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先の見えない時代にあって、自分の求める生活や価値を明確にしておくことは大切なことです。自分と環境との関係性を考え、欲望をほどよく制御するための心と体の癒しのメッセージです。


by 逍遥
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コンステレーション(全編)


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今から十年以上前になるでしょうか。

私は、ふたつの「コンステレーション」に出会うという経験をしました。

ひとつは、河合隼雄氏のユング心理学におけるコンステレーションで、「布置」という意味で使用されています。


もうひとつは、腕時計のコンステレーションで、オメガのコレクションのひとつです。


ほぼ同時期に、二つのコンステレーションを知ることとなり、二つのコンステレーションがその後の私のものの見方に大きな影響を与えていくことになります。


腕時計のコンステレーションは、そのときまだ縁がなかったのか、いったんは私の記憶から遠ざかっていくことになります。


しかしながら、河合隼雄氏のコンステレーションは、ユング心理学における重要なキーワードとして私の記憶に強く残ることとなります。


ユング心理学者の河合隼雄氏は、日本にユング心理学を紹介するにあたって、三つのCを重視したとその著作で記述されていたことを記憶しております。


1番目がコミュニケーションのC、2番目がコミットのC、3番目がコンステレーションのCということです。


コミュニケーション(交換)とコミット(関わり)は、日常においてもよく使用される言葉といえますが、コンステレーション(布置)はユング心理学で使用される専門用語です。


コンステレーションとは、ある原因と結果が存在する場合に、二つの関係を線型の因果律で直接結びつけるのではなく、様々な事柄の布置(配置)から全体像を読む(把握する)というものの見方です。

少し分かりにくいかもしれませんが・・・。


また、ユング心理学は、共時的現象(シンクロ二シティ)と呼ばれる、意味のある偶然の一致という一見オカルト的とも思える要素を含んだ学問体系になっています。


意味のある偶然の一致(共時的現象)とは、たとえば、突然部屋に虫が飛び込んできたときに、電話が鳴り出し、電話で親の死が告げられたというとても不思議な体験のことです。


おそらく似たような体験は誰にでもあると思われますが、それが単に偶然にすぎなかったのか、それとも意味のある偶然の一致であったのかは、最後まではっきりとしないというのが正直な感想ではないでしょうか。


河合隼雄氏によれば、ユング心理学を日本に紹介するにあたって、心理療法の手法に共時的現象(シンクロ二シティ)を導入することが、科学的ではなく、オカルト的と受け取られてしまうことへの強いためらいがあったということです。

しかしながら、ユング心理学では目の前の現象を理解する方法としてコンステレーションを読むことがたいへん重要であるため、意味のある偶然の一致という一見オカルト的な共時的現象(シンクロ二シティ)が学問体系の中に組み込まれていくことになります。


かようなご縁もあってか、その後は河合隼雄氏の著書を愛読することになったわけでしたが、残念なことに氏は2007年7月にご逝去されます。


氏が文化庁長官在任中に病に倒れられるきっかけとなった高松塚古墳に纏わる文化庁の一連の経緯には、古代史をこよなく愛する者として大変心痛むものがありました。

氏のユング心理学の枠を超えた偉大な功績に心から感謝するとともに、ご冥福をお祈りします。


そして、河合隼雄氏がご逝去された同じ年の夏に、私の記憶からいったんは遠ざかっていたもう一つのコンステレーションが、再び私の記憶に蘇えってくることになります。


オメガのコンステレーションです。

オメガのコンステレーションとはようやくご縁があってか、その年の秋に少し無理をしてやっと購入することができました。


コンステレーションという言葉には、ユング心理学の全体像を読む意味の「布置」以外にも、天体の星座の意味があります。


オメガのコレクションのひとつのコンステレーションは、この天体の星座をモチーフとしてデザインされた腕時計といえます。


時計の裏に刻印されグリニッジ天文台のイラストは、まるでオメガのコンステレーションが時計の標準であることを主張しているかのようです。


私にとってのコンステレーションは、ユング心理学の専門用語であるとともに、オメガの時計のコレクションの名称でもあったということです。


そして、私と二つのコンステレーションとの出会いが、そもそも意味のある偶然の一致とするのなら、それは科学ではなく、やはり文学(ロマン)ということになってしまうのかもしれません。


