発展のための改良計画について協議が重ねられた。

その結果、緑豊かなサンクンガーデンの松崎口・阿部野橋駅東地下駅・庚申口が設けられ、JR・地下鉄との乗り換え・連絡が便利になり、この界隈も大きく変貌を見せた。

ここにこの地域の変貌を偲ぶ縁として、多大の努力を領けられた関係者共々歴碑として残すこととなった。

昭和六十三年十一月吉日


これによると、四天王寺南大門から続く参詣道が庚申街道と呼ばれるようになるのは、近代に入ってからのことのようです。

また、それ以前には「葛井寺道」とも呼ばれていたこともあったようです。

この道の呼称は時代とともに変遷しているものの、四天王寺南大門から南へとほぼ一直線に向かう道は、おそらく古代からそのロケーションを変えていないのではないでしょうか。

また、歴碑文にあるとおり、道の一部は建造物に組み込まれて地上から地下へと移り変わるものの、参詣道の持つ本質(信仰の道)は今も変わらずに脈々と受け継がれているのかもしれません。

ご存知のように、四天王寺は創建以来1400年間そのロケーションを変えていません。

従って、今一度整理すると、四天王寺南大門から南にまっすぐ延びたこの道は古代四天王寺の参詣道ということになるはずです。

そして、この道の延長線にあたる庚申口、松崎口、そして庚申街道そのものが古代四天王寺の痕跡ということになりそうです。

上町台地には、これ以外にも古代四天王寺の面影を伝える痕跡が多く残されているのではないでしょうか。

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写真では上が南側になるため、本文の説明とは逆になりますが、庚申口、松崎口、そして庚申街道の位置関係はよく分かるのではないでしょうか。


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# by kokokara-message | 2012-05-27 21:54 | 我流古代史(四天王寺編) | Trackback | Comments(0)

奥武島の中本てんぷら店

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今回は、世界遺産斎場御嶽(せーふぁうたき)から車で20分のところにある、奥武島の中本鮮魚店のてんぷら(以下、中本てんぷら店)をご紹介します。

斎場御嶽(せーふぁうたき)から平和祈念公園に向かって国道331号線をレンタカーで走っていると、左手の海側にポツンと奥武島が見えてきます。

この奥武島に架かっている大橋を渡り切ったちょうど突き当りが、中本てんぷら店になります。
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中本てんぷら店は、地元の人から圧倒的な支持を得ている鮮魚店であり、てんぷら専門店でもあります。

最近では雑誌などのメディアで紹介されることから、私のような観光客も多く訪れます。

私が着いたのは午前11時という中途半端な時間にもかかわらず、店の前には行列ができていました。

行列に並んでいると、次々と新しいてんぷらが揚がってくるため、一部のつくり置きを除けば、たいていのてんぷらは揚げたてです。

また、下の写真のメニューのように、どのてんぷらもとてもリーズナブルな価格になっています。

グローバリズムの潮流から外れたかのような非日常的な価格設定は、もはや本土では見られない光景といえろのかもしれません。

そして、このノスタルジックな光景を支えているのは、おそらく沖縄の反グローバリズム、つまりは沖縄というローカリズムの持つ高い潜在能力(ポテンシャル)ということではないでしょうか。
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まずは初めに、イカ天(65円)からご紹介します。

ほんのりと塩味の効いた揚げたてのイカ天は、とても肉厚で弾力感のある一品といえます。
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次に、こちらはもずくのてんぷら(65円)です。
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本土では、もずくのてんぷらを出す店は少ないようですが、沖縄ではとてもポピュラーな料理といえます。

軽くサクサクとした食感はおかずよりも、おやつとして食べるのにぴったりかもしれません。

さて、これはなんでしょうか。
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中本てんぷら店の人気商品、ハッシュポテトのてんぷら(65円)です。

てんぷらの中には、チーズのようにとろっとしたハッシュポテトが入っています。

注文を受けてから揚げるため、食べるときはいつもアツアツ、ホクホク状態です。
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以上、三種類のてんぷらを一気に平らげましたが、値段はなんと195円でした。

ところで、幕末の琉球王朝を描いた「テンペスト」が、NHKのドラマや3D映画で話題になっています。

ドラマの中では、女優の高岡早紀さんが聞得大君(きこえおおきみ)を演じています。

聞得大君(きこえおおきみ)とは、琉球王朝最高位にある祭事を司る女性王族のことです。

また、聞得大君(きこえおおきみ)以外にも、ノロと呼ばれる女性祭事者が各地域に住んでいました。

ノロは国家行事として祭事を執り行っていたため、国家公務員のような地位にあったといえるのかもしれません。

そして、聞得大君(きこえおおきみ)を頂点とする女性祭事者(ノロ)たちが、最高位の祈りの場所として選んだのが斎場御嶽(せーふぁうたき)ということになります。

政治は国王(しゅりてんがなし)が首里城で執り行う一方、聞得大君(きこえおおきみ)は斎場御嶽(せーふぁうたき)で祭事(まつりごと)を司っていたということになります。

ところで、東洋(日本)では、政治(政事)のことを「まつりごと」と呼ぶ習慣があるのはご存知と思われます。

政事(まつりごと)が祭事(まつりごと)と同意であるとするのなら、政教一致関係にあるということが、琉球のみならず、東洋における政治体制の一般類型ということになるのかもしれません。

