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先の見えない時代にあって、自分の求める生活や価値を明確にしておくことは大切なことです。自分と環境との関係性を考え、欲望をほどよく制御するための心と体の癒しのメッセージです。


by 逍遥
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グローバリズムとナショナリズム~英国のEU離脱とは何か(再掲)

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人口減少社会におけるグローバリズムとは、いったい何を意味するのでしょうか。

また、人口減少社会におけるナショナリズムとは、いったい何を意味するのでしょうか。

グローバリズムとは、英米を中心とした新自由主義の普遍化(標準化)をさすことはいうまでもありません。

そして、その内実は、資本主義と民主主義の徹底であり、真逆のようですが、近代国民国家システムの徹底ということになりそうです。

奇しくも1989年のベルリンの壁の崩壊と新自由主義の隆盛の時期は一致しています。

また、その前哨戦であったソ連ゴルバチョフのペレストロイカと米国レーガン・英国サッチャーのマネタリズムは、近代国民国家システムの行く末を予言していたと言えるのではないでしょうか。

ところで、今から150年以上前、近代国民国家というものが成立した当時、資本主義の生産手段は、土地、労働力、資本とされていました。

土地とは、人間の生産活動で創出することのできない水や空気などを含めた概念といえます。

そして、当時のこれらの生産手段は、一国民国家の中でのみ移動が可能とされていました。

しかしながら、資本主義の原理は、これらの生産手段から差異を創出することで駆動することになります。

このため、資本主義拡大のためには、一国民国家のみならず、植民地主義という軍事力を背景とした新たな差異の獲得に乗り出さなければならない時期もありました。

しかしながら、現在では、グローバリゼーション(国際化・情報化)の進展から、軍事力を背景とせずとも、いとも簡単に特定の生産手段が世界中を移動することが可能となっています。

ただ、現在においても、土地という生産手段は移動しないという前提に変わりはありません。

また、労働力は、労働者の短期の移動は可能であっても、国籍、文化、言語の障壁から、長期の移動は難しいとされています。

ご存知のように、長期の移動がもたらす「移民」問題の功罪については、枚挙にいとまがありません。

そして、先日の英国EU離脱の結果は、長期の移動がもたらした「移民」問題とダイレクトにつながっているのは言うまでもありません。

従って、各国の過去の経験則からしますと、実際にグローバルな展開が可能な生産手段は、資本(金融)とそれに伴う技術や情報に限られてくるということになります。

資本(金融)とは、端的に言えば貨幣(お金)のことであって、多彩な戦略によって、多様な世界展開が可能となります。

そして、概念上は人間の生産活動では創出できない鉱物資源も、金融商品として見るのなら、資本として世界展開することは可能です。

情報はと言うと、インターネットによって瞬時に移転し、グローバル化(標準化)が可能であることは言うまでもないことです。

また、技術は情報ほど即時性はないものの、数年単位で移転し、グローバル化(標準化)していくことになります。

蛇足ながら申し上げると、差異を求める資本主義の原理では、資本や技術、情報という生産手段の移転が可能となるのは、あくまでグローバル化した世界に未だ差異が存在しているからということになります。

つまり、各国や各地域間に社会経済的な格差が存在していることが前提になっています。

このため、それらの格差(差異)が消滅することになれば、論理的には世界中の資本主義の展開は終結となり、世界中がフラット化(標準化)してしまうことになります。

つまり、グローバリぜーション(国際化)の結末は、世界中のフラット化(標準化)ということになります。

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ところで、生産手段の中でも、土地と労働力は移転が難しいということでした。

また、移転可能とされている資本や技術、情報も、その差異(水位差)が数年間で平準化されてしまえば、資本主義の展開の原理となった差異性は期間限定のバブルの源泉でしかなかったことになります。

そして、これからの日本の社会は、有史以来増加し続けた人口が急激に減少する社会であるとされています。

また、これからの日本の社会には、高度経済成長を支えたような差異性をもった(低賃金)労働者が、自然発生的に生まれてくるとは考えられない状況にあるということです。

このため「移民」問題は日本の社会でも議論の俎上に上ることになりますが、労働者の長期の移動がもたらす功罪については先にも申し上げたところです。

したがって、労働者の長期の移動、つまり「移民」受け入れが難しいとしたら、今後の日本の資本主義のあり方は、どのような方向に進んでいけば良いのでしょうか。

おそらく、資本や技術、情報の差異を原理とした期間限定のバブルを生み出すグローバリズム(国際化)ではなく、それとは真逆の一国内のナショナリズムを基軸とした差異の平準化に向かう近代国民国家の資本主義システムが重要視されることになるのではないでしょうか。

ここで言うナショナリズムとは「愛国心」のことです。

ナショナリズムは、日本と言う国民国家を、社会経済的に平準化していく方向性にありものと思われます。

つまり、資本主義が差異性を前提としたシステムである以上、革新的なイノベーションでもない限り、今ある土地(国土)と将来の労働力人口(国民)は自明のものとなり、その中から差異性を創出していくしかないということになります。

