茶の湯と倒錯文化(6)
2009年 12月 29日
このような両義性は、侘び茶のみならず下剋上の戦国大名にも内在していた心性ということができます。
侘び茶と戦国大名が結びつくのは、おそらく侘び茶に内在していたコンプレックス(葛藤)が戦国大名のコンプレックス(葛藤)に共鳴したと考えられます。
これはユング心理学のコンプレックス仮説である「コンプレックス(葛藤)はコンプレックス(葛藤)に共鳴する」にあてはまります。
むろん、侘び茶に内在するコンプレックスが形成されるのは、その創始者である武野紹鴎や千利休が自分自身のコンプレックス(葛藤)を抑圧したためということです。
そして、松永久秀や織田信長の抱いたコンプレックスは、下剋上という時代精神によって形成されたものですが、結果として武野紹鴎や千利休の持つコンプレックスに対し共鳴していくという形になったのです。
今一度整理しておきます。
侘び茶においては、唐物のような豪華で質の良い茶器は重要とはされずに、むしろ実用品として大量に生産されることになった形のいびつな茶器が、高い価値があるものとされることになりました。
また、漁師が使用する魚籠などの竹細工が、伝統的な高品質の磁器などよりも価値のあるものとして茶席に飾られることになりました。
このような倒錯した文化は、確かに既成の価値観にとらわれない革新的なものの見方への飛躍ということがいえるのかもしれません。
しかしながら、旧来の価値が創造されるまでのプロセスを十分に評価したものとはいえそうにはありません。
要するに、誰もが共有できる価値(普遍性)にはなっていないということです。
従って、侘び茶の持つ倒錯的価値とは、選定する者の恣意的な評価基準に依拠することになってしまうため、どうしても曖昧な価値基準が残ってしまうことになります。
つまり、侘び茶がなぜ素晴らしいのか、なぜ美しいのかという美意識が、恣意性を帯びたものになってしまうということです。
これは、侘び茶の美意識が、当時の日本人の自然な感覚からすると、かなりずれたものになっていることを推測させます。
おそらく当時の日本人の標準的な価値基準(文化)ではなかったといえそうです。
このことからすると、草創期の侘び茶は、倒錯した美意識を共有できるような限定された範囲において成立していた特殊な文化(価値観)ということになるのではないでしょうか。
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