そして、現在の日本がこの一般類型に当てはまるとするのなら、十年以上前の某首相の「神の国」発言も今となっては間違いとは言えないということではないでしょうか。

かようにややこしいことを考えながらも、せっかく世界遺産斎場御嶽(せーふぁうたき)まで足を延ばされたのなら、ぜひとも奥武島に立ち寄り、「中本てんぷら店」のアツアツのてんぷらを食してみるのはいかがでしょうか。
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斎場御嶽から神の島久高島を遠望しています。


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# by kokokara-message | 2012-05-13 23:07 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)

文二郎のパナマ帽

先日、近鉄百貨店阿部野店を訪れたところ、偶然にも文二郎のオーダー会に出くわすことになりました。

文二郎は、パナマ帽やフェルト帽を製造する西川製帽株式会社のブランド名です。

私は、数年前から縁あって中折れ帽を着用しています。

春夏はパナマやシゾール、秋冬はフェルトの中折れ帽を愛用しておりますが、そのいずれもがボルサリーノやTESI、マイザーといった海外ブランドばかりでした。

文二郎のブランド名は知っていたものの、和製の中折れ帽には関心がなかったため、文二朗の情報はほとんど持ち合わせていない状態でした。

このため、オーダー会当日には文二郎の西川文二郎社長の直々の接遇があったにもかかわらず、こちらの不勉強ゆえ頓珍漢な質問をしまい、深く反省いたしております。

ところで、オーダー会で文二郎ブランドについて分かったことは以下の通りです。

文二郎の西川文二郎社長は、日本を代表するマイスター(帽子職人)であるということ。

このため、雑誌やNHKの美術番組「美の壺」などのメディアでも取り上げられる有名人であるということ。

また、文二郎の帽子は受注生産が基本となるため、納品までには約2か月かかるということ。

さらに、実測に基づいた受注生産のため、通常1センチ単位のサイズ調整が5ミリまで可能となること。

そして、文二郎プランドの本社兼工場がなんと近鉄百貨店阿部野店からほど近い、大阪市東住吉区桑津にあったということ。

以上のことから、文二郎ブランドは製帽技術の高さのみならず、きめ細やかな対応ができる会社ということが分かり、名実ともに親近感を抱くとともに、文二郎ブランドと私との距離が一気に縮まるのを感じました。

オーダー会ではあれこれ迷った末、黒色のパナマ帽(下の写真)を購入することにしました。

ご存知のように、パナマ帽はその原料であるトキヤ草を自然なままに編み上げるため、白やベージュというナチュラルな色が一般的となります。

これに対し、カラーパナマは原料のトキヤ草を染色してから編み上げるため、ブラック以外にもカラーのバリエーションは広がります。

もちろん、白やベージュはとても涼しげで夏らしい色といえるのですが、少しカジュアル過ぎるように感じる方もいらっしゃるかもしれません。

また、ビジネスにパナマ帽を着用するという習慣は、1950、60年代ならいざ知らず、現代では一般的とまでは言えないのではないでしょうか。

このため、通勤途上でパナマ帽を着用するというのなら、カジュアルな印象を与える白やベージュよりも、むしろフォーマルで落ち着いた印象を与えるブラックやネイビーの方が無難といえるかもしれません。

私はパナマ帽に関わらず、通勤途上ではブラックやネイビーそしてグレーの中折れ帽を着用することにしています。

ただし、ここで見落としてはいけないことは、もともとのブラックパナマの狙いはナチュラルな色だけでは出すことのできない、大人のダンディズム(伊達さ)の演出にあったということです。

つまり、ブラックパナマは、ビジネスのためのタームだけでは語れない、大人の流儀を表現したアイテムといえるものであるからです。

私がオーダーしたブラックパナマは、「パナマジャズデューク」と命名されていました。

これは、西川文二郎社長が大のジャズ愛好家であり、ジャズの大御所デューク・エリントン(アメリカ合衆国 ワシントンD.C.出身のジャズの作曲家、ピアノ奏者、オーケストラリーダー)からその名前をもらって命名したものであるようです。

ところで、新しくスーツを購入した場合には内ポケットあたりにネームを入れてもらうことが一般です。

そして、今回のパナマ帽では、同じようにマイネームを入れる習慣があるということを知りました。

パナマ帽の場合には、帽子のスエットバンド(内側にある輪っか)にネームを入れることになります。

以上のように、実測5ミリ単位のサイズ調整をしていただいたうえに、スエットバンドにマイネームを入れていただいければ、世界に二つとない私だけのパナマ帽の完成ということになります。

パナマジャズデュークの納品は、少し先の6月末頃になる予定です。

今回のご縁を大切にし、文二郎のパナマ帽との末永いおつきあいができればと考えております。
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# by kokokara-message | 2012-05-04 08:40 | 大阪 | Trackback | Comments(0)

ミーハーと普遍性

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最近のことですが、私がミーハーではないかと言われたことがあります。

おそらく、私の選択が多数派にあることが多いため、そのように指摘されたのかもしれません。

ウィキペディアによると、ミーハーの意味は、以下のようになっています。

ミーハーとは、昭和初期に生まれた俗語であり、テレビが普及し始めた1950年代後半、大宅壮一が唱えた「一億総白痴化」とほぼ時期を同じくして用いられた。

元々は低俗な趣味や流行に夢中になっている教養の低い者や、そのような人を軽蔑して言う蔑称で、特に若い女性のことを指していた。

現在では男性にも使われる言葉である。

最近の用法としては、「ある事象に対して(それがメディアなどで取り上げられ)世間一般で話題になってから飛びつく」という意味でのものがほとんどである。


低俗な趣味や流行の意味するところは定かではありませんが、おそらくミーハーとは何かに熱しやすいタイプの人を指すのかもしれません。

また、ある事象に対して(それがメディアなどで取り上げられ)世間一般で話題になってから飛びつく、という意味では、おそらくミーハーは横並び意識が強く、同じでないと不安になる人かもしれません。

