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「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」って聴いたことがあるでしょうか。

「Honolulu City Lights」とは、オアフ島在住のケオラ・ビーマーが作詞作曲したハワイアン・トラデショナルの名曲で、クリスマスの季節になると、ハワイのコヒーハウスやショッピングセンターなどでよく耳にします。

スローなテンポでゆったりとしたこの名曲は、日本では杉山清貴がカバーしており、ミニアルバム「Honolulu City Lights」が1997年にリリースされています。

初めてケオラ・ビーマーの「Honolulu City Lights」を聴いたとき、おそらく山側か、あるいは海側から見たホノルルの街の夜景を歌った曲ではないかと勝手に思っていました。

また、クリスチャン・リース・ラッセンの「ワイキキロマンス」という版画を知っている人であれば、「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」という言葉の響きから、ワイキキのサンセットの光景を思い浮かべることになったとしても、決して不思議なことではないと思われます。

しかしながら、実際の「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」はラッセンの版画のようにロマンチックなものでなく、むしろ華やかで賑やかなイベント(催し)といえそうです。

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「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」とは、ハワイ州オアフ島ホノルル市庁舎周辺で12月初めから約1ヶ月点灯されるクリスマスイルミネーションのことです。

点灯式には盛大なパレードも行われ、サンクスギビングデーが終った後クリスマスまでの約1ヶ月間、ホノルルは「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」によって華麗にイルミネーションされることになります。

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そもそも、ハワイに暮らす人のクリスマスは、家族だけで自宅で迎えるという過ごし方が一般的であるらしく、自宅にあるクリスマスツリーの根元にひっそりとプレゼントが置かれているという、実に質素で厳かな祝祭とされています。

一方、ホノルルの街を歩いていると、多くのコンドミニアムのラナイなどには、煌びやかに飾られたイルミネーションが道行く人たちを楽しませているという光景に出くわすことになります。

そして、ホノルル市庁舎周辺に飾り付けられた「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」もこれら街中のイルミネーションと同じように、ホノルルのクリスマスシーズンを装飾するものとして位置づけられています。

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ではなぜ、クリスマスの装飾が自宅の内部では厳粛で質素となる一方、外部に向けてのイルミネーションは華美なまでに施すことになるのでしょうか。

ハワイ州は、いうまでもなくアメリカ合衆国五十番目の州であって、英米系キリスト教文化圏(プロテスタント)の中に属しています。

キリスト教が愛の宗教と言われるように、キリスト教では隣人愛の実践としての「無償の贈与」が求められることになります。

その一方で、プロテスタンティズムの倫理によると、「世俗内禁欲」として、質素倹約が徳目とされることになります。(現在のアメリカ人が質素倹約をどの程度徳目と考えているかは定かではありません。)

このことから、外面への華やかさの「贈与」と内面の質素さの「禁欲」という非対称性な教えが同時に存在することになります。

しかし、これはアメリカ人の人格がふたつに分裂してしまっているからではありません。

プロテスタンティズムにおいては、「世俗内禁欲」として、世俗の諸活動に携わることが禁止されているため、ただひたすら宗教活動としての経済活動(天職と隣人愛)が実践されることになります。

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つまり、「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」やラナイを飾るイルミネーションの持つ意味は、道行く知らない人にも無償で装飾を楽しんでもらおうとする「贈与」の経済活動(隣人愛の実践)ということになります。

したがって、「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」やラナイを飾るイルミネーションは、キリスト教の教えに基づいた行動ということになり、宗教活動そのものということになります。

このことからすると、「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」のようなイベント(催し)が、ホノルル市庁舎という「公の場」で実施されていることには注目をする必要があると思われます。

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つまり、アメリカ合衆国という国家は、政治と宗教が十分に分離されていない、むしろ政教一致の国家ということになるのではないでしょうか。

アメリカ合衆国という国家は、オバマ大統領の就任によって、WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の伝統が崩れる方向にあるように思われます。

しかしながら、アメリカ合衆国という国家が建国時に初期設定したプロテスタンティズムの倫理と精神は、アメリカ合衆国に危機が生じると必ず回帰されてくるように、おそらくアメリカ合衆国の起源そのものになっていると思われます。

これは、約250年前のアメリカ合衆国の建国の精神が、今でも変わらず生き続けている証ということになるのかもしれません。

したがって、「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」は、無償の贈与という宗教活動だけではなく、アメリカ建国の精神そのもののの体現ということになります。

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「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」は、「アメリカン・スピリッツ」でもある無償の贈与(プレゼント)の実践ということでした。

ただ、無償の贈与(プレゼント)という行為は、アメリカ合衆国を代表とするキリスト教文化圏の国家だけで実践されている特殊な習慣ではありません。

日本でも、茶の湯に見られるような「もてなしの心」というホスピタリティが存在し、また日常でも土産や中元、歳暮などのプレゼントを贈る習慣や文化が存在しています。

さらに、無償の贈与(プレゼント)について、文化人類学者のレヴィ=ストロースは人間の類的本質が「贈与」であると指摘しています。

つまり、レヴィ=ストロースの言うところの「贈与」は、まず自分から差し出すこと(無償の贈与)によってしか、自分が欲するものを手に入れることは出来ない、という因果関係に人間の類的本質があるということです。

