ザ・バスの旅/セネター・フォング・プランテーション(9)
2012年 09月 04日
下の写真は、セネター・フォング・プランテーションに咲いていたレッドジンジャーです。
しかしながら、日常生活の中では、何が起こっているのか分からないという事態に出くわすという経験をすることがあると思います。
つまり、自分の経験知(暗黙知)の引き出しだけでは、前後の文脈が理解できないという事態に遭遇してしまっているということになります。
これは、必ずしも個人の能力が劣っているために生じている現象ではないということです。
普通このような場合には、自分も含めた人と人の関係性(文脈)をじっと観察するということになります。
つまり、その言語ゲーム(自分が理解できていない環境)を規定しているメタルールが理解できるようになるまでじっと待つということになります。
現在と比べると、昔の人間関係は小さな世間の中だけで安定させることができたため、とりあえず自分の身の回りの世間のルールに合わせておけば、安心安全に暮らすこともできたようです。
しかしながら、現在は、このような世間が、複層的に重なり合あって、それぞれの利害が対立する状況になっているということも珍しいことではありません。
また、決まっているように見えるルールであっても、暫定的であるということが一般的であり、現在は極めて早い速度でルールの書き換えが行われている状況にあるといえます。
従って、どのような立場にあったとしても、その経験知(暗黙知)だけでは理解できないような文脈や関係性に遭遇するということはありうるということになります。
つまり、自分がルールと確信しているものが、もはやルールではないという事態がいつ発生してもおかしくはないという状況に投げ出されているということになります。
このような断層があまりにも大きい場合には、自分がどこにいるのか(立ち位置)さえ、分からなくなってしまうことがあるかもしれません。
現代社会が抱える多くの不可解な社会現象は、このような自分の立ち位置の喪失が原因となって発生することになっているのではないでしょうか。
自分が誰であるのか分からないという、アイデンティティ喪失による統合失調症型の病理現象といえるのかもしれません。
現代社会は、決まった答えがないということがその本質になっていますが、だからといって自分の頭で考えたことが必ずしも答えになるとは限らないと留保しておくことも、もう一方の本質となっているということを、あわせて理解しておく必要があるのではないでしょうか。
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