昨今の賞味期限の短い、一過性ともいえる情報が飛び交う社会情勢では、ミーハーの付和雷同は極めてリスクの高い選択になるかもしれませんね。

いずれにせよ、ミーハーとは、表層的な横並び意識を基盤とした多数派形成を志向する人たちといえそうです。

そして、ミーハーは多数派にあるといううことが、他には替えがたい自信になっているのかもしれません。

おそらく、かようなミーハーは、大衆社会における代表的な行動様式(エトス)を採る人たちといえそうです。

一方、多数派志向の「ミーハー」に対し、「普遍性」という一般性を表す言葉があります。

養老孟司氏によれば、普遍性とは偏在する多様な感性や価値の極端な部分を除いた真ん中あたり、ということになるようです。

つまり、マニアの感性や価値観のような特殊性、つまり極端な例外を除いた一般性の部分が普遍性になるということです。

例えば、誰もが美しいと感じるものを美しいと感じることや、文化や共同体の論理に囚われない、誰もが納得できる価値や判断が下せるようなことを普遍性と呼ぶのかもしれません。

おそらく、普遍性は、人間であるなら誰もが納得できる範囲に収まるような「一般性」のことを指すのではないでしょうか。

このため、普遍性は、多数派を志向するミーハーの人たちと重なり合う感性や価値観を所持しているということになります。

つまり、マニアのような特殊性を除けば、普遍性であっても、ミーハーであっても、一般性を所持する人たちということでは同じということになります。

また、数の上ではおそらく、どちらも多数派を形成する人たちということになるのではないでしょうか。

ただし、先にも述べましたように、大衆社会におけるミーハーの感性や価値観は、あくまでも相互参照や横並び意識の結果として形成されたものということになります。

つまり、ミーハーがもともと多数派志向の人たちであったように、その行動様式である相互参照や横並び意識を繰り返すことによって、地滑り的に多数派が拡大していくということになります。

一方、普遍性はというと、個人の自由で内発的な選択の結果、同じような傾向を示す人たちが集まり合うことにより一般性が形成されていくということになります。

つまり、普遍性は、もともと人間に内在している至極当たり前なことを自らが確認した結果、当然のように多数派が形成されていくというわけです。

どちらも多数派にあるという点では同じように見えますが、そのアプローチの方法は真逆になっていることには留意しなければなりません。

最近私が気になることは、仕事や家庭の中でも、考えても考えなくとも、またやってもやらなくても、結果は同じというような、なんだか虚無的に感じる場面に出くわすことが多くあるということです。

おそらく、これは結果だけが高く評価されることになるため、多数派にあるという事実だけで容易に勝ち負けを決定されてしまうということが原因ではないでしょうか。

つまり、民主的な手続きの結果として多数派にさえあれば、ミーハーであろうと普遍性であろうと、そのアプローチの方法には関係なく、同じよう(勝ち組)に扱われてしまうということです。

民主主義社会において、多数派に属することはとても重要なことです。

しかしながら、月並みな言い方ですが、結果の勝ち負けではない、形成過程(プロセス)に対する考察がより重要ではないかということです。

つまり、現代社会において民主主義が重用されるのは、その単純な多数決の意思決定システムが全体意思をあらわすためではなく、むしろ民主主義という意思決定システムの中に「人間の持つ普遍性」に対する信頼が組み込まれているからではないでしょうか。

社会学者の橋爪大三郎氏は、民主主義は最高の意思決定システムとされています。

少なくとも近代以降の日本の意思決定システムは、相互参照や横並び意識の多数派形成を意図して設計されたものではありません。

あくまでも、個人の自由で内発的な選択を前提として多数決の意思決定システムが機能するものと考えていたはずです。

もちろん、残念なことではありますが、現実と実態がかい離しているという現象も多々見られることといえそうです。

大衆社会とは、個々の感性や価値観が多様化する一方で、それらの感性や価値観が画一化されて行くという、拡散と収縮(選択と集中でもかまいません)が同時に起こるカオスの状態ということができます。

大衆社会に生きる私たちは、このようなカオス状態をいかに生き延びればいいのでしょうか。

まず、グローバリズムのトレンドからすると、文化や共同体という特殊性を超えた、もともと人間に内在している「普遍性」に依拠した判断や決定が行われることが求められているといえそうです。

これは大変難しいことですが、いかに文化や共同体のバイアスから自由な(解放された)判断や決定ができるか、つまりは自分自身をいかに相対化するかが、今を生き延びるためのスキルということになりそうです。

そして、少し戦略的な話になってしまいますが、やはり民主主義社会で生き延びるということは、いかなる場合であっても、社会の多数派からは零れ落ちないという立ち位置はキープしておくという慎重さは必要とされるかもしれません。

つまり、今を生き延びるためのスキルとして世を忍ぶ仮の姿も必要になるということではないでしょうか。

先にも述べたとおり、ミーハーと普遍性では多数派へアプローチする方法は、真逆になっているということでした。

しかしながら、あらためて大衆社会における多数派の立ち位置の重要性を考慮すれば、ミーハーと普遍性はともに今を生き延びるための重要なスキルということになり、それぞれが対立する概念という位置づけにはなっていないということです。