このことからすると、市場経済の等価交換は、静的で閉じた関係ということになります。(貨幣を介していても、等価交換はそのたびに完結します。)

これに対して、「贈与」は動的で外に開かれた関係(過剰や過小であったりと等価ではありません)ということになり、そのアンバランスがコミュニケーション(交換)を促進させ、経済活動を活発にさせることになります。

「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」やラナイを飾るイルミネーションは、宗教活動であってアメリカの精神ということでしたが、文化人類学的の観点からは、人間の類的本質であるコミュニケーション(交換)を促進させるための「贈与」(プレゼント)として一般化(普遍化)できるのかもしれません。

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ところで、あわただしい年の瀬を過ごしている私たちが、夜の街角でクリスマスイルミネーションを眼にしたとき、ほんのつかの間でも気持ちが安らぐという経験をしたことはないでしょうか。

日本は、言うまでもなくクリスマスを祝祭する習慣のキリスト教文化圏の国ではありません。

また、欧米人のように強い自我に基づいた個人主義と、それに起因する頑強な思想や強固な論理を持ち合わせているわけでもありません。

どちらかといえば、柔らかで移ろいやすい感情の上に築かれているのが日本の文化ではないでしょうか。

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頑強な思想や強固な論理からではなく、柔らかで移ろいやすい感情の上に安らぎを覚えるのだとしたら、それは日本人が「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」やクリスマスイルミネーションを、「和み」や「もてなしの心」という日本人の感覚で咀嚼し、理解し、受け入れているためではないでしょうか。

つまり、宗教活動としての厳粛性や、一般化された「贈与」という思想性ではなく、ことの是非は別にして、クリスマスイルミネーションを日本固有の文化の中で再編集することによって、日本人は「安らぎ」「安らがされる」という感覚を得ているのではないでしょうか。

そして、これはとても大切なことですが、「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」やクリスマスイルミネーションだけに限らず、あらゆる社会的な現象にその意味と価値を与えているのは、一義的には自分自身(個人の自由)になるということです。

つまり、あらゆる社会的な現象には、個人や個人が所属する文化の数だけ、多種で多様な文脈や解釈が存在することになるというわけです。

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従って、社会的な現象の持つ意味や価値も多種多様ということになり、それらもやがては移ろい変化していくという刹那的なものの見方は、おそらく日本人独自の感性に根差した特殊性ではなく、むしろ誰もが受け入れざるを得ない(それでいていつも見落としている)「万物流転」という普遍的真理ではないかと思われます。

さて、もうすぐクリスマスです。

東西文化と宗教の垣根を越えた「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」と街角のクリスマスイルミネーションは、皆様にとってどのような意味と解釈になるのでしょうか。

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by kokokara-message | 2015-12-03 22:30 | ホノルル・シティ・ライツ | Trackback | Comments(0)

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「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」は、宗教活動としてだけではなく、アメリカの精神そのものということでした。

ただ、無償の贈与(プレゼント)という行為は、アメリカというキリスト教文化圏だけで実践されている特殊な習慣でないということです。

日本でも、茶の湯に見られるような「もてなしの心」というホスピタリティが存在します。

さらに、文化人類学者のレヴィ=ストロースによれば、人間の類的本質が「贈与」であるということになります。

つまり、まず自分から差し出すこと(無償の贈与)によってしか、自分が欲するものを手に入れることは出来ないということが「贈与」の本質とされるようです。

このことからすると、等価交換のような静的で閉じた関係に対して、「贈与」は動的で外に開かれた関係にあり、コミュニケーション(交換)を促進させる機能を持った経済活動といえそうです。

従って、「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」やラナイを飾るイルミネーションは、単に宗教活動として見るのではなく、文化人類学的の観点からコミュニケーション(交換)を促進させる「贈与」(プレゼント)として一般化(普遍化)するということも可能ではないでしょうか。

ところで、不況の年の瀬を過ごす私たちが、夜の街でクリスマスイルミネーションを目にしたとき、ほんの少しであっても安らぎを覚えるということはないでしょうか。

日本は、もちろんキリスト教文化圏ではありません。

また、英米のように発達した論理や強固な思想を持ち合わせているわけでもありません。

どちらかといえば、感情という移ろいやすい感覚のうえに日本の文化が築かれているといえるのかもしれません。

にもかかわらず、安らぎを覚えるものがあるとしたら、それは「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」や街中で見られるイルミネーションを、「和み」や「もてなしの心」という日本的感覚で受け取っているからではないでしょうか。

つまり、宗教活動としての厳粛性や、一般化された「贈与」という思想性ではなく、ことの是非は別にして、日本的な文脈に取り込むという方法で、イルミネーションを眺め楽しんでいるということではないでしょうか。