つまり、二つのコンステレーションとの出会いは、私が描いた(創造した)物語ということであって、私だけのリアリティ(現実)ということになるということです。


しかしながら、二つのコンステレーションの物語は、その後私が生きていくうえでとても重要な意味と価値を与えてくれることになりました。


私にとってのコンステレーションは、腕時計の名称であるとともに、天体の星座であって、ユング心理学の専門用語でもある、そしてなによりもこれら全体を含んだ「布置」になっているということです。


おそらく、意味のある偶然の一致という一見オカルト的と思えるような不思議な現象は、誰にでも身近なところで起こっていることかもしれません。


ただ、そのような不思議な現象に出くわしても、それにどのような意味と価値を見出すかは別なことで、それを読み解くためには少し異なった視点が必要とされると思われます。


つまり、意味のある偶然の一致をオカルト体験で済ませてしまうのではなく、そこに意味と価値を見出すためには、外部に開かれた態度(オープンマインド)で臨むことが必要になるということです。

コンステレーションを読むとは、外部に開かれた態度(オープンマインド)で、目の前の現象に潜んでいる関係性や法則性を見つけ出す作業ではないかと思われます。


そして、開かれた態度(オープンマインド)で臨むということが、自分の思考のフレームワークを柔軟にし、自分が見える風景(自分の視点)の位相を変えてしまうことになります。


例えば、「コンステレーション」の全体像を読む(把握する)ということと、夜空を見上げて星座を探し出すということとは、どちらも「物語」を語るという点では似た関係にあると思われます。

ユング心理学とオメガの腕時計、心理学の布置と天体の星座、そして2007年の離別と再生という、私にとっての意味のある偶然の一致が私自身のコンステレーション(物語)を形成していたということになりそうです。


そして、2007年の離別は先にも記述しましたユング心理学者の河合隼雄氏のご逝去のことですが、では私にとっての2007年の再生とは何であったのか。

私事ながら、離別と再生の意味のある偶然の一致があった2007年は、私にとって結婚15年目という有難い節目の年(再生)でもあったということです。


従って、オメガのコンステレーションは、水晶婚の記念(15年目)として購入した腕時計ということになります。


オメガのコンステレーションは、決して廉価な時計ではなく気軽に買えるものではないため、正直なところ無理して購入したという経過はありました。


しかしながら、結婚生活15年間を振り返って、家庭という新たな共同性を構築し継続できた「奇跡」とも言える営為に対して、等価交換の報いはありえず、放蕩という手段(贈与)でしか対処できなかったということになります。


そして、オメガのコンステレーションは身に着けていると、ささやかながらも自分に自信を与えてくれる貴重なツールであり、ちょっとした自信などはブランド(象徴的価値)に頼るのが適当かもしれません。


そして、結婚や水晶婚だけではなく、どのような「記念日」でも、ただ有ったことを追認する「記念」ではなく、有り難いことを「祈念」するという意味も含まれているような気がします。


では、結婚、そして家庭と言う営為について私なりに少し考察を試みてみることにします。


昭和ロマン風になってしまいますが。(笑)

そもそも、結婚は、共時的現象(シンクロ二シティ)という意味のある偶然の一致から始まる、一見オカルト的ともいえる類いのものではないかと思われます。


つまり、偶然の一致にすぎなかった男女の出会いが、やがて結婚という営為に至ることで、そこに新たな意味と価値が付与され、家庭という共同性にまで変換(昇華)されていくということです。


むろん、現代社会では、未婚率や離婚率の上昇にみられるように、結婚という営為を取り巻く環境がとても厳しいものになってきていることもまた事実です。


しかしながら、男女の出会いが結婚に至るためには、意味のある偶然の一致を感受できるような「開かれた姿勢(オープンマインド)」が必要になってくると思われます。


ここで言う意味のある偶然の一致は、ヒーリングで言う「Here&Now」や茶の湯で言う「一期一会」の感受性に似ているかもしれません。

そして、意味のある偶然の一致というと、一見未来完了形の本末転倒な芸当の印象を受けますが、実際には現在進行形で逐次創り上げて行く遂行的(パフォーマティブ)なものでしかありません。