ミーハーであることと普遍性であることのスキルがバランスよく補完し合う関係になれば、両義的であり複雑怪奇ともいえる大衆社会を生き延びることができる活路も見出すことができるのではないかと勝手に考えているのですが、さていかがでしょうか。

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# by kokokara-message | 2012-04-22 11:02 | 我流日本論 | Trackback | Comments(0)

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最近では、屋外であっても喫煙できる場所が限定されてきたようです。

また、バブルの頃のように、夜の繁華街で酔っぱらったサラリーマンを見かけることも少なくなったように思われます。

喫煙や飲酒は個人の嗜好の領域へと追いやられ、もはや公共空間では楽しむことがでない習慣へと変わりつつあるといえるのかもしれません。

さらに、メタボリック。

健康増進法の施行以来、メタボリックであるということが反社会的行為とみなされ、先の喫煙や飲酒とともに社会にとって非効率でコストのかかる悪癖としてみなされるようになってきたのではないでしょうか。

もともと日本や東洋の伝統では、喫煙や飲酒の習慣はコミュニケーションの手段の一つとされてきたと考えられます。

煙草が御下賜されてきたことや般若湯と称し僧侶の飲酒が認められてきたように、喫煙や飲酒は特別な習慣として日本の社会の中で認知されていたといえそうです。

これにも関わらず、なぜこれほどまでに飲酒や喫煙が社会の悪癖とされることになってしまったのでしょうか。

傲慢に肥大化した欲望へのブレーキが要請されることになったということなのでしょうか。

十年以上前のことですが、ハワイを訪れていた時期がありました。

ハワイのホノルルにあっても、禁酒は確かに伝統的習慣とされていましたが、禁煙についてはいまだ厳しい規制は施行されておらず、禁煙の習慣がハワイの社会全体に広がるのは、1990年代後半の頃からであったように記憶しています。

また、同時期のヨーロッパでは、ドイツの某航空会社のキャビンアテンダントが、立ったまま水を入れた紙コップを持ち、喫煙をしている姿を見て大変驚いたことがありました。

ハワイやヨーロッパにおいて禁煙が習慣となるのはそれから後のことであり、禁煙の歴史はそれほど古いものではないといえそうです。

そうはいいながらも、現在ではアメリカ社会の習慣であったはずの禁酒や禁煙が、日本のみならずヨーロッパにおいても席巻するという状況になってきているようです。

なにより、ここ十年程のアメリカの習慣のグローバル化には、目を見張るものがあります。

ご存知のように、アメリカ合衆国の精神の源泉には、合理主義と禁欲主義がセットされています。

そして、これらのアメリカのイズムは、プロテスタントの「世俗内禁欲」に端を発した行動様式ということができます。

プロテスタントの「世俗内禁欲」については、以前にもこのブログで記述したことがあるのでここでは割愛しますが、アメリカの習慣の多くはプロテスタントの教義に基づく宗教的行事ということが多く、これらの行事が世俗化しものが生活習慣になっていると考えられます。

現在の日本社会にあっても、飲酒や喫煙そしてメタボリックが、反合理的、反禁欲的、さらに反社会的な習慣とみなされる風潮にありますが、その内実はプロテスタントの教義(キリスト教)の普遍化にあるということになります。

アメリカの習慣のグローバル化がプロテスタントの教義をの普遍化でもあるということに、果たしてどれだけの日本人が気付いているといえるのでしょうか。

もし、アメリカの習慣にセットされた宗教的な意味を知らないまま、表層的なルール(法律)だけを受け入れていれば、本来宗教に備わっているはずの「寛容」のブレーキが効かないまま、コンプライアンスだけを主張し暴走することにもなってしまうということです。

寛容はいうまでもなく共同性に対する寛容であり、さらにそれぞれの共同性が併存しうるための寛容(放っておく)になります。

ところで、飲酒や喫煙、そしてメタボの原因となる食生活を制御するとは、自己コントロールの問題になることはいうまでもありません。

そして、自己コントロールは、もともと日本人が古来から大切にしてきた生活態度であり、礼儀や節度、そして規範を重んじることにも見られるのではないでしょうか。

さらに、昨今の合理的、禁欲的なアメリカの習慣を受け入れてきたことを、もともと日本文化に内在していた武士道の精神の体現することとして読み替えることができるのかもしれません。

しかしながら、忘れてはならないことは、グローバリゼーションの本質は、アメリカの精神の普遍化にあり、その源泉がキリスト教(プロテスタントの教義)にあることを忘れてはならないということです。

ただ、私のような一個人が、世界を席巻するグローバリゼーションに、どのような思索を巡らしたとしても埒のないことであることはいうまでもありません。

また、グローバリゼーションという途轍もない荒波の影響のためか、最近では考えても考えなくても、またやってもやらなくでも、結果は全く同じというような極めて虚無的といえる経験をすることも少なくありません。

もはや、なすすべもなく、グローバリゼーションというトレンドに身を委ねること以外には、今を生き抜く選択肢はないのでしょうか。

余計なことは考えず、なるようにしかならないと諦めてしまうことが、逆説的ですが、グローバリゼーションを生き延びる唯一の方法であるのかもしれません。

つまり、諦めの境地、達観ですね。

そして、このような達観の境地に自らの意思で往還できるようになれば、考えても仕方ないことはもはや考えることはしない、ただ流していくだけということもあるように思われます。