社会的現象に対し意味と価値を与えるのは、あくまでも一義的には自分自身です。

そして、あらゆる社会的現象には、人や人が所属する文化の数だけ多様な文脈や解釈が存在するということになります。

従って、社会的現象の持つ意味が多様に存在し、やがて変化していくという見方も、日本人だけの感性に根差したことではなく、誰もが受け入れざるを得ない万物流転という真実にあると思われます。

さて、もうすぐクリスマスです。

皆様は「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」の受けとめ方とその解釈について、いかがお考えになるでしょうか。
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by kokokara-message | 2013-12-07 22:10 | ホノルル・シティ・ライツ | Trackback | Comments(0)

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ではなぜ、クリスマスの装飾が自宅の内部では質素となる一方で、外部に向けてのイルミネーションは華美なまでに施すということになるのでしょうか。

ハワイ州は、いうまでもなくアメリカ合衆国五十番目の州であって、英米系キリスト教文化圏(プロテスタント)の中に属しています。

キリスト教が愛の宗教といわれるように、キリスト教では隣人愛の実践として無償の贈与が求められることになります。

その一方で、プロテスタンティズムの倫理によると、「世俗内禁欲」として、質素倹約が徳目とされることになります。(現在のアメリカ人がどの程度までを徳目と考えているかは定かではありません)

このことから、外面への華やかさである「贈与」と内面の質素さである「禁欲」という非対称性が同時に存在することになります。

しかし、これはアメリカ人の人格がふたつに分裂しているということではありません。

プロテスタンティズムにおいては、「世俗内禁欲」として、世俗の諸活動にたずさわることが禁止されているために、ただひたすら宗教活動としての経済活動(天職と隣人愛の実践)がなされることになります。

つまり、「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」やラナイを飾るイルミネーションの持つ意味は、道行く人に無償で装飾を楽しんでもらおうとする「贈与」の経済活動(隣人愛の実践)ということになります。

「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」やラナイを飾るイルミネーションは、キリスト教の教えに基づいた行動ということであり、宗教活動そのものということになります。

このことからすると、「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」のような催しが、ホノルル市庁舎という「公の場」で実施されていることについては注目をする必要があります。

つまり、アメリカという国家は、政治と宗教の分離が十分に図られていない政教一致国家ということになるのではないでしょうか。

アメリカという国家は、オバマ大統領の就任によって、WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)が少しずつ崩れる傾向にあるように思われます。

しかしながら、アメリカが建国時に初期設定したプロテスタンティズムの倫理と精神だけは、アメリカに危機が生じると必ず回帰されるように、アメリカの起源そのものということになりそうです。

これは、アメリカの建国の精神が今でも生き続けているということであるのかもしれません。

「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」の持つ公共性は、宗教活動としてだけではなく、アメリカ建国の精神そのもののを体現することでもありそうです。

アメリカという国家は、建国の当時からずっと宗教国家であり続けているということではないでしょうか。
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by kokokara-message | 2013-12-03 21:39 | ホノルル・シティ・ライツ | Trackback | Comments(0)

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「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」って聴いたことがあるでしょうか。

「Honolulu City Lights」とは、オアフ島在住のケオラ・ビーマーが作詞作曲したハワイアン・トラデショナルの名曲で、クリスマスの季節になると、ハワイのコヒーハウスやショッピングセンターなどでよく耳にする曲です。

スローなテンポでゆったりとしたこの名曲は、日本では杉山清貴がカバーしており、ミニアルバム「Honolulu City Lights」が1997年にリリースされています。

はじめて「Honolulu City Lights」を聴いたとき、おそらく山側か、あるいは海側から見たホノルルの街の夜景を歌った曲ではないかと勝手に思っていました。

また、クリスチャン・リース・ラッセンの「ワイキキロマンス」という版画を知っている人であれば、「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」という言葉の響きから、ワイキキのサンセットの光景を思い浮かべることになったとしても、決して不思議なことではないと思われます。

しかしながら、実際の「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」はラッセンの版画のようにロマンチックなものではなく、むしろにぎやかな催しといえそうです。

「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」とは、ハワイ州オアフ島ホノルル市庁舎周辺で12月初めから約1ヶ月点灯されるクリスマスイルミネーションのことをさします。

点灯式にはパレードも行われる模様で、11月末のサンクスギビングデーが終った後、クリスマスまでの約1ヶ月の間、ホノルルの街を「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」が装飾するということになります。

今回「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」を訪れたのは、2001年以来2回目のことです。

そもそも、ハワイのクリスマスは、家族だけで、自宅で迎えるという習慣があるために、自宅にはクリスマスツリーとプレゼントだけがひっそりと飾りつけられるという、実に質素で厳かな催しとされています。

一方、ホノルルの街を歩いていると、多くのコンドミニアムのラナイからは、煌びやかに飾られたイルミネーションが輝く光景に出くわすということになります。

そして、ホノルル市庁舎周辺で飾り付けられた「Honolulu City Lights(ホノルル・シティライツ)」は、これと同じようにホノルルの街を装飾するクリスマスイルミネーションの光景として位置づけられることになります。
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by kokokara-message | 2013-11-30 08:36 | ホノルル・シティ・ライツ | Trackback | Comments(0)