つまり、意味のある偶然の一致には、その始まりにも、また未来から振り返っても、その時点にはあらかじめ決まった答えは存在していないということです。

したがって、開かれた姿勢(オープンマインド)で意味のある偶然の一致を感受し遂行して結婚に至ったとしても、今度はその結婚(家庭)をいかに維持していくかが次の遂行(パフォーマティブ)ということになります。

言うまでもなく、結婚とは異質な感覚と文化を持った人間同士が生活空間を共有し、新たな価値を創造していく極めて困難な営為のことです。

このため、それぞれが自分のレディメイドな伝統(形式)だけにこだわっていては、結婚(家庭)生活を維持していくことは困難になってしまいます。


つまり、月並みな言い方になりますが、結婚はゴールではなく、新たな家庭(共同性)を構築するためのスタート地点に立つことでしかないということです。


また、結婚は不断の努力と忍耐によってやっと維持できるもので、少しでも努力と忍耐を怠れば、家庭(共同性)はいとも簡単に崩れ去る砂上の楼閣でしかないということです。


したがって、家庭(共同性)を営む構成員は、自分と家庭を取り巻く全体像の「コンステレーション(布置)を読む」という作業が常に求められることになります。


そして、「コンステレーション(布置)を読む」ためのスキルと能力は、家庭(共同性)全体をメタレベルから俯瞰する視点の保持と、メタレベルの視点から見える自分の位置を常に確認し、その役割と責任を適切に果たして行くということになります。

つまり、夜空の「星座」を見失わないためには、それぞれの構成員が「コンステレーション(布置)を読む」作業を絶えず繰り返していく必要があるということです。


私事ながら、結婚(1年目)と水晶婚(15年目)の時間を繋いできたものは、家庭(共同性)というシステム(体系)でした。

家庭(共同性)がシステム(体系)であったからこそ、その場所や構成員が暫時更新されても、家庭(イエ)というフレーム(枠組み)は存続してきたことになります。


つまり、家庭(共同性)とは、男女の出会いという意味のある偶然の一致によって始まり、それぞれが「コンステレーションを読み続ける」ことによって維持される、「イエ」というフレーム(枠組み)を伴ったシステム(体系)のことではないでしょうか。

家庭(共同性)は、世の中で一番小さな社会と言われることがあります。

そして、家庭や会社などの中間共同性の集合体が、社会(国家)ということになると思われます。

社会学では、共同性の最大の目的は「存続」することにあるとされています。

したがって、家庭(共同性)というシステム(体系)の持つ最大の目的もまた「存続」することにあると思われます。


ただ、万物が流転していくように、家庭(共同性)というシステム(体系)の持つ意味と価値もやがては移り変わって行くことになります。

家庭(共同性)というシステム(体系)は、場所や構成員は暫時更新しても、「イエ」というフレーム(枠組み)だけはそのまま存続していくということでした。

では、「イエ」というフレーム(枠組み)だけが存続するとしたら、家庭(共同性)というシステム(体系)で生成された新たな意味と価値は失われてしまうのでしょうか。

おそらく、生成された新たな意味と価値は、やがて家庭(共同性)というシステム(体系)の一番コアな部分にそっと留め置かれて、やがて新たな家庭の伝統(レディメイド)に蓄積されていくことになると思われます。


家庭(共同性)とは、ただ今あるものを継承していくだけの場ではないと思われます。

意味のある偶然の一致から始まった物語の創造を繰り返しながら、その中にあってもなお淘汰されずに残る形式(法則)を大切な伝統(レディメイド)として位置づけて継承していくことが、家庭(共同性)にとってもうひとつの大きな目的になるのではないかと考えているのですが、さていかがでしょうか。


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by kokokara-message | 2014-12-11 22:50 | 我流心理学