かような達観の境地に至れば、もはや哲学ブログのような考えるためのフィールドも必要なく、従って哲学ブログのフラッグを下ろすことになる日も近いといえるのかもしれません。

最後になりましたが、あるがまま、なすがままに世の行く末をただ見据えていくという醒めた視点を維持することが、浮世から零れ落ちた達観の境地にある者の残されたささやかミッションではないかと勝手に考えているのですが、さていかがでしょうか。

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# by kokokara-message | 2012-04-14 11:53 | 我流日本論 | Trackback | Comments(0)

前回の記述では、四天王寺南大門から南下していくと、その道筋には古代四天王寺の痕跡を見出すことができるということでした。

つまり、今も残る庚申堂、そしてJR天王寺駅の地下通路、JR軌道敷に架かる歩道橋などがその痕跡に当たるということでした。
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今回は、JRの軌道敷に架かった歩道橋を渡り切った場所から、さらに南下していくことにします。

まずは、歩道橋を渡った位置の、JRと近鉄の間を走るあびこ筋のちょうど向いが都ホテルです。

そして、この都ホテルに設置された地下街への入口が、今回古代四天王寺参詣道の痕跡としてご紹介するものです。
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地下街への入口は、近鉄阿部野橋駅東口とだけ表示されいるため、一見すれば何の変哲もないありきたりの地下通路にしか見えないかもしれません。

しかしながら、よく観察すると、そこには隠された古代四天王寺参詣道の痕跡を見出すことができます。

前回も記述したように、四天王寺南大門から南下する四天王寺参詣道は、近世以降庚申街道と呼ばれることになります。

つまり、南大門を起点とする古代の四天王寺参詣道は、近世以降は庚申堂への参詣道に変わっていくということです。

従って、現在に残る庚申街道をたどるということが、迂回的にはなるのですが、古代四天王寺参詣道の痕跡をたどることにもなるというわけです。
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ご覧いただいているのが、都ホテルに設置された地下通路の案内標識です。

正面から見ると、特に気になるところがない、ただの案内標識に見えるのですが、その裏側に回ってみると、意外ともいえる表示を発見することになります。

ご覧のように、案内標識の裏側には、ひっそりと「庚申口」と表示されているではありませんか。

つまり、この地下通路は「庚申口」と呼ばれる、庚申街道の延長であったということになります。
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さらに、地下街に入ってみると、ご覧のような「庚申口」と書かれた案内標識も目にすることができます。

地下街が、庚申街道であるということになるのでしょうか。
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JR側の歩道橋のあったちょうど向い側が「庚申口」に当たります。

その位置的関係から推定すると、「庚申口」は庚申街道の一部であると考えるのが自然といえそうです。

日常、何気なく通過していた都ホテルの地下出入口が、庚申街道の一部であったという事実は大変な驚きです。

「庚申口」は、近鉄阿部野橋駅のちょうど北側に位置しています。

庚申街道は、近鉄阿部野橋駅の地下街を縦断し、さらに南側に当たる松崎口へ進んでいくことになります。
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# by kokokara-message | 2012-04-07 10:59 | 我流古代史(四天王寺編) | Trackback | Comments(0)

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沖縄県の恩納村にある道の駅にやってきました。

「おんなの駅」という命名は、まるで演歌の世界を想像させます。

しかしながら、おんなの駅の店内では、演歌とは全く無縁な、様々な南国のフルーツが販売されています。
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ドラゴンフルーツという果実を耳にすることがあります。

ドラゴンフルーツとは、サボテンの実だったのですね。
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こちらは、グアバ。
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そして、フルーツの王者のマンゴー。
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これらの南国フルーツを盛りだくさんにトッピングしたかき氷が、今回ご紹介する、琉冰(リュウピン)のアイスマウンテンです。
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琉冰(リュウピン)のアイスマウンテンの中でも、一番人気はトロピカルフルーツ(980円)です。
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カウンターの向こう側を眺めてみれば、向かって左からマンゴー、パイナップル、ドラゴンフルーツ(赤)、ドラゴンフルーツ(白)、そしてパッションフルーツが並んでいました。

ドラゴンフルーツは、白い色の方が甘酸っぱくて、赤い色のがより甘いと言われています。
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では、トロピカルフルーツのアイスマウンテンを、多面方向から観察することにします。

こちらは、パイナップル(左)とマンゴーの側面になります。
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こちらは、紅白のドラゴンフルーツの側面になります。
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こちらは、白いドラゴンフルーツ(白)とパッションフルーツの側面ですね。
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さらに回ると、パッションフルーツとパイナップルの側面になり、てっぺんにはマンゴーアイスが乗っています。
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また、人気のトロピカルフルーツ以外にも、ご覧のような「黒みつ・きな粉ぜんざい」という和風のアイスマウンテン(かき氷)も用意されています。
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多くの有名人が訪れる琉冰(リュウピン)のアイスマウンテンを、沖縄旅行の数ある思い出の一つに加えてみるのはいかかでしょうか
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恩納村仲泊1656-9(おんなの駅内)

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# by kokokara-message | 2012-03-24 09:23 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)

リアリティという孤独

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リアリティは、おそらくその原理からすると、関係性の構築を希求するものではなく、むしろ正反対の孤立を目指すことになってしまうものではないでしょうか。