少し言い方を替えるとすれば、将来に向い日本国内に存在している差異性をすべて平準化してしまうということが、今後の日本の資本主義の経済システムを駆動させる源泉になるということです。

少し分かりにくいかもしれません。

つまり、日本の経済成長(資本主義経済システム)を駆動させるためには、日本の社会に未だ残存してる差異性を掘り起こし、それらを源泉にするしかないということです。

具体的には、男女共同参画社会の推進や社会保障(社会保険や社会福祉)の普遍化を図ることで、新たな差異性を創出することが考えられるのではないでしょうか。

要するに、人口減少社会という新たな差異の創出が極めて難しい環境にあっても、今あるの差異性を平準化していくという方向性であるのなら、資本主義システムの原理にも合致して、中長期的に見て具体的かつ現実的な展開が見込まれるのではないかということです。

そして、この場合日本の社会の差異性を掘り起すことだけでは十分ではなく、国内においては所得・資産の再分配機能の賦活化、そして国際的にはタックス・ヘブン等への世界協調的な取り組みが同時進行して行くことが必須になると考えられます。

大変困難な政策ではありますが・・・。

ところで、ナショナリズム(愛国心)というと、第二次世界大戦中の日本の海外への覇権(植民地主義)を想起される方も多いのではないでしょうか。

しかしながら、海外への覇権主義という側面だけを捉えれば、それは区分としてはナショナリズムではなく、グローバリズムになると思われます。

また、ナショナリズム(愛国心)というと、国内におけるマジョリテイ(多数派)からのパターナリズム(上から目線)として受け取られてしまうかもしれません。

しかしながら、ナショナリズム(愛国心)とは、必ずしもマイノリティ(少数派)を日本人の境界から排外する狭隘な方向性を持ったものではないということです。

なぜなら、日本の近代史を振り返っても、原理として国民国家の幻想性ゆえに、日本人の境界線は揺れ動き、日本民族と日本の国土は拡大と収縮を繰り返してきた歴史があるからです。

従って、今ある日本人の境界(国民国家)はあくまで暫定的なものでしかなく、したがって将来も現状のまま同じ境界線(国民国家)であり続ける保障などないということになります。

むしろ、国民国家のマジョリテイ(多数派)が、国民国家のマイノリティ(少数派)を穏やかに社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)していくという方向性が求められるのではないでしょうか。

そして、一般論として生産手段である労働力のグローバル化は岐路に立たされており、これ以上の展開が難しいとなれば、それは日本から海外への展開以上に、日本への労働者の長期の移動、つまり「移民」の受け入れが困難という事態になってしまうからです。

日本の総人口(労働力人口)が減少していく中で、しかも「移民」の受け入れが困難で、なおかつ生産手段の労働力に基軸を置いた政策を採るとしたら、いったいどのような展望になるのでしょうか。

おそらく、金融資本主義が引き起こす幻想的な差異性を原理とするグローバリズムではなく、それとは真逆な国民国家を同化して平準化していくナショナリズム(愛国心)こそが、日本の中長期的なあるべき姿を構想する(再構築する)ための原動力になるのではないかと思われます。

日本人口の減少は避けがたい与件ですが、マジョリテイ(多数派)がマイノリティ(少数派)を内包し日本社会を平準化していく方向にあるのならば、ナショナリズム(愛国心)を基軸とした資本主義システムが社会的格差で混迷する日本という国民国家を、自己コントロールが可能な範囲にとどめ置くこともできるようになるのではないでしょうか。

したがって、今後の日本は幻想的な金融資本主義に依拠した不安定な「経済成長優先型社会」ではなく、むしろ低成長であっても平準化を目指すがゆえに労働力の差異性に基軸を置くことができる「定常性(恒常性)が維持できる社会(定常型社会)」を目指すことになると思われます。

少し無理やりな結論になってしまいました。

グローバリズムではなく、ナショナリズム(愛国心)こそが、平準化志向にある資本主義システムを駆動させることによって、その結果国民国家内の経済格差を比較的小さく、相対的に平等と言える「定常型社会」を実現する原理(思想)になるのではないかと勝手に思っているのですが、さていかがなものでしょうか。

【蛇足ながら、終わりに】

グローバリズムに対応する概念は、一般的にはローカリズムであると思われます。

しかしながら、暫定的ではあっても国民国家を既定のものとするのなら、歴史、民族、言語、文化等による細分化プログラムが組み込まれたローカリズムは、グローバリズム以上に国民国家の枠組みを根底から揺るがすものになる可能性があると思われます。

つまり、両端にグローバリズムとローカリズムがあって、その真ん中に当たり(中庸)にナショナリズムがあるのではないかということです。

したがって、両端のグローバリズムとローカリズムが国民国家を不安定にさせる思想とするのなら、ナショナリズムは国民国家を社会文化的に安定させる保守に当たる思想ではないかと勝手に考えているのですが、さていかがでしょうか。

(おわり)

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by kokokara-message | 2016-06-26 08:52 | 我流日本論