つまり、自分が今見ている現象をいかに理解し、いかに総括するかは「主観」そのものであり、その「主観」がリアリティであるからです。

原理として、誰からも理解されない可能性が極めて高い夢のようなものが、リアリティということになりそうです。

このようにリアリティは孤立したものにもかかわらず、リアリティが他者との間に構築される間主観性として理解されることもあるようです。

要するに、リアリティとは自らと他者との間に構築する現実(関係性)のことということになります。

しかしながら、関係性はやがて変化していくものであり、リアリティとは遂行性を伴った暫定的な結節点でしかなく、万物流転していく泡沫のようなものということになります。

つまり、私たちにとっては自明なリアリティは孤立した夢幻であるとともに、連帯という関係性を求めたとしてもリアリティはうたかたの泡沫でしかないということになります。

リアリティとはまさに夢うつつの世界ということであるのかもしれません。

リアリティがうたかたの世界であるのなら、自らが信じるリアリティに執着するほど危険なことはなく、むしろ自らのリアリティと距離をとりながら、自らを観察し続ける諦観こそが、リアリティと対峙する適切な態度といえるのではないでしょうか。

不思議なことですが、自らのリアリティ(現実)は過信しない方がうまくいくということになります。

そして、自らを信じるも疑うもそれは動的なバランス感覚の結果が証明することになるように、とりわけリアリティ(現実感)は未来完了という転倒した形で実現するのがもっとも望ましいという、当たり前過ぎる結論になってしまいましたが、さていかがお考えでしょうか。

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# by kokokara-message | 2012-03-09 21:38 | 我流方法序説 | Trackback | Comments(0)

琉球茶房 あしびうなぁ

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世界遺産首里城は、琉球の歴史を知るうえで必ず押さえておかなければならないスポットのひとつといえます。

NHKでドラマ化され、また映画化もされた「テンペスト」は、昨年実際の首里城を舞台に、観光客のいない早朝の時間帯を利用して、撮影が決行されたとのことです。

また、首里城のほとんどは平成以降に復元されたものなのですが、王朝時代の建築様式やロケーションという理論的根拠を伴った忠実な復元がなされていることから、その普遍的価値は高いとされています。

文化とは人間が軽々にコントロールできる対象ではなく、あるがままをあるがままに伝承していくことに意味があると考えます。

畏怖の念を持ち歴史と伝統に向き合うことが、おそらく文化を伝承していくうえで忘れてはならない作法であると考えるのですが、さていかがでしょうか。

そして、かような歴史と伝統に向き合うために、うってつけの琉球料理の店が首里城のすぐ近くにあります。

「琉球茶房あしびうなぁ」は、首里城の城下町にあった琉球時代の仕官の旧宅をそのまま利用して食事処にしたものです。

「あしびうなぁ」とは人が集う庭という意味ですが、店内にはご覧のような素晴らしい琉球庭園が広がっています。
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そして、食事のメニューはご覧のとおりです。
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まずは、ふーちゃんぷる定食(840円)です。
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次に、こちらは、てびち煮付け定食(890円)です。
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てびちとは、ご存じのように豚足を甘辛く煮詰めた料理です。

てびちには、コラーゲンがたっぷり含まれています。
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室内席よりも庭が眺められる縁側の席に人気が集まるようです。

ただ、縁側は同時に喫煙席でもあるため、風情だけを堪能したいという人には、一長一短があるといえるかもしれません。

首里城から徒歩10分のロケーションにもかかわらず、手ごろな値段で本格的な沖縄料理と王朝時代の庭園が鑑賞できる琉球茶房あしびうなぁを、沖縄旅行の数ある思い出のひとつに選んでみるのはいかがでしょうか。

きっと、琉球文化の端緒になってくれるものと考えますが、さていかがでしょうか。

那覇市首里当蔵町2-13
098-884-0035

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# by kokokara-message | 2012-02-26 10:45 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)

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久しぶりのパンケーキの記事になります。

今回は、大阪のデープサウス、天王寺Assiette(アシェット)のパンケーキをご紹介します。

Assiette(アシェット)は、天王寺MIOプラザ館の二階にあります。

駅構内に面したその窓からは、待ち合わせする人やせわしなく行きかう人をさながらお芝居でも見物するように俯瞰できます。
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日常の自分から少し離れた視点で、日常のいつもの自分をじっと観察しているような、とても不思議な気分になります。

人はいつも当事者である必要はなく、時には当時者であることを止め、自分自身を振り返る時間が必要ではないでしょうか。

早速ですが、こちらがメイプルパンケーキ(550円)です。

そして、280円プラスでドリンクバーを付けることができます。
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パンケーキは、やや厚めの生地のものが2枚、その上にはたっぷりとホイップクリームが乗っています。
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また、トッピングのバニラアイスは別注文という店が多いのですが、Assiette(アシェット)ではもともとメニューに含まれています。
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コーヒは最近よく見かけるバイキング形式のドリップコーヒーです。

パンケーキには本格的なビターコーヒーとの組み合わせという人にとっては、Assiette(アシェット)のコーヒーは少し物足りなく感じるかもしれません。
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同じバイキング形式のコーヒーなら、以前にご紹介したロイヤルホストの方が、その味と品質では上回っているのではないでしょうか。

天王寺周辺は、かねてより、パンケーキを食する店が少なかったように思われます。

そのような中、駅改札から0分のロケーションで、しかもリーズナブルなパンケーキを食することができるAssiette(アシェット)を一度覗いてみるというのはいかがでしょうか。
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# by kokokara-message | 2012-02-18 11:25 | おいしいパンケーキ | Trackback | Comments(0)

大阪のディープサウス、天王寺といえば聖徳太子が建立した四天王寺ではないでしょうか。

四天王寺への参詣経路は、六代目笑福亭松鶴の「天王寺詣り」にもあるように、一心寺のある逢坂方面からアプローチをする、つまりは西門から参詣するという方法が一般的とされてきたようです。
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しかしながら、四天王寺は古代の仏教寺院の典型的な伽藍配置で建立されているように、南側の南大門が正面とされることになります。

つまり、四天王寺には西門から参詣する経路と南大門から参詣する二つの主要な経路が存在していたことになります。

そして、落語の「天王寺詣り」にもあるとおり、近世以降の庶民は西門からのアプローチするという参詣経路が主流になっていたのではないでしょうか。

このため、どちらかといえば南からのアプローチは、忘れ去られた感があるように思われます。

現在の南大門に向かう参詣路はどのようになっているのか、四天王寺界隈を歩いてみることにします。

まずは、四天王寺の南大門を出て、南側に下っていくと、すぐ右側には庚申堂(下の写真の右側の土塀)が見えてきます。

庚申堂の東側の道は、かっては庚申街道(こうしんかいどう)と呼ばれていたらしく、四天王寺南大門前を起点として、平野区長吉川辺町の方に南下し、古市街道(大阪府羽曳野市)へと合流していた模様です。

かってはにぎわったとされる四天王寺南大門からのこの参道も、今では多くの参詣者から忘れ去られてしまっているのかもしれません。
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庚申堂は古来より四天王寺の主要な寺院のひとつとされきた歴史があるようです。

これは仏教寺院である四天王寺と道教と深い関わりを持つ庚申堂が原初においてつながっていたことを伺わせる痕跡のひとつといえるのではないでしょうか。

さらに、庚申信仰の石像(上の写真)と聖徳太子が生まれた明日香に現存する石像群(下の写真、猿石など)は、その造形からの類似性が十分に指摘ができるところであると思われます。
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庚申堂の見ざる、聞かざる、言わざる。
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明日香村の吉備姫王墓に置かれている猿石。

そして、庚申堂を南下していくと、やがて参詣道は途絶え、JR天王寺駅の軌道敷地に突き当たることになります。

下の地図でも分かるように、四天王寺南大門から南下する参詣道は、JRの軌道敷地により南北に分断される形になっています。

ただし、参詣道の南端にあたるJRの軌道敷地の手前(東映ホテル裏側)は、ご覧のような古びた地下道への入口が設けられています。

この地下道は、JR軌道敷地により中断された参詣道を現代に作り直したものと推察され、もしそうであるなら古代の参詣道の面影を現代に伝える痕跡といえるのかもしれません。
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地下道の中は、ご覧のような様子です。
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そして、30メートルほどの地下道を通り抜けると、今後はJR軌道敷地の地上に架かる歩道橋に出ることになります。

わざわざこの位置に歩道橋が計画される意図を推察すれば、先の地下道と同様、この歩道橋が四天王寺参詣道の一部として利用されることを念頭に架橋されたと考えるのが自然ではないでしょうか。
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歩道橋を渡り終えると、その先(南側)には都ホテルに設置された地下入口が見えてきます。

そして、ここで再び、近鉄の軌道敷地によって参詣道が南北に分断される形になってしまいます。
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天王寺周辺は近代以降繁華街として発展してきましたが、この四天王寺参詣道のような古代の痕跡は、今でもところどころにその面影を残しているといえそうです。

四天王寺の建立時期(6世紀末)が、仏教思想が日本古来の思想の中に取り入れられ、政治的にも中央集権化が図られていく時機と重なっています。

このようなことから、四天王寺研究は日本の原型を知るための格好の手掛かりにもなるものと考えるのですが、さていかがでしょうか。

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# by kokokara-message | 2012-02-11 11:46 | 我流古代史(四天王寺編) | Trackback | Comments(0)

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グローバリゼーションとは、世界の情報化であり、資本主義化であり、世界通史からすれば、近代化の徹底ということになるのではないでしょうか。

グローバリゼーションは、言うまでもなく情報化や資本主義化により世界中の差異を平準化させていこうとする流れということになります。

ただし、グローバリゼーションによりフラット化される世界は、その差異の平準化が繰り返される度に社会の水準が低下していくという、つまりは底辺が見えなくなってしまう状況が続くことにもなるということです。

ところで、グローバリゼーションに対してコミュニタリアニズムという立場があります。

これはハーバード熱血教室のサンデル教授が依拠する立場と言えるのかもしれません。

もちろん、コミュニタリアニズムのいうコミュニティ(共同体)の中にも、グローバリゼーションと同様、差異を見つけては平準化させていく運動はあります。

しかしながら、コミュニティ(共同体)の中における平準化は、内部秩序と内部水準を維持することが目的となり、グローバリゼーションの世界では実感できない各人の足場でもある「底辺」を感じることがができます。

「底辺」という言い方が適切でないとしたら、共同体のセーフティ・ネットと言い換えてもいいのかもしれません。

つまり、グローバリゼーションとコミュニタリアニズムの相違点は、ともに平準化をその方向性としながらも、そこに「底辺」、つまりセーフティ・ネットがセットされているかどうかが相違点ということになりそうです。

先に示したように、グローバリゼーションが近代化の徹底(平準化の徹底)ということであるのなら、グローバリゼーションは世界の大きなトレンドであり、ここからは誰も逃れることができないといえるのではないでしょうか。

たとえ反グローバリゼーションの立場の反論であっても、それは差異の平準化というグローバリゼーションの言説を使用ことでしか、できない限界があるといえるのかもしれません。

ただし、グローバリゼーションとコミュニタリアニズムでは、平準化の方向性は異なっています。

前者は既存のコミュニティ(共同体)と外部世界を平準化させるのに対し、後者は既存のコミュニティを維持するための内部の平準化が中心になるということです。

そして、後者の平準化が既存のコミュニティ(共同体)を維持することを目的ということから、もともとコミュニティ(共同体)にセットされた足場(それが共同性ですね。)であるセーフティ・ネットを保存させることにもなるというわけです。

ここで、今一度セーフティ・ネットという言葉を言い換えるなら、それは生き延びるための方策ということになるのかもしれません。

つまり、そもそも底なしのグローバリゼーションの世界にセーフティ・ネットという足場を築こうとする営為が論理矛盾であり、生き延びるための理想の差異をグローバリゼーションの世界に求めるということは、ロマン主義(拝金主義?)と、あきらめるしかないようにも思われます。

従って、グローバリゼーションで生き延びるための方策は、ひとまずは自分の足場であるコミュニティ(共同体)の中に足場を築く、つまりは底辺であるセーフティ・ネットに気づくことから始めることしかないのではないでしょうか。

そして、今あるコミュニティ(共同体)に内在するセーフティ・ネットの意味や機能が理解できれば、おそらくグローバリゼーションの世界においてコミュニティ(共同体)が必要とされる意味にも気づくことになるのではないでしょうか。

さらに、コミュニティ(共同体)が生き延びる方ための足場であるとすれば、コミュニティ(共同体)の中のどのような差異を平準化し、どのような差異を温存していけばいいのかも見えてくるのかもしれません。

「同じであるからうまくいく」という発想は、グローバリゼーションからすると逆説的に聞こえることになるかもしれません。

しかしながら、先の見えない世界にあって、まずは生き延びなければならないことを優先するとしたら、コミュニティ(共同体)の中に旗をたてるような晴天型の芸当を演じるのではなく、むしろ悪天であっても生き延びられるような「同じであるからうまくいく」という消極的ともいえる方策が、、グローバリゼーションを生き抜く勇気ある選択であるようにも思えるのですが、さていかがでしょうか。

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# by kokokara-message | 2012-01-28 10:21 | 我流日本論 | Trackback | Comments(8)

沖縄に旅行すると、一日がとても長く、有意義な時間を過ごしたことを、あらためて実感することがあります。

昼間は那覇市外へとレンタカーで足を延ばし、午後は早い目にホテルに戻りシャワーを浴びて、夕方からは国際通りや美浜アメリカンビレッジに出かけて食事や買い物をする。

一日で都市と自然の魅力を満喫できる、南国リゾートならではの過ごし方といえるのではないでしょうか。
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ところで、夜の国際通りを歩いていていると、のどが渇いて冷たい物が食べたくなることがあります。

そのようなとき、国際通りの県庁側の一番端っこにある、パーラーわくたでマンゴーかき氷を食するというのはいかがでしょうか。

ご覧のように、やや粗めのかき氷の上には、キラキラとしたマンゴーが贅沢に乗っかっています。
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値段は400円です。

ボリュームはやや控えめですが、国際通りの相場からすれば、良心的な価格といえるのかもしれません。

千日でもご紹介したように、沖縄でかき氷といえばぜんざいのことを指します。

しかしながら、その一方で地元における根強い人気を集めているのが、このトロピカルムード満点なマンゴーかき氷といえます。

マンゴーかき氷は台湾のスイーツというイメージが強いですが、沖縄でも多くのスイーツ店がこの商品を扱い、贅沢なマンゴーの量を競っています。

沖縄のぜんざいのみならず、沖縄旅行の数ある思い出の一つとして、マンゴーかき氷を食してみるのはいかがでしょうか。

住所;那覇市松尾1-1-1
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# by kokokara-message | 2012-01-21 21:46 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)

今回は、那覇から国道58号線を本島西海岸に沿って北上し、恩納村にある道の駅にやってきました。
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このような揚げ物料理は、地方によって、かまぼこと呼ばれたり、てんぷらと呼ばれたりすることがあるようです。

そして、沖縄ではかまぼこと呼ばれています。

沖縄には、他の地方にはない、少し風変わりなかまぼこが存在します。

それは、下の写真にある「爆弾かまぼこ」(200円)です。

爆弾かまぼこは、ご覧のように、海苔を巻いたおにぎりの形をしています。
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そして、爆弾かまぼこを二つに割れば、炊き込みご飯(ジューシー)が現れることになります。

ご存じのとおり、沖縄では炊き込みご飯をジューシーと呼んでいます。

かまぼこをおかずにして、炊き込みご飯(ジューシー)を食べているような感覚です。

また、爆弾かまぼこの中身のご飯は、ジューシー以外にも、ピリ辛のタコライスなどがあるようです。
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そして、おにぎり以外にも、たまご巻(150円)と呼ばれるかまぼこがあります。

うずらの卵とかもぼこの組み合わせは珍しくはありませんが、まるまる鶏卵一個が入っているのには驚きますす。
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大変ボリュームのある沖縄のかまぼこは、小腹がすいた時の非常食や携帯食として最適です。

沖縄旅行の快適なドライブのお伴に、珍味のB級グルメ「爆弾かまぼこ」を持参されるのはいかがでしょうか。

場所;恩納村仲泊1656-9(おんなの駅内)

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# by kokokara-message | 2012-01-13 23